潜在能力と絹織物 2.
見えない世界と、見える世界を繋ぐ•••
探究の世界
時空を超えて•••
前回は、” 見えない世界と見える世界を繋ぐ・・・探究の世界 “ というテーマで、潜在意識や哲学や形而上学、そして絹織物の歴史や探究について、お話致しました。
今回は、作品展が、見える世界に物として誕生するまでの製作や企画に至る前の、製作側の目に見えない創造の源を探ってみたいと思います。
もう一つの記事 ” BIZIO MIRAGO.創造への進化 ” の芸術の創造ではなく、絹織物の世界の研究者や染色家や機織職人や意匠に係る人、企画や作品の製作意図等、イメージや直感なども合わせて統合する前の、其々の頭の中は、一体どうなっているの?と、いう事です。
やはり、これも、見えない世界から始まります。
宇宙の創造と同じ様に、全ては、見えない意識の世界から、始まるのです。
全てのクリエーションは、見えない世界から始まるので、同じクリエーションという言葉が使われているのです。
「これから答えのない時代を生き抜くには・・・。」と、最近では、よく言われていますが、元々見えない世界には、答は一つだけ、という事はないのです。
従って、マニュアルだけでは、全く・・・通用・・・いたしません。
ただあるのは、製作者の直感とセンスと美意識、そして、妥協を許さない、美への執着と情熱だけです。
もう一つは、時空を超える、という発想です。
復元は、過去から現在まで数世紀の時間が経過し、保存状態が良く時間の経過と共に、変化してきている状態のものを元にして、復元致します。
それには、高度な技術と、幅広い知識が、その内容を再現するために必要となるのです。
しかし、私達は、時空を超えて、イメージを過去にまで遡らせて、往時に思いを巡らせて、そこで得た感触を直感と想像力を駆使して、現在にまで持ってくるのです。
もちろん、技法も含めての事ですが・・・。
まるで、それは、冥界に下って、死した妻をこの世に連れ戻そうとした、ギリシャ神話のオルフェウスのようですが、オルフェウスは、最後には、愛故に、巫女達の誘惑を拒み、命まで落としてしまうのです•・・嗚呼、何と御無体な•••。
それ程、美しさに魅入られた者の運命は、愛の為に命までを落としだ、オルフェウスのように不条理なものなのです。
何故なら、美しい物が誕生したら直ぐに、もっと美しい物を求めてしまうのですから・・・。
さて、お話を現代に戻せば、国産絹織物の質と価格の再構築と、手と機械の棲み分けを目指して活動して来たのですが、手機との交差点は、機械から手に向かい始めてみると、意外にも同じ室町期に遡る事に・・・。
元々、この活動の切っ掛けは、ある短期大学の百周年事業の一環として、彦根屏風の中にある、室町期の小袖を、原寸の四分の一にして、人形作家が製作した屏風と同じ人物に似せたお人形に、当時の織や染めの技法を再現し、着せてみてはどうだろうか・・・というところからの、着想にありました。
当所の製作担当者が、企画し、文章まで書くのを手伝って、当時、京都の若手の職人達を集めて製作した際、今の絹織物とは、違う製法や、今では出来なくなった技法がある事が判明したのが、切っ掛けとなっているのです。
それから少し経った頃、知り合った、絹研究家で手機作家でもある人物が、当所の設立当時のメンバーの一人でした。
その技法は、今の既存の方法とは、全く違う技法で、皆さんが思う絹とは、その手触りも、見た目も、機能性も、全く違います。
絹織物の品質を決定する要素が、全て既存とは違うのです。
その要素とは、蚕の品種、保存法、繰糸法の三要素です。
その頃までは、法律で、蚕の品種がいじれなかったので、国の養蚕製糸法が撤廃するのを機に、最初は、任意団体として、そして、袂を分った後は、ベンチャーとして、今に至った訳ですが・・・。
その道のりは、常に背水の陣で、冒険とスリルとサスペンス?の連続でしたが、普通では、出会えない人、行けない所、あり得ない出来事に遭遇して、文字どうり紆余曲折でした。
昨年夏に、あるセミナーに参加した際、米国の企業のコンサルティングや個人のコーチングをしている方から、正に、自分がしたい事を目標にすると言う事は、直線ではなく、絵に描いて例えるならば、スパゲティ状の紆余曲折を体験する事で、マニュアルでは得られない、一つの普遍的な摂理に基づいた、法則がある。
と、幾つかの成功している著名人の例をあげられ、その事に、自然に気付かされました。
従って、人生の目標も複数あっても良いのです。
特に、ここ数年来の世界で起きたクライシスを見ると、メディアの情報がなくとも、伝わって来るのは、情報のアンテナは、屋外だけではなく、自分自身の内部の奥深いところとそれと繋がる、高次の宇宙の潜在意識に繋がるところにも張っておく必要があると言う事です。
他の記事 “ 覚醒するは•••汝にあり “ でも、その事を書いています。
ここ数年来、保存法と繰糸法をより手仕事に近い方法に変えて製品開発をして参りましたが、気付けば、織の外注は、経糸は手仕事ですから、緯糸だけが機械なのです。
つまり、動力源が人力から蒸気や電気に変わる以前、つまり、前回の " 潜在意識と絹織物1. " でもお話しした、” 産業革命 “ が、その分岐点だったわけ
です。
手機との交点の境界線は、此処でした。
問題は、交点を通過した後、何処にいくのか果たして、機械製織で手機を超えることは、可能なのか、それとも、それ自体が、意味のない事なのかと、言う事です。
現在は、原点に立ち返り、また一から、初めなければなりません。
再び、さらなる美しい裂をもとめて・・・。
タイトルの上の写真は、交易時代、大名から遊女まで、江戸の流行は、長崎出島から、と言っても良いほどに、当時流行した、奥嶋物(島と縞をかけて)からインスパイアされて製作した、「長崎縞」の着尺です。
少し、オーパーに言えば、彦根屏風から始まり、長崎の奥嶋物を経てたどり着いた、長年の悲願であり、渾身の作品です。
そして、昨年からは、以前開発した室町期の裂を、違う技法で開発中です。
今年は、皆さんも、潜在意識に繋がって、ご自身の潜在能力を信じて、この美しい地球🌏の遍く人に与えられた、愛と光の中で、癒されながら、人生に於る探究の旅に出かけてみましょう。
遍く人の、覚醒と癒しの為に•••。
May both awakening and healing be with you !
Mio