聴く、を考えてみました
先日、
「頭、心、身体、で聴く」という文章に会い、
それは心の靄を吹き去る風のように感られじた。
そうしてこの言葉の意味について考え始め、
かれこれ10日ぐらいが経った。
そこで今の時点で思う、
「頭、心、身体、で聴く」という事について文章にしてみようと思います。
まず、動詞でこの三つの言葉を表すと、
頭→考える
心→感じる
身体→受け取る、気づく。
そして、
頭で聴くは、情報に、
心で聴くは、感情、感覚に、
身体で聴くは、微細な振動に、
置き換えられる。
例えば、小学校6年生の男の子が、
「僕、昨日物語を書いたよ。これが話。読んでみて。」
この事を頭で聴く、と、
彼は小学校6年性、物語を書いた、彼の歩き方は〇〇、顔の表情は〇〇、
声のトーンは〇〇、など、
目耳鼻から得たものを頭で言葉に置き換える。
心で聴く、を表現すると、
彼の言葉、顔の表情、声のトーン、などが合わさった、
その時の彼の空気感を、
曇りのない心(持っている情報をなくして)、
加えて言うならば、自分が自分である事を忘れて、
聴く、感じる。
身体で聴く、これは苦戦しました。
それで検索して、いくつかヒントを得ました。
これから書く身体で聴く、はパーカッション奏者のエヴリン・グレニーさんのTEDトークから多くのヒントを得ました。
https://www.ted.com/talks/evelyn_glennie_how_to_truly_listen?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
自分の身体をドラムという楽器に、彼の言葉や存在全体をバチになぞらえ、
彼のバチはどんな風にドラムを叩いているのか?
その時同時に、自分の身体を共鳴室に、同時に客観的にその音を聴く。
ドラムになり、共鳴室になり、聴く。
これはきっと絵を描くにも喩えられるし、
歩くにも喩えられるのではないだろうか?
どんな色を選び、どんな線を描くのか?
どんな風に歩き、どの方向へ行くのか?
その時私は紙になる、
その時私は風(空気)になる、
をするために、最初にすることが、
自分に耳を澄ますこと。
自分の頭、心、身体がどんな状態であるか、
自分に聴いてみる。
真っ新な状態になれたら、
ドラムになり、共鳴を可能にし、その音を聴く事ができる。
紙になり、その絵に入り込み、その絵を見る、
風になり、歩みを共に体験し、歩くを見る。
聴く、って大変だ。
今日は何を聴く事ができるだろう?
2011年に出会った、シュタイナー教育。 ストーンと心に落ちてきて、今も静かに光っています。子ども達やおとな達の心の灯りが輝き続けるような社会はきっと目の前にある。 様々な地で生まれた叡智と、先人達が残してくれた勇気と一緒に、歩きます!