小指だけつないで(4/4)
考えようによっては、五歳の女の子がおれのために一人で駅まで傘を届けてくれた、というだけでも、もしかしたらすごい進展なのではないか。
なぜかこのことに一筋の光を見出したと言ってもいいくらい、可能性を信じたいと思った。
もしかしたら綾子も、最後の賭けのつもりで実那を送り出したのかもしれない。
実那のおつかいの動機が、お気に入りの雨のファッションを楽しみたかっただけだったにしろ、おこづかいやご褒美を期待したにしろ、ただの気まぐれにしろ、今日は久しぶりに明るい気持ちで綾子の顔を見れそうだ。
おれは恐ろしくのんきで前向きないい性格なのかもしれない。
今日が小指なら、明日は薬指、その次は中指、それから人差し指、という風に少しずつ、一歩ずつ、近付いていけるように思えるのだ。
おれもこの子も、不器用な分、気は長いようだ。
「この景色、好きだったなあ」
日暮れの朱鷺色に染まった街をまっすぐ見下ろして、実那はぽつりとつぶやいた。
おれは笑った。
二度と来られないようなことを言うのはおかしい。
「いつでも帰ってくればいい」
「……うん。ありがとう」
実那は笑った。普段はそう感じないが、笑うと綾子にそっくりだ。
「結婚のこと、最初は、お母さんもみんなもどんどん前に進めていくだけだからなんか怖かったんだ。いやならやめてもいい、ってお父さんが言ってくれたの、嬉しかった。土壇場でもなんとかなる、って思ったらかえって覚悟できた」
そりゃあ、本当は「行くな」って言いたいのが本音だからな。
今更口にはしないけれど、おれは実那から目をそらして街を見下ろした。
ここに来ると、あの雨の日を思い出す。
実那がいてもいなくても、仕事帰りにこの場所で必ず立ち止まるのが日課となった。
二十年の間に、空き地だった場所にマンションが建ったり、川沿いに公園ができたり、見下ろす街の様子はそれなりに変化していた。
その間におれも、綾子と結婚し、親子三人で狭すぎない程度の家を買った。
明日の練習、と言って、実那がおれの腕に手をかけた。
「ゆっくり歩いてね。ドレスが足にからまって、少しずつしか歩けないから」
こうして腕を組んで歩けるのは、明日が最後だ。
そんなリクエストがなくてもとろとろ歩くことだろう。
少しでも長くここに留めておきたくて。