「かわいい」

「メイクしない方がかわいいよ」

わたしはその言葉が大嫌いだ。

わたしは所謂童顔の部類で、背も決して高い方ではない。150センチ前半で成長が止まった。

しかし、高校時代のわたしはオシャレに疎かった。メイクも洋服もさほど興味がなく、そのままであること、素朴なことを選択していた。そのためその言葉に何の疑問も抱かなかった


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それから3年経ち、わたしは様々なものに触れた。

大きな出会いはロリィタだ。

絵本の中に出てくるようなレースやフリル、リボンが沢山着いたドレスを、レンタルスタジオで借りて写真を撮る体験をした。

プロの方にメイクをしてもらい、お人形のようなクラシカルなロリィタに身を包んだ自分を見た時、運命だと思った。わたしが思っているかわいいをまさに体現していて、自分がとても愛おしく思えた

その日からわたしのかわいいを実現する時計が動き出した

お化粧も何もしたことが無い、何の知識もないわたしは、友達に聞き、時には実物を借りて試し、まずは知識を集めた。人にはそれぞれ似合う色があること、1口にピンクと言っても様々な種類があること、初めて知ることはどれも新鮮で本当にキラキラして眩しかった。

教えてくれたコスメたちを片っ端から買ってきて、YouTubeの動画を見て、見様見真似でメイクをした。お風呂に入る前に練習をして、写真を撮り、どこか変なところはないか確認するのを繰り返す。

わたしはその時間が大好きだった。かわいいお洋服を着て、メイクをしてかわいくなる、それはわたしの魔法のようなものだった。そうすることで、自分が少しだけ好きになれる気がしたから。

次に出会ったのは違う系統のお洋服だ

ロリィタとまではいかなくとも、わたしの私服はガーリーなものが多い。ブラウスやスカートをよく好み、身にまとっている。

ある日、友人のすすめで見たサイトにはわたしとは真逆な綺麗めな洋服が安価で沢山並んでいた。安いなら、もし仮に似合わなくても諦めが着くだろうと購入したシンプルなオフショルダーのニットワンピは、とても綺麗で、なんだか落ち着かなかった。でも不思議と似合わないとは思わなかった。

むしろ、このお洋服に合うメイクや髪型は何だろうと考えている自分がいた。

ここでわたしは「かわいいをプロデュースする」事が好きだと自覚した。今日のなりたい自分に合わせて、メイクやお洋服を変化させる。それが本当に楽しかった。まるで自分には無限大の可能性があるようでワクワクする。

だから今のわたしは「メイクしない方がかわいいよ」という言葉が嫌いなのだ。

わたしが思う「かわいい」は自分自身が満足することだ。わたしはそれを自分のためにプロデュースしたい。それなのに「それはしない方がいい」と言われてしまえば、わたしの「かわいい」はわたしのものではなくなってしまう。それが屈辱だった。誰かに決めつけられてカテゴライズされたり、否定されたりして消費をされたくない。

わたしの「かわいい」はわたしだけのものだ。

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大好きなディズニーに行く時はその時々のコンセプトに合わせたロリィタを。

オシャレなホテルでアフタヌーンティーをする時は、シンプルなニットワンピを。

ああ、今日は何を着て生きていこう。

どんな「かわいい」をプロデュースしよう

そう思える限り、わたしの心は誰にも縛られず自由である。だからわたしは今日もとびっきり、かわいい自分で生きられる

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