【バトンリレー企画参加】医療従事者はスーパーマン
無償の愛って
こういうことを言うんでしょうね。
縁起が悪いので
漢字で書きませんが、
私は自称「はっこうの美女」です。
持病が3つありまして、
身体が安定していない思春期や
あまり身体に気をつけていない
20代前半の頃は特によく
救急車のお世話になりました。
むかしむかしの話です。
大学の新卒で
私は埼玉県にある
とある特別養護老人ホームの
サービス提供責任者 兼
生活相談員(ソーシャルワーカー)に
なりました。
当時この施設は新設で
法人第1号の施設でした。
法人2号ならまだいいんです。
1号目のやり方を踏襲して
改良すれば良いので。
ところがここは
法人さえ新設で
作った施設長は元銀行員であったため
当時、
特別養護老人ホームと
養護老人ホームの区別さえ
つまり福祉の「ふ」の字も
知らない方でした。
何でこの施設を作ったのか、と
聞いてみたら
施設長と共に
銀行マンだった事務長に
「もちろん、お金のためだっぺ!
儲かるで〜、年寄りは‼︎」と
言われました😱
潔くていいですね。(いいのか?)
この事務長はちなみに
若くて美女の介護士さんに
「ケツを触らせてくれれば
1万円やるで〜!」
と言う
ヘンタイでした。
※私、ヘンタイネタ多いな…。
でも、
それを聞いた美女ちゃんも
即座に触らせていたので、
いい......のか?
いや、良くないな、絶対。
ちなみに美女ちゃんは
本当に一万円もらって
喜んでいました。
※このクダリ、不要ですね😅
それでとにかく、
施設長やら事務長やらの
元銀行マンぐるみは
何もご存知ないので
そりゃあもう大変です。
社会人経験が皆無の私が
介護日誌から契約書、
ご利用者の調査書まで
全ての書類のフォーマットを作り
道を作らなければ
ならなかったので。
でもね、
若いって無鉄砲なんですね。
私は何も知らなかったので
本当に世間が見えていなかったので、
福祉系の大学で
4年間猛烈に学び、
当時その市には5人もいなかった
社会福祉士も取得したことで
何でも出来ると思い込んでいました。
スカイツリーのように高い
プライドと
どこから来たのか全く分からない
何が起こっても枯渇しない
たっぷりの自信があったので
行動力も今と比べようがないほどあり、
分からないところは
近隣の施設に
一瞬の躊躇も恥じらいもなく
電話をかけまくって質問し、
ケローリと仕事をこなしたテイで
「ふっ、私ってば、ス❤️テ❤️キ❤️」
くらいに思っていました。
気づかぬところで
助けて下さった方々が
たくさんいたでしょうにね。
今思えば
3人を除いて全員
同じように新卒だった介護士さん方、
この方達も
素晴らしかったんです。
新卒で、
しかも専門学校卒や短大卒で
まだ10代で、
経験もないのに、
「いや〜ん、私
新卒だから分かんな〜い」的な
指示待ち人間が
誰もいなかったんです。
環境がそうさせたんでしょうか。
彼女たちと私で
一から決めていきました。
施設の制服から
ご入居者の食事時間、
クラブやイベント、
シーツ、布団に至るまで。
毎回、活発な意見が出ました。
もちろん静かな人や
元気な人などの
性格の違いはあれど、
全員が全員、
今思い出すだけで
涙が出るほど素晴らしかった。
私は介護士さんたちを
心から信頼していたし、
介護士さんたちも
私をとても大切に
してくれていたと思います。
若いって純粋ですね。
社会の清濁の清だけを目指して
動いていた気がします。
でもね、
体力や夢もたくさんあって
限界をまだ知らないから、
頑張りすぎてしまうんです。
ある日、2連休が取れた私は
週末に東京の実家に帰りました。
次の日から仕事という日曜日、
まだ日の暗くならない時間に
埼玉へ戻ろうと
電車に乗っていたところ、
都から県に入り、
あと2駅ほどだったと思いますが
私は急に倒れました。
これ系の記事は
以前にも書いていますが、
これはまた別の話です。
※なんか似たような記事になったぞ。
都内は一駅が短いですが
県に入ると長いんですね。
当時、都内の電車で
具合が悪くなれば
私は途中駅で降りて
ベンチで休むか
駅員室で横にならせて
頂いていたのですが、
駅から駅の間に
具合が悪くなったので
間に合いませんでした。
気づけば私は
途中駅のホームで
横になっていました。
傍には
女の人がいて
私の脈を取り、
聴診器で心音を確認して
くれていました。
「びっくりしたでしょう?
大丈夫ですよ、私、医者なので」
偶然にも同じ車内に
女医さんが同乗されていたんです。
その方は私を内診され
担架で運ばれる私と共に
駅長室へ行って下さいました。
その女医さんが
電話をかけていた内容で、
彼女は職場へ向かう途中だったと
分かりました。
とてもお忙しいでしょうに
私に付き合っていて下さったんですね。
駅員さんが
どなたか家族に連絡を、と
仰ったのですが
私は独り暮らしだから
良くなったら自分で帰るから
大丈夫です、と
言いました。
それでも心配なようで
職場の連絡先を
聞かれたので念のため答えたら、
何と、
職場の看護師さんが
わざわざ車で即座に
私を迎えに来て下さいました。
そうしている間に
助けて下さった女医さんは
気づいたらひっそりと
いなくなっていました。
まるでスーパーマンのような
引き際でした。
あの時お礼が
言えませんでした。
それが心残りです。
私を迎えに来て下さった
看護師さんは
施設ではケアマネ兼務の方でした。
私より3つ
年上なだけなのに
多忙な私をいつも
随分と気にかけて下さっていて、
私にガス抜きが
必要だな、と感じたら
飲みに連れて行ってくれて、
今思えばどうでもいい
面白くもないような愚痴を
毎回聴いて下さっていました。
私はこの施設勤務中に
多忙で当時の恋人と
別れたのですが、
それを心配した
このケアマネさんは
何やらいろいろと
男性を紹介してくれました。
看護師さんの知り合いですから、
お医者さんも
たくさんいたのですね。
その中の方ともし
ご縁があって結婚していたら
私は今ごろ
超絶金持ちマダム、
だったでしょうかね😅
※お医者さんなら
公共の場で全裸でも
許してくれるかも⁇
とにかく私のために
何の得にもならないのに、
ご自分の時間をつかって
何度も私を
助けようと奮闘してくださいました。
時は流れ、
私は結婚して子どもを産みました。
ある日、3歳だったチビが
熱性けいれんを起こしました。
けいれんしたらすぐに
救急車を呼ぶように
知識を入れられていた私は
即座に119番に電話したところ、
救急隊の方がすぐに到着し
気を遣って我が家に入り
本当に優しく丁寧に
私とチビに接して下さいました。
救急車に乗ってからも
私が不安にならないように
声かけをしてくださって、
一緒に大学病院の
内診の先生のところへ行き
状況を話して下さいました。
私はお医者さんに
聞かれたことに
答えるのに気を取られ、
気づいたら
私たちを助けて下さった
救急隊員の方は
知らぬ間にいなくなっていました。
私は漫画みたいに
首をキョロキョロさせて必死で
彼を探したのですが、
もうとっくに次のお仕事へ
行かれたようでした。
また、お礼が言えなかった。
心残りが更に一つ
増えてしまいました。
きっと医療従事者の方は
いつもそうなんでしょう。
もちろん給料などの報酬はあれど、
お礼など気にせずに
次の方を助けるために
急ぎ足を進めるのでしょう。
助けて下さって
本当に嬉しかったです。
医療従事者の方々に
この場を借りて
お礼が言いたいです。
きっとあなた方は
人を助けることがまるで
ルーチンのように思っていらして、
大したことを
していないように
感じているかもしれないけれど、
あなたがもう
覚えてもいないような
例えば
道で倒れた名も知らない人を
助けたことが、
小さい子とお母さんを
運んだことが、
どんなに素晴らしくて
決して誰にでも出来ることじゃなくて
尊い行いなのかを
知って欲しいです。
日々の
何気ない善行の積み重ねが
どんなに貴重なのかを。
あなた方の溢れるような
愛情ある行いが
あなた方ご自身をも
幸福に導いて下さいますように。
医療従事者の皆さん、
心から、しきれないくらい
感謝しています。
本当にありがとうございます。
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この記事はチェーンナー先生の
バトン企画
「人生は人喜ばせ合戦」に
参加したものです。
チェーンナー先生には
私がnoteを始めた当初より
noteでお世話になっておりますが、
昨年度は私の教え子たちのことで
そりゃあもう
大変尽力して下さいました。
いつか記事に書こうと思いつつ
気づけば今年度の春学期も
終わろうとしています。
全くダメね、私。
チェーンナー先生、
いつも本当にありがとうございます😊
さて、
バトンを回すんですね。
花と緑のマジシャン
秋峰先生、
お願い出来ますか?
↓この、美のマジックを
とくとご覧あれ‼︎
の記事を書いて
バトンを回すそうです。
詳しい内容は、こちら↓
ご無理なようなら
お気兼ねなく
コメント等でお知らせ下さいね。
書かないでいい
バトンリレーのお返し制度や
バトンを渡さないでいい
アンカー宣言もあります。
どうぞご無理のないように
お願いします✨
ありがとうございます!頂いたサポートは美しい日本語啓蒙活動の原動力(くまか薔薇か落雁)に使うかも?しれません。