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いつも、身をもって知る。

4年前にnoteに登録して以降ずっと読者していたけど、どこかに残しておきたい気持ちが増えてきて書き残すことにした。

日に日に募ってくる気持ちや、なんかあんまり繋がらなかった物事がつながり始めたり、辻褄が合い出す年齢(1981生まれ)になってきた。冷静になれる場所がないと、ちょっと不安にもなる、、、

そして、何を隠そう最愛のBuddyが思いもよらないタイミングで逝ってしまったのだ。通称「ロッチャン」、黒いラブラドールレトリーバーの「ロッコ」元気いっぱい天真爛漫のいつも空腹な男の子。

11歳6ヶ月27日、生後4226日でした。

間違いなく愛情いっぱいに大切に育ててきた。ペットと暮らしている人はみんなそうだよね。

まだ結婚前の同棲時期に、夫がどうしても黒ラブと暮らしたいと国家試験に合格したら迎えにいくと予定を立て始めた。私はあまり何も考えておらず、どんな気持ちだったのかさえ覚えていない、、、

生後2か月くらいの最愛♡


夫の実家でゴールデンレトリーバーやハスキーなど大きな犬を飼っていたこともあったけど、
きっと、とても幸せだったんだろうな。

私の実家にも雑種の茶色い犬がいつもいた。外飼いだったし、今のような飼い方ではなかったけど家族みんなで可愛がって大切に暮らしていた。
だから、犬と暮らすことは自然なことだった。

犬が人間より短命なことも
看取ることになるということも
もちろん知っていた。知っていたんだけど、、、この身に起こってみると、全然わかっていなかったんだと思った。

むしろ、ロッチャンは不死身くらいに思えていたのだ。私は本当にお気楽な人間で嫌になる。
いつもわかったようなつもりになって、何もわかっていない。身に起こらないと、なにもわからないのだ。

ロッチャンが逝ってしまってから、もう悲しくて悲しくて仕方がない。大型犬のロッチャンのお友達はみんなもうお空に行ってしまっていて、毎年のように別れを経験していた。

でも、見送ったみんながこんな辛い思いをしているんだなんて、本当の意味で考えたことがなかった、、、、、
とても耐えられそうにない思い。
自分の小ささ、狭さ、浅はかさがロッチャンを失った悲しみと一緒に剥き出しになってきた。

わたしはいつもそうだ。

身をもって、知る。そろそろ成長したい、考えたい。お焚き上げのような気持ちで思うことを書いて、整理して、確かなことは確かにしたい。

ロッチャンを愛していた紛れもなくかけがえのない時間をもっともっと全力で肯定したい。

2024.9.1



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