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リクルート→スタートアップの新規事業開発責任者に。SHE松尾真里の「わたしらしく」働く仕事術

💡本記事は、 女性向けキャリアスクール「SHElikes」のインタビューライティングコース提出課題「インタビュー映像を見て、取材原稿を書いてみよう」です。インタビュー内容やインタビュイーの所属は取材当時のものです。
・テーマ:「仕事をするうえで大事にしていること」
・想定媒体:Woman type
・想定読者:Woman type の既存読者・潜在読者
・与えたい読後感:明日からまた仕事を頑張ろう、私も何か挑戦したい
 ※SHElikesについては【こちら】をご参照ください

「自分が納得できる働き方って、いったい何だろう」。そんなふうに悩むことが、誰しも一度はあるのではないだろうか。

転職やフリーランスなど、働き方の選択肢が増える中で、将来のキャリアをどう描くべきか迷う女性もいるかもしれない。

女性向けマネースクール「SHEmoney」のブランド責任者として活躍する松尾真里さんは、試行錯誤しながらも、自分らしいキャリアを歩んでいるひとりだ。

SHE株式会社「SHEmoney」ブランド責任者
松尾真里さん
2016年に九州大学農学部卒業後、リクルートホールディングスへ新卒入社。IT企画部門、メディア&ソリューション事業の新卒領域などを担当。2020年、当時社員数が10数名だったSHE株式会社に転職した。同社では新規事業責任者を務める。

松尾さんは、2016年に九州大学を卒業後、リクルートホールディングスに新卒入社。IT企画部門での業務やメディア&ソリューション事業の新卒領域などを担当してきた。

その後、2020年に当時社員数が10数名だったSHE株式会社に転職し、新規事業責任者を任されることに。

20代で何かをやりきりたかった」と語る松尾さんは、どんなことを軸にしてキャリアを歩んできたのだろう。日々の業務の中で大事にしていることについても話を聞いた。

20代でキャリアの紋所(もんどころ)を作りたかった

ーー新卒でリクルートに入社したきっかけは何だったのでしょうか?

大学時代、シリコンバレーの近くに留学をしていたころ、Googleなどのスタートアップ企業に毎週訪問する機会があったんです。そのとき、「IT技術やプロダクトを作る人ってかっこいいな」と憧れを抱いたのが最初のきっかけでした。

帰国後は、プログラミングを学んだり、プロダクト開発をしたりもしたのですが……。マネタイズができなくて頓挫してしまったんです。「絶対にこの分野をやりたい!」というものもありませんでした。

そこで、まずは起業家を輩出することで知られるリクルートで「事業開発ができる人材になる」ことを目指して、入社を決めました。

ーー当初は、リクルートを辞める気はなかったそうですね。急にSHEに転職されたのは、何か理由があったのですか?

そうですね。リクルートでは、さまざまなスキルを身に付けていきました。その中で自分で起業しようと思ったタイミングがあり、自主的に、起業家に事業アイデアのフィードバックをもらっていたんです。

そのとき、SHE代表の福田から「ランチに行こう」と誘われて。事業アイデアを伝えると、「じゃあうちでやらない?」と言っていただきました。そして、その日中に「行きます」と返事をしたんです。

ーーそういう経緯だったんですね。どうして20代でそのような大きな決断ができたのでしょうか?

私の場合は、「20代で何かをやりきったキャリアを積みたい」という思いがありました。出産でキャリアから離れたとしても、「私はここまでやってきている」という、紋所みたいなものをつくりたかったんです。

ーー紋所って、すごく独特なワードですね!

これが、20代にこだわった理由かもしれないですね。

ーー現在、松尾さんがブランド責任者を担当されている「SHEmoney」も紋所のひとつになっていきそうですね。

はい、そうですね。まだ発展途上ですが、ゆくゆくは性別や年代でターゲットを限定せずに、事業を展開していきたいと考えています。

挫折経験から学んだ「自分らしい」マネジメント術

ーーブランド責任者として、日々チームのマネジメントをされていますよね。マネジメントスタイルについては、どのように確立してきたのですか?

リクルート時代の挫折経験から、今のスタイルが確立されていると思います。

新卒3年目でプロジェクトリーダーに選ばれたとき、年上のメンバーもいるグループのマネジメントをすることになったんです。最初は、キリッと姉御肌で、トップダウン方式でやっていました。けれど、それがうまく機能せず、結果的にチームが崩壊してしまったんです。

そのときは、ストレスも極限状態でした……。リクルートのリーダー像である、いわゆる引っ張っていくリーダーが正解だと思い、一生懸命頑張っていました。でも、自分のスタイルとは違うと気づいたんです。

そのとき、少し立ち止まって考えました。私はリーダーシップを発揮するタイプではなく、フォロワーシップタイプだと。

そして、メンバーへのコミュニケーションの仕方もガラッと変えました。「ちょっと助けてくれませんか」というスタンスを意識したら、うまく回るようになったんです。自分の違和感にちゃんと気づいて、立ち返ったことが大きかったですね。

ーーそのとき、助言をくれた人はいたのでしょうか?

はい、いました。上司や信頼している先輩に、「どうしてこんなにうまくいかないんだろう」と、ありのまま相談していました。その際に助言をいただいたことも、気づくきっかけではあったと思います。

ーー現在、チームメンバーとのコミュニケーションで大事にしていることはありますか?

一番大事にしているのは、心理的安全性です。新規事業の場合は、意見に正解がないんですよね。なので、普段からいろいろなアイデアが出やすい環境を整えることを心がけています。「どんなアイデアも出していい」「まずはいいね!から始める」。そういった雰囲気づくりを大切にしています。

あとは、私自身もあまりかっこつけずに、悩みもそのまま話していますね。「正直ここ行き詰まってるんだよね」とか、明るく「もうまじつらい!」のように。

悩みって、1人で解決しようとするとキツイけれど、シェアすると負担が減るんです。仲間たちにシェアすることで、乗り越えてきたところもあるかなと思います。

仕事はバトンパス。周りの人への想像力を持って働く

ーーそんな自分らしさを模索しながら働いてきた松尾さんですが、現在の仕事をする中で、特に大切にしていることはありますか?

想像力を持って働く」ことを心がけています。というのも、新人のころは自分のタスクのことしか考えずに、関係者への想像力をまったく持たずに働いていたことがあって。

ーーというと?

「自分のタスクが終わったら、あとは知らない」という気持ちで仕事をしていました。納品物の期日を守らなかったり、期日を勝手に伸ばしたり……。その結果、最終アウトプットの質が下がり、周りの信頼を失ったことがありました。

それ以降、タスクってバトンパスリレーなんだなと思って。自分のあとには必ず、次に走る人がいる。次の人が走りやすいようにバトンを渡すこと、つまり、相手への想像力を持って仕事に対峙することが大事だと思うようになりました。

ーーそうやって気づいた後、心がけたことはありましたか?

まず最初は、新人でスキルもなかったので、スピードを武器に信頼を積み上げていきました。来た球を一瞬で返す、のような。その間にスキルを磨き、質の高いものをアウトプットすることを1年ほど続けた結果、入社3年目にはマネジメントを任せてもらえるようになりました。

まずは、目の前の仕事に真摯に取り組み、地道に周囲からの信頼を積み重ねることが大切だと思います。速いレスポンスと、相手の立場に立ったバトンパスを心がけること。そうすることできっと、新たな道が開けるはずです。


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