miomochi

「子タヌキの育て方、夕焼け空の眺め方」 というタイトルの育児エッセイをいつか書こうと何年も前から決めていた。 長女が10歳、次女は8歳になった。 どんどん大きくなってしまうので、早く書かねばと焦りnoteを始めることにした。

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「子タヌキの育て方、夕焼け空の眺め方」 というタイトルの育児エッセイをいつか書こうと何年も前から決めていた。 長女が10歳、次女は8歳になった。 どんどん大きくなってしまうので、早く書かねばと焦りnoteを始めることにした。

最近の記事

名付け

私は名付けが好きだ。そして得意だ。 社会人になって一番はじめについた仕事はテキスタイルのCADの仕事だった。ビンテージの柄をスキャンして、ソフトを使って描き直し、リピートに落としてこんでいったり、布帛やニットの柄をCADで織り上げたり、編み上げたりして、印刷物を工場に送ってサンプルを作ってもらう。 ファッション業界では毎シーズン、まずコレクションのカラーパレットを決める。カラーのトレンドは何年も前から決まっていて、展示会やトレンド情報をもとにキーカラーを抑えつつ、コレクシ

    • ベビーサイン

      長女が生後6ヶ月の時からベビーサイン(赤ちゃん手話)の教室に1年ほど通った。妊娠中にたまたまテレビで、まだ言葉が喋れない赤ちゃんがママにベビーサインで上手に意思疎通をしているのを見て、私もお腹の子が産まれたらベビーサインをしようと思ったのがきっかけだった。番組では「かぼちゃ・おいしい」とママに伝えるベビーや、お散歩中にクレーン車を見上げて「キリン」とママに伝えるベビーが写っていた。ママたちは優しく「かぼちゃ、おいしいね〜」だったり「本当だ!あのクレーン車は首が長くて、キリンさ

      • 酔っ払いの水兵の歌

        8歳の次女は19世紀の船乗りの労働歌シー・シャンティ(Sea Shanty)にここ数年ハマっている。きっかけはコロナ禍でアイルランドの郵便局員がtiktokでバズらせたWellerman's song という歌だった気がする。でも、そういえば娘たちが赤ちゃんの頃から夫がお風呂でよく歌っていたレパートリーの中にEddystone Lightというシー・シャンティがあった。 この歌はEddystoneという灯台の灯台守と一夜を過ごした人魚の息子の船乗りが語り手となっている。この

        • 罵声語

           日本語で罵声を発することがない。何か失敗をしたときは「あ、やばっ」とか、やるせないないときは「なんだかな〜」とぶつぶつ言うことはある。 罵声を発したい時はたいがい英語になる。アメリカの映画やドラマを見ていても分かるが英語にそういう文化があるのだ。日本語に訳して使ったらびっくりするようなことを可愛い女子高生も比較的育ちの良い女性も結構普通に使う。まぁでも母になってからはそういう表現は極力使わないようにしている。 先日イライラすることがあった。夫が外国籍なために銀行かなにか

          栗田 クロメ

          去年近所でタヌキに遭遇した。しかも3回連続で。アメリカに住んでいる姉の家族が一夏うちの近所に家を借りて住んでいた。順番が定かではないが、確か1回目は姉の借りた家から私が一人で歩いて帰る途中、近所の中学校の塀の上に何かがいるのを見たのだ。もう日が暮れていたが、中学の校庭のライトが逆光となって、くっきりと頭と尻尾のシルエットが見えた。猫ではない。紛れもなくタヌキだった。 2度目は姉の家族を車で送り届ける時だったかに、坂の途中で車のヘッドライトに照らされたタヌキを見た。夜行性の動

          栗田 クロメ

          タヌキ語録

          2021年の備忘録より かなづちトントン 長女が図工で金槌工作をしている様子、歌を作って帰ってくる。(「雪やこんこん」のメロディー) くぎうち トントン かなずち トントン 打っても打っても まだまだ打てる ヤナギもケヤキもカエデもナラも 最後はすてきな作品だ♫ 後日、角材を釘で繋げて作った毒蛇を2匹持って帰る。箱の中にブランケットを敷いて部屋の隅で飼育中。餌皿には庭の草木が入っている。 ペンギン先生 お友達の母娘と歩いていると、子どもたちが大手塾のチラシをもらっ

          タヌキ語録

          子守唄

          長女が生まれた時に義母が娘のために子守唄を作ってくれた。彼女は戯曲家であり作詞・作曲もする。アメリカの東北部、カナダの国境に近い自然豊かな美しい場所に住んでいる。冬が長く、春が訪れるのも遅い。夏は緑が清々しく、秋は息を飲むほど紅葉が美しい。そんな場所だ。 長女の名前は楓と言う。木に風と書いて「楓」。「めぐりくる四季のような豊かな感性を持って育ちますように」そして故郷の大自然に想いを馳せてつけた名前だ。 Kaede, kililulee Maple and Momiji,

          父の夢

          昨日久しぶりに父の夢を見た。父は施設の個室に寝ていた。部屋のカーテンは閉め切ってあったが、午後の光がカーテン越しに部屋を優しいオレンジ色にしていた。私は父の枕元に座り、お布団から出ていた父の手を握った。それだけの夢だった。それだけの夢だったけど、会えて嬉しかったな。ラインで母にそう言ったら、「いいなあ」と返ってきた。「私も会いたかったなぁ」という意味である。 父は2018年に他界した。51歳で若年アルツハイマーと診断され、69歳でこの世を去った。穏やかで優しい人だった。最近

          お助けタヌキ

          長女が一年生になった時。重いランドセルを背負った小さな娘が学校に行って帰ってくるのが奇跡のように感じられた。 娘は幼稚園に通っていた時も、お友達と遊ばず、ずっと本棚の前に座っているような子どもだった。体を動かすのも公園に行くのも好きだったが、一番好きなのは本を開いている時だった。それは今でも変わらない。 1年生の時に娘が私に言った。お助けタヌキが学校についてくると。娘は小さい頃から大のタヌキ好きだった。お助けタヌキたちは学校に着くと、昇降口で娘が上履きに履き替えている間、

          お助けタヌキ

          ハロウィン

          去年のハロウィンの前に7歳になったばかりの次女に、「今年のハロウィンはグレーでおじいさんから帽子をもらうやつになりたい」と言われた。 何、なぞなぞ?! 「もう少し詳しく教えてくれる??」とよくよく聞くと「雪が降っていて寒い」ということと「首に赤いのをつけている」ということが判明した。 「傘子地蔵」である。 そうきたか。 娘は夫のグレーのワッフル地のカーディガンを借りることにした。袖は手指の先まで隠れるし着丈も膝くらいまである。グレーのレギンスに友達のお下がりのグレーのT

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          家系図

          10歳の娘が家系図を作った。サヌキ タキを末裔とする六代に及ぶ壮大な家系図である。 サヌキ タキの父親は香川県出身である。名を豆太郎という。母親はアメリカ北東部、バーモント州出身で、名をHugsyという。Hugsyと豆太郎の間には子が7人いる。サヌキ タキは7人兄妹の長女である。ミックスルーツの子は日本ではハーフと呼ばれるがこの家系ではハイブリッドという言葉が好まれる。 サヌキ タキは娘が作ったタヌキの着せ替え人形だ。母親のHugsyはアライグマなので、正確にいうとタヌキ