石炭をばはや積み果てつ。
勉強が好きだ。
「は?勉強が好きとか頭おかしいんじゃない??」 「真面目なの???」と聞こえてきそうだけど。
あまり共感されないけど。
誰になんと言われようとわたしは勉強が好きだ。勉強が好きなのは知識を振りかざしたいからではない。能ある鷹は爪を隠すとはよく言ったもので、ひけらかすのは愚の骨頂だ。
そうではなく、色々なことを知っていた方が自分のためになると思っているからだ。例えば会話でも知っていることが多い方が引き出しが多くてどんな話題にも着いていける。
話し手の言わんとしていることを支えられる踏み込んだ相槌が打てる。
話題をつくることも出来る。良い話し手であり、かつ良い聞き手でもある会話上手になれる。
もう1つ理由がある。
いつだかのnoteにかいたような気がするがわたしは良くも悪くも知的好奇心が旺盛だ。知りたがり。『七つの大罪』のマーリンのように、好奇心を満たすには一生は短すぎるが故に自らの時間を止めたいとさえ思っている。
「はや積み果てつ」なんて日は来ないのだろうと思っている。いいなあマーリン。ずるい。
昨日は水って掴めないのに押したり混ぜたり出来るのが不思議だなあと考えながらお風呂に浸かっていた。
今日は朝ごはんに食べたパイナップルの名前の由来がふと気になり調べてみたらpine(英語で松)+apple(英語でリンゴ)。
松ぼっくりみたいな見た目の実の、リンゴみたいな甘い香りのする果物だからだという記事を見つけた。
またひとつ賢くなった。
その時は由来の由来の由来の……と遡ったらどこに帰着するのかなあと考えていた。
その前にこの世の物体に名前を与えた人のネーミングセンスすごいな。
こんなこと考えるのは日常茶飯事だ。ちょっぴり変な子なのかもしれない。
良くも悪くも、と書いた通り悪い面もある。
あれも知りたいこれも知りたいと好奇心の赴くままに行動してしまうと体力精神力共に自分のキャパシティを超えて気疲れしてしまう。わたしは趣味がたくさんあるのだが、全ての趣味に全力投球では疲れてしまう。
当たり前のことだ。
そのことは頭では分かっているもののやはり全部手を抜けずよくキャパオーバーになっている。もう20代になったのだから良いバランスを見つけて倒れない程度に楽しむようにしようか。しかし何事にも全力なわたし自身のことが好きなわたしがいる。これは難題だ。
激寒の香ばしいことを言うが勉強して身についた知識は誰にも盗むことの出来ない宝だと思う。
財産になると思う。
知識がないように振る舞うことはいつでも出来るけど、知識がないのにあるように振る舞うことは出来ない。正確に言えばいつかぼろがでる。だからわたしは今日も明日も明後日もこの先ずっと勉強を好き好んでやることにする。わたしが好きなわたしを殺さないで、それでいていい塩梅のバランスを見つけるまでは全部フルパワーで楽しむことにする。
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