作品の飛距離
作品や自分自身を世の中に問うこと。
20代から30代前半にかけて、私はいろいろな形で自分の価値を測っていました。
SNSはありましたが、バズるという概念がなかった時代。
公募に出すとか、仕事を探したりとか、作品を売るとか。すると、反応がなかったり、意外なところから声が届いたり、出して数ヶ月経ってから評価が出たり。
そこで少しずつ、作品が伝播するときの距離についてわかってきました。作品を近くに届ける人と遠くに届ける人がいることがわかってきたのです。
私は音楽も小説も作っていて、同じような活動をする人が周りにたくさんいましたが、それぞれに「作品の飛距離」が違う。
作品を近くに届けるタイプは、友達もたくさんいて、ライブをやったり本を出したりすると、大勢の人がやってくる。作品をどんどん作るし、人の輪もどんどん広がる。
作品のクオリティはあまり高くない場合も多々ありましたが、その人自身が面白いんですよね。
私も「あの人は次は何をやるんだろう?」とワクワクして活動を見ていました。
飛距離が遠い人は、ライブをやっても友達は来ない。作品を発表しても友人は買ってくれない。
遠くにいる誰かが買います。
このタイプの場合は、遠くに作品を飛ばすために流通に乗せる必要がありました。
本に載る、賞を取る、CDを出すなど。
もちろん、ある程度のクオリティが必要となってきます。
私は後者でした。
ライブをやったら、友人は来ないのにチケットぴあからちょこっと予約が入る。そして、ネットで知らない人が書いた自分のライブレビューを見つけたり。
CDはフランスから全世界にリリースしました。
レーベルの人は、1つの国では少ししか聞く人がいなくても、世界に出せばそれなりの人数になると教えてくれました。
レビューを検索すると、ドイツ、フランス、ウズベキスタン、台湾などがヒットしました。会ったことのない人から海を超えて手紙やメッセージのファンレターが届き、感激したものです。
小説は講談社の群像という雑誌に掲載されました。深夜にひとり、PCに向かって描き続けていたものが、突然、他者と繋がる感覚は妙なものでした。これは嬉しかったな。
まだ学生時代に作ったベトナム語と日本語のバイリンガル絵本も出版できました。若かったので訳が分からず、周りの人にたくさん迷惑をかけて泣きながら作ったっけ。
本当にたくさんの方の手を経て、遠くまで届けてもらえたのだと思います。
次々と面白いことをして、たくさんの人と知り合い、周りを巻き込みながら作品を作る人。こういう人は、作品の量も大事で、友人を作ることも大事です。
そんな、たくさんの人に囲まれている人々に強く憧れましたが、私はただ机やPCに向かってひとりで作業をすることしかできませんでした。
作品のクオリティを上げることはとても時間がかかり、遊ぶ時間も人の作品を見る時間もなかなか取れない。なんだかつまらない人生だなと思ったものです。
もし次の人生があるならば「作らない人生」がいいな。
作品を純粋に受け取る側に回りたい!
たくさんの人の作品を楽しんで、友達をたくさん作るんだ!
でも今生(こんじょう)は、おとなしく、孤独に机に向かうことにします。
みなさんはどのタイプですか?
身近な人を幸せにするタイプ?
少し遠くの人が反応してくれる?
それともはるか遠くまで作品を届けなくてはならないタイプ?
私と同じように、遠くに作品を届けるタイプの方へ。
お互い頑張って作品のクオリティ上げましょうね…