
大人になるのも悪くない
どうもこんにちは。みいです。
毎日の習慣から思ったことを書き記してみます。
毎朝の日課で、ベランダの草花に水をやっている。
朝晩2回で、暑い時間帯を避けているのに、それでもむわっとしている空気。
うわ~と思いながら無心で水を撒く。
しばらくすると土の匂いが上がってくる。
この匂いを嗅ぐと、幼少期に父と家庭菜園をしていた頃に時間がぐーっと巻き戻る。
その時思い出した。
『グラウンディング(アーシング)』という言葉を。
コーチのイロさんに教えてもらった言葉だった。
その後、実践してみたことがあった。
旅先のことで、小雨の降る早朝だった。
泊まっていたホテルの温泉には庭があって、サウナの後に芝生にでて椅子で整えるようになっていた。
最初は冷たそうで興味が無かった。
でも、サウナを出たあと、急にグラウンディングという言葉を思い出し、やってみようと思った。
一歩目を芝生にそっと踏み出してみた。
ひやっとした冷たさと、草のやわらかいけどちょっとくすぐったいような感触。
そしてやっぱり感じた土の匂い。
当たり前かもしれないけれど、その全ての要素から生きていることを感じた。
自分が生きていることはもちろん、地球の当たり前の摂理も。
大げさかもしれないが感じたのだった。
それからグラウンディングをもう一度する機会があった。
自宅近くの公園の丘で。
大好きな場所なのだが、一度も裸足で歩いたことはないと思ったので、やってみた。
このときは晴れていたので土と草は乾いていたが、吹き抜ける風の心地よさを強く感じた。
そして、さらにそのまま大の字で寝転んでみた。
当たり前に空が見えた。
こんなことをするのもいつぶりか憶えていない。
寝転ぶ直前までは、年相応とか常識とか周りの目とかそんな言葉が頭の中をぐるぐるしていたが、寝転んだ瞬間どうでもよくなった。
もちろん、なんかちょっとそんな自分がおもしろくなってニヤッとはしたけど。
それは決して自分をバカにしたわけではなく、頼もしい相手だなとちょっと思えたからだ。
ただ裸足で地面の上を歩くだけ。
子供の頃当たり前だったことが、大人になって同じことをするだけでこんなにたくさん気付けることができる。
大人になるのもわるくないと思える一つの方法をまた手に入れた私だった。
ちなみに、気になる人はビーサンとか裸足で履いても気にならない靴、もしくは足を洗えて、拭く為のタオルがあるといいと思います。
NYでは街の真ん中の公園でみんな寝転がっていたことを思い出しました。
次行ったら海外でもやってみようと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ではまた明日。