心のうちをあてもなく書いたりすると、自分で自分が理解しやすくなるのか。なるほどー
2013年2月2日生まれのロッチャン。 野犬でガン黒の妹が2016年3月にやってきて、 弟は2017年1月に生まれた。その時ロッチャンは4歳だったんだね〜 里帰り出産を選んだ私は、少しロッチャンとオル子(妹)に会えない日があったが 夫が休みの時にかならず一緒に連れて来てくれたり、友人が連れて来てくれたから割と会えて寂しくなかったっけ。 話し尽くせないほど、ロッチャンは私のパートナーとしていつも側で支えてくれた。 弟はロッチャンにベタベタなわけではなくて。小麦粉ででき
まさかだったなぁ。私のペットロスはこういう形だったのか…慌てずに回復の糸口を待とう。
一か月。 気がつくと涙が出て、こみあげては飲み込む日々 photoがなかなか開けなくて でも強烈に会いたくて、開いては泣く なにも減らない 増えているような気さえしてる でもきっと、少しは変化しているのかな 変わらない毎日が慰めてくれてるような 変わらない過去が支えてくれているような いつも一緒に、ひとつになる感覚を もう少しください。 もう少し泣いて泣いて、そしたらひとつになれるような気がしてる。
あれ、書くって結構浄化されるんだね。バディを亡くして、途方に暮れてる私だけど書いて読んで(自分で)なんか腹落ちさせてる。
あと2日で、ロッチャンとお別れして1ヶ月。 はア、、、何も減らない。悲しさも寂しさも後悔も。 子犬のロッチャンを迎えにいくために買った、大型犬用のクレートの上に写真やお花、お線香などを置いて毎日お水と美味しい何かをお供えしている。 秋が近づくにつれて、いろんな方から美味しい果物を頂戴することが増えた。わたしは果物が大好きで、いつもロッチャンと分け合って食べていたっけ。ロッチャンの弟や妹はあまり果物を食べてくれず、本当にだいたいの果物は半分こしていた(ブドウ以外) 皮を剥く
2024年3月下旬、庭で排泄したりゆるっと過ごした朝にロッチャンは一度立てなくなったことがあった。 木曜日で、かかりつけの病院はお休み。近所の別の病院へ行くもレントゲンで診てもらっても 「関節炎、、かなぁ、、」 というくらい、関節やヘルニアを懸念するような状態ではなかった。 後ろ脚が効かず、立ち上がるのも無理。サポートして排泄の日々を少しを送った。友人がサポートしてくれた鍼灸ケアが功を奏したのか、みるみる回復して5月にはいつものお山に行ってハイキングもできた。それはそ
ロッチャンが逝ってしまってから、自分の気持ちが痛い。どんどん自罰的な思考になって来ているのがまた不思議。タラレバの日記にも書いたけど、、、 でも、友人が救いになるような言葉をかけてくれて どれだけ泣いたことか。言葉って、こんなに心に染みるものなんだ〜って実感した。言葉の力 ” 言霊 ” は存在すると思っていたけれど、ここまで実感したのは初めてのような気がする。 バンクーバーに住む友人がいる。1年に1度も会えない、かれこれ多分4年会っていないはず(コロナ期はもちろん) ずっ
思いもよらないロッチャンの突然の旅立ち。 私は、突然の出来事に未だ心がざわざわしている。 なんで少しも予想しなかったんだろう、、、 ロッチャンが辛かったことに、少しも気がつけなかったんだろうか… いや、むしろ大袈裟に気がついて、できる限りのこと事をやったよ。 (この後悔や罪悪感の波がすごく押し寄せる時がある…) しかも、突然じゃない。 ちゃんと症状があって、気になっていた点が悪化していた。そしてそれに対して病院に行ってみたり鍼灸ケアもして、ロッチャンが心地良さそうな効果
2024年8月。 上旬にはいつものように暑い夏から逃げて、標高の高い山に友人たちとキャンプに出かけた。 川で身体を冷やしては、日向で乾かしたり 弟のチャレンジを心配したり、沢を登ったり、鹿フンを食べたり(合法)していた。 お盆は私の実家、福島にも車で帰省したのだ。 とにかく11年半、我が家はロッチャンといつも一緒だった。 お出かけも、帰省も、遊びも、全部家族が一緒にいられる事が当たり前だった。 7月下旬にBRAF検査で前立腺がんの可能性が99%という反応が確認されていた
4年前にnoteに登録して以降ずっと読者していたけど、どこかに残しておきたい気持ちが増えてきて書き残すことにした。 日に日に募ってくる気持ちや、なんかあんまり繋がらなかった物事がつながり始めたり、辻褄が合い出す年齢(1981生まれ)になってきた。冷静になれる場所がないと、ちょっと不安にもなる、、、 そして、何を隠そう最愛のBuddyが思いもよらないタイミングで逝ってしまったのだ。通称「ロッチャン」、黒いラブラドールレトリーバーの「ロッコ」元気いっぱい天真爛漫のいつも空腹な