ジャスミンの花は今年も香っているのか
コロナがどういうものか少しずつ分かってきて、いろんな規制がなくなって、日常がだいぶ戻ってきた。
2020年、娘が小学5年生の2月末に一斉休校が突然発表になった。
3月から3か月間学校がなくなってしまった。
始めの頃は中学受験塾が対面でやってくれていたから、それには通っていたが、しばらくするとそれもなくなってしまった。
娘が家にいるので、私もできるだけいた。
学校だけでなく「ステイホーム」の掛け声とともに、人間の活動自体もかなり静かになっていた。
一斉休校が必要だったかどうかの是非は今ここでは問わないけれど、コロナがあの時期にもたらしたのはマイナスばかりでもなかったと今は思う。
あの時期は独特の「しん」とした感覚が世間にも自分の内にもあったように思う。
実際に人々の活動が抑えられていたので、いつもよりも街は静か。
自分自身も何かしら落ち着いたような気分を味わっていた。
娘と家にいてそれなりに楽しく過ごしていた5月、ふと何かの香りが鼻腔をくすぐった。こんなにいい香りはそうそう嗅いだことはことはないんじゃないかという香り。
その香りが「しん」とした空気感にとても似合っていた。
香りは消えることなく漂っている。
ふといつもはあまり開けない北側のカーテンを開けた。
マンションの中庭につる性のジャスミンが目隠しとして植えてあって、そこに白い可憐な花がたくさん咲いていた。
ジャスミンの香りだったのだ。
窓を開けなくともこんなに香ってくるものなのかと驚いた。
当時、家には10年以上住んでいたけれど、ジャスミンの香りに気づいたことはほとんどなかった。
忙しい日常の中、感覚が鈍っていたのだろう。
また、人間の活動が止まっていたことによって緑が美しくなったように感じていたので、ジャスミンの花もいつもよりも元気だったのかもしれない。
嗅覚は五感の中で最も原始的な感覚でもあるというけれど、あの独特の「しん」とした感覚の中で、それが戻ってきたのかもしれない。
ふだんは心がもっとざわざわして、意識もあちらこちらに飛んでいるのだろう。あの独特の静けさの中で、嗅覚が正常に機能しだしていた気がするのだ。
コロナ騒ぎのあの年は存分にジャスミンの香りを味わった。
去年も香りには気づいたけれど、それを丁寧に味わう時間がなかった。
そして今年。
私にジャスミンの花の香りは届かなかった。
私がその香りに気づくことはなかった。
窓を開けたら香ってきて、ほっとすると同時に残念な気持ちになった。
今も日常が戻ってくるのを喜ぶ気持ちとともに、あの独特の静けさがなくなったことを残念に思う気持ちがある。
世の中も自分も忙しくなっても、花の香りに気づく感性は失いたくないと思うし、静けさを自分で作り出す工夫も必要なんだと思う。
あの「しん」とした空気感と時間は、今思うとかけがえのないものだったのかもしれない、とジャスミンの花の可憐さと香りを思い出しながらこの文章を書いている。