【 かわいそう 】
かわいそう、って言葉があまり好きになれない。
かわいそう、って言葉の裏に見えるモノがキレイであった記憶がない。
だからあたしは極力使わないようにしている。
肉体を持って気の塊に包まれて、魂を育てているあたし達は裕福とか、貧困とか人のモノサシでは、人のシアワセを測る事なんか出来ない。
毎日、退屈だ、退屈だとため息を吐くお金持ちもいれば。
ひとかけの食べ物を分け合い、お腹から笑い、心から感謝出来る貧困の方もいる。
長生きしてて苦しむ人もいれば、短命でも愛に包まれて幸せな人もいる。
かわいそうかどうかは第三者が決める事ではない。
ただ、そう思う気持ちが慈善に繋がるのである場合は、ありかな、とは思う。
たいした高いところにいるわけでもないのに、見下ろしてかわいそう、と口にする人に対してだけ言える内容になってしまった。
親に育てられなくて、まともに学校行けなくて、不良にもなれなくて、お金に困ってて、愛に飢えていて、病気がちで、病院にもなかなか行けなくて、仕事も出来ず、結婚も失敗して、、不幸自慢したけりゃいくらでも出来る。
誰だって。
でも、かわいそうかそうでないかは自分で決める。
あと、努力の結果も。
他人が決める事じゃない。
だからと言って、自分で自分をかわいそう認定するのも違うと思う。
生きてる間は、そこらじゅうに好転するキセキが落っこちてるんだ。
今の時代に生きて、幸せで嬉しくて、だからもっと幸せでありたい、もっと欲張りでありたい。
身の回りにある環境を受け入れて認めて、まだまだ欲張りでありたい。
伝えて伝え切ったら受け止めてもらえるかどうか気にせず、自分を生きていこう。
森羅万象LOVE!みおきな
自分を幸せにする覚悟・判断・責任を土台にしてもっと生きやすく活きる事が出来たら。そう願っています。