不登校だった時の話
どうもこんにちは。みいです。
私の過去の話をします。長くなります。
朝の情報番組を見ていた。
昨日と今日は新学期前の不登校特集のようだった。
もう学校に行くなんてことは遠い昔になってしまったし、子供がいるわけでもないので、今の自分には直接関係ないのに、見入ってしまった。
1.記憶の掘り起こし
そう、今から15年くらい前、私は不登校だった。
不登校の話になると、少し前なら、原因は何?という話が多かったように思う。
でも、最近はなった後どうするか、周りはどうしたら良いのかにフォーカスが当たっているように感じる。
おそらく、私を含め先人たちの経験が集約されつつあるのだろう。
2.不登校になった原因
で、私はなぜ不登校になったのかというと。
引き金となった原因は部活でシカトをくらったため。
中学生だったのだが、今考えればよくある話なんだろう。
順番に標的がローテーションしていくシステムに私も巻き込まれた。
昨日まで普通にしゃべっていたのに今日から無視される。
びっくりはしなかったが、やはりすごく悲しかった。
別に部活の人たちのことはすきでもなんでもなかった。
部活でやることが好きだっただけで。
そして、決心した。
部活が楽しくないからもう学校に行く意味がないと。
というか行ってやるもんかと思った。
でも、その理由を言うと親を悲しませると思ったから特には言わずにいた。
まあ、親の方からしたら急に学校に行かなくなって、理由も話さなかったらそりゃ困るだろうと今になって思う。
ただ、親は学校に行かせたいというより、なんで行かないかを私から引き出すことにフォーカスしていたと思う。
無理矢理登校させられることはなかったと記憶している。
3.不登校になってみての気付き
そうなると、何をして過ごしていたのかという話になると思うのだが、答えは、何もしてない。ということになるだろう。
具体的にはとにかく寝ていた。
寝ても寝ても眠いし、やることもないから寝てしまう。
今のようにスマホもipadもないし、youtubeもあったかなかったかわからない時代だ。
そんな渦中で自分が一番思ったことが、『外界とのつながりの切断』だった。
SNSもなく、ましてや携帯も持っていなかったので、同世代とのつながりが全くなくなってしまったのだ。
その時、自分の中からふつふつと疑問というか怒りに近い思いが湧いてきた。
『なぜ、学校に行かなかっただけでこんなことにならなければならないのだろうか???』
シンプルだが、当時の自分にとっては最大の疑問だったし、憤りを感じていたポイントだ。
4.フリースクールへ行く
それを解消すべく、行政がやっているフリースクール的なところへ通った。
隣の市にあり、電車と徒歩で計1時間近くかかるところにあって、気は進まなかったが行ってみた。
中学1~3年生までで、在籍は10名程だったが、実際に来ているのは5~6名ほどだった。
先生は2名で、すきなことをして過ごす。
唯一同学年の友達ができて、その後も大学くらいまではつながっていた。
ただ、行き始めたのが遅く、あまり深い関係になる前に卒業となってしまった。
結論として、学校に行かなくともなんとかなるということを実感できた体験であったことには間違いない。
5.カウンセリングを受ける
あとは、スクールカウンセラーの先生のカウンセリングを受けた。
これに関しては、私の意思は関係なく、完全に親の意思だった。
しぶしぶ行ってみたが、いわゆるクソジジイで何も話す気になれず即刻行かなくなった。
他にも心療内科にもかかった(親の意思)りしたが、こちらも話す気になれない場所だった。
6.ホームステイに行く
親のなんとかしたい気持ちは、私に外に飛び出せ!という気持ちになっていったようだ。
知り合いがカナダでホームステイの受け入れをしているということで、行くことになった。
1ミリも興味はなかったが、誰も知らないところには行きたかったので一人で旅立つ。
詳しくは以前書いたシリーズを参照ください。
7.友達のありがたさ
そんな中でも、友達が時々会いに来てくれたり、資料を持ってきてくれたりすると、とてもありがたいと感じていた。
この時会いに来てくれた友達は、その先でも友達のままだった。
8.進路を適当に決める
そして、受験期になるのだが、正直心は疲れ切っていて高校には行ける気がしなかった。
しかし、親からは高校だけは出ろと言われていた。
職が選べなくなるからという理由で。
中学の不登校の間(1年間)まともに勉強していなかったので、行ける気もしなかったが、適当に近所の私立高校(公立は出席日数が足りなくて無理だった)に進学した。
ここで軌道に乗れたらよかったのだが、そううまくいかないのが私の人生。
この先はまた明日。
卒業式も出なかったのですが、先生たちの計らいで、後日校長室で一人で卒業証書をもらいました。
自分のために動いてくれる人もいるんだと苦しい中でも実感した中学生活になりました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ではまた明日。