七夕に伯父が逝く
わたしの姉は、如才ないようでいて、実は人付き合いが大の苦手。
苦手が極まり、時に家族は心配したり呆れてしまうこともある。
そんな姉が、ひょんなことから重い腰を上げて旗振り役になり、親戚で食事会を計画することになった。
幹事なんて、最も苦手なことなのに!と言いながら。
人によっては、顔を合わせるのは数十年ぶりになる。
楽しみです、と真っ先に返信をくれたのは、従姉の一人。
次いで、実は…と明かされたのが、従姉の父である伯父の訃報。
3日前に亡くなった、と。
伯父は、
ピアノが好きで紙の鍵盤で練習して、後に音大に入ったというエピソードの持ち主。
若い時に同じような経歴を持つ元夫を、伯父に引き合わせたいと思っていた時期もあった。
会わせなくて良かった。
どんなにがっかりしたか。
ある時に、“◯◯ちゃんは、本当に良い子だ”と、母への手紙でそっと褒めてくれたこともあった。
そんなことは、初めて人に言われたのだった。
母が、姉に付き添われ、伯母の見舞いに訪ねて行った時。
伯父は介護のかたわら、駅に出迎えに来てくれたそう。
“相変わらずダンディーだった。駅で私の名前を読んで、なんとハグしてくれたのよ”と、母は恥ずかしそうに笑った。
伯父は、親戚には後から報せれば良いと言っていたらしい。
もう葬儀、火葬も終わっているという。
気遣いも、最期まで伯父らしかった。
しかし、このタイミングでわたしの姉が呼びかけをしたものだから…
従姉の姉妹は、やはり、皆にも今知らせないといけないような気持ちになった、ということだった。
このところ、毎年のように伯母や伯父の訃報がある。
両親もどんどん年老いてゆき、その姿を見るのはひたすら寂しく、時に腹立たしさも混じる。
何より、離婚訴訟だ、また新たな裁判だ、養育費は未払いだと
いつまでも両親に負担を掛けている自分が、情け無く、腹が立つのだ。
不甲斐ないという言葉を、何度書いているだろう。
そうして両親に会う度に、なんとか元気にやっている姿を見て、わたしは少し安心して自分の家に帰る。
まだ、わたし達の側にいて欲しい。
両親に、もう大丈夫じゃないかと安心して欲しい。