人間誰でも怖いものってぇものがあるんだ。
好きではないもの。
お漬物や酢の物、柿、辛い物、ベジマイト、ホワイトチョコレート、グリンピース、ネギ。
ミミズ、鳩、雷、大きな音、黒板を引っ掻く音。
真っ暗な場所、じめじめした場所、誰かが怒られている場所。
過激なドッキリ番組、ホラー映画。
数学などの理系科目、マット運動、跳び箱。
何かを褒める時に他を落とす言い方をする人、「まぢ、こーゆー、私ゎ」みたいな表記、誰かの陰口を言う人、否定から入る人。
(〇〇な人、に関してはそういった面がやや苦手だというだけでその人自身を好きではないと思ったことはない。誰しもわたしと合わない部分はあるはずだからしょうがないと思っている。)
たった5分考えただけでも意外とあって驚く。わたしはわたしが思っている以上に気にしいなのかもしれない。
昔はお刺身やミルクティ、ドレッシングが好きではなかったけど食べられるようになった。
お刺身はバイト先の忘年会のお店で食べたものが美味しくて好きになったし、ミルクティはタピオカブームに乗じて飲んでみたら美味しく飲めた。
写真の紅茶ラテもとても美味しかった。確かセブンイレブンで買ったような。
ドレッシングはかかっていたら食べるが、自らかけることはしない。まあ、食べられるようになったから良しとしよう。
お漬物と酢の物は克服できる気がしない。
「騙されたと思って食べてみなよ」という言葉に何度騙されてきただろう。
きっと前世のわたしはお漬物か酢の物が原因で命を落としたのだと思う。
ドレッシングは食べれるが、未だに好き好んでサラダにかけないので前前世くらいの死因はドレッシングに盛られた毒なのだろう。
多分前前前世はお刺身やらミルクティやらを口にして、、、
手垢のついた表現にはなるが、好きではなかったものを好きになる度に大人になったな、と成長を感じる。
それと同時に前世やそれよりもずっと前のわたしの死因を考えてしまう。
克服するのが遅かったものは直近の(直近という表現は正しいのか分からないが)死に関わったのかも、と思っている。
前世や来世を特別信じているわけではないのだけど、なんとなく考えてしまう。
何故、普段あれが好きだのこれが好きだのといった投稿をしていたわたしが突然、好きではないものの話を始めたのか。
それはこの前友人に「みおってあんまり"嫌い"って言葉言わないけど嫌いなものとかないの?」と聞かれたからだ。
初めにあげたように、好きではないものはもちろんある。
でもわたしは「嫌い」という言葉を意図的に避けている。
「嫌い」という言葉があまり好きではないからだ。
なんかこう、攻撃力強くない?
「好きじゃない」「苦手」と表現した方が良く思える。
だから「嫌い」とは滅多に言わないようにしている。
まあこんな些細なこだわりなんて誰も気にしていないだろうけど。それでも良い。
いつもわたしの好きなわたしで居たい。
これからわたしはどれくらいその数を減らすことができるのだろう。
ベジマイトは日本では口にすることがあまりないのでなんとかなるが、お漬物や酢の物が好きになれないのは結構困ることになりそうだ。
和食のお店にはよく出演するし、「お漬物、酢の物」と括りが広いので野菜嫌いの子だと思われるかも。
もし会食で料亭に行くことがあれば、必ず現れるだろう。以前、割烹で食事をする機会があったがその時は母にあげた気がする。
あまりマナーとしてはよろしくないのかもしれないのでどうにか食べられるようになりたい。
今回のタイトルは『饅頭怖い』の冒頭。遠い昔、寄席に行った時はこんな感じだったような気がする。
落語において冒頭文という概念はあまり適切ではないような気もするがまあいいか。
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