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まさか今、ではない。

2024年3月下旬、庭で排泄したりゆるっと過ごした朝にロッチャンは一度立てなくなったことがあった。

木曜日で、かかりつけの病院はお休み。近所の別の病院へ行くもレントゲンで診てもらっても

「関節炎、、かなぁ、、」

というくらい、関節やヘルニアを懸念するような状態ではなかった。

後ろ脚が効かず、立ち上がるのも無理。サポートして排泄の日々を少しを送った。友人がサポートしてくれた鍼灸ケアが功を奏したのか、みるみる回復して5月にはいつものお山に行ってハイキングもできた。それはそれは、自分のペースと私とのバランスを取りながら、興奮任せではなく考えて一歩一歩を楽しんでくれていた。
私はすっかり安心とロッチャンに対しての尊敬と誇りが溢れていた。

それがどれだけ自分に都合の良い考え方だったのだろう。

ロッチャンは、どんな事があっても復活する。
もとに戻せる。
ずっとまだまだ一緒に居られる。
本気で、ロッチャンは不死身だと思っていたのかもしれない。

ロッチャンのお友達は、お空組が多い中
ロッチャンは大丈夫、というすごい自信だった私。

まさか、こんなにあっという間に逝くなんて

微塵も思っていなかった。8月の台風2つの到来で荒れに荒れた気圧が
戻ってこれば、これさえ越えれば元に戻れると思っていた。

今じゃないの、今なんかじゃないの。

ロッチャンとは、これからゆっくりシニアライフを送るの。
ゆっくりゆっくり、老いていくロッチャンを味わいながら一緒に年を重ねるの。お互いに増えていく白髪を愛おしく思いながら一緒に過ごすの。
そのためにお庭のあるお家に引っ越して、私はフリーランスになったの。
ロッチャンに全部合わせられるように、一緒にいられるように。

だから、今じゃないの。
絶対、持ち直して日常が戻ると思ってた。

私のロッチャンを信じる力が、凄すぎた。
私、初めてこんなに自分の気持ちを信じ込んでる。

私が今も越えられないでいるのが
まさか、という事だ。

自信という漢字は、自分を信じると書く。へえ。
わかっているつもりだった。
啓発本や哲学書、20代からたくさん読んだ。でも、こんなにロッチャンを信じる気持ちが私を強くしているなんて思ってもみなかった。

まさか、今じゃないって
信じ込んでいたんだよ。

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