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BIZIO MIRAGO•••創造への進化 2.
凍りついた心臓に、一気に血が流れ込むような・・・。
前回は、芥川龍之介の、「蜃気楼」をレコメンド致しましたが・・・。
お読みになりましたか?
私は、読みました・・・。
人の精神の奥深いところに、潜む神秘的な、魂の深淵まで近づいては、現実に引き戻されて、そこから遠のくような、独自の世界観を垣間見ました。
芥川の小説で、最初に読んだのは、「蜘蛛の糸」と「芋粥」と「鼻」でしたが、同じ晩年頃の短編でした。
さて、本日は・・・。
絵画です。
ギュスターブ・モローの”オルフェの首を運ぶ、トラキアの娘”です。
はい、ここで、私の記事を読んでくださっている方々は、お分かりですね。
私の、名前は、ここに由来しています。
最初の絵画についての、お話に相応しい、チョイスですが、此処では、美術史的な内容は、最小限にして、(大学で専攻中)何故それに出会い、何故それに惹かれ、何故それについて、此処で紹介したいのか?を、ご一緒に、探ってみようかと思います。
この絵画に出会うまで
以前、小学生から中学、高校生くらいまで、ヤングケアラーだった事は、別の記事”苦難を超えて、栄光へVol.1”の中で、カフェ•カルペディエムのマダムMioに、お話しして頂きました。
中学一年生の、終わり頃、母が、日頃の私の家事を労ってくれてか、将来の進路の指針になるかもと、思ってか、以前から欲しかった、美術全集を買ってくれました。
全二十四巻あるのですが、毎月一巻ずつの配本でした。
図書館では、当時は、借りられなかったが、借りても重くて持ち帰れなかったか、どちらかの理由があって、そのアート•デュモンド(美術全集)が欲しかったのです。
毎月、新しい巻が来るのを楽しみにしておりましたが、ある日、ギュスターブ•モローの絵を探しても、探しても見つからなかったので、おかしいな、と思い、全巻探しました。
そしたら、意外にも、後期印象派の巻の中から出てきて、驚きました。
まるで、ルネッサンス絵画を見る様な、精緻な美しさと穏やかで優雅な色彩の中に、優美で静謐なエロティシズムが漂う、不思議な感覚の世界観がありました。
其の、ハッとする様な、美しさに、西日の差し始めた、自分の部屋に、暫く佇んでいました。
私と同じ様に、カンディンスキーも、モロー美術館で、彼の絵に釘付けになり、あの作家の、アンドレ•ブルドンも感嘆したというほど、意外な感動と、俗世間の野暮ったさが、微塵も感じられない、純度の高い、美しさなのです。
お金に変わる価値が、すべての価値基準ではないという証の様なこの作品は、パリのルーブル美術館蔵ですが、何年か前の日本での、モロー美術館展では、見られませんでした。
モローは、美術学校で、教えていたのですか、生涯其の絵画を手放さなかったので、彼の死後は、彼の住まいだった家ごと、国家に寄贈され、美術館に・・・。
彼の死後、サロンから閉め出された、ルオーを、其処の館長に、と言う条件付きで・・・。
彼の教えだ生徒には、あのマチスがいます。
さて、この絵に出会った頃は、多感な少女時代でしたが、将来に対しての、夢や希望とは裏腹に、辛い境遇に時には、めげそうになりながらも、かろうじて、美しい絵画や、文学、音楽や映画に、励まされたり、寄り添われて、過ごしてこられた訳です。
そして、この絵に出会った数年後、学生美術連盟の機関誌に美術史的な観点で、好きな絵についてのエッセイを書いて、と依頼され、この絵についての短いエッセイを書きました。
(機会があれば、ご紹介します。)
いつの日か、パリにある、モロー美術館の、あの、美しい螺旋階段を見たいと思います。
夥しい、彼の絵画と共に・・・。
そして、ルーブルにある、”オルフェの首を運ぶ、トラキアの娘”も・・・。
次回も、ご一緒に、弛まぬ創造を、巡る旅に出ましょう・・・。
Mio