普通とは違う特性や障がい≫親の看取り

私が20代前半で、父が亡くなりました。肝硬変と食道静脈瘤と多臓器不全でした。

亡くなってホッとしたといえば、素直に清々しい気持ちです。

死後も苦しめられたのですが、父は分かっていた様です。【お前はワシを恨むやろうな】

思春期には、【恨むな!】【しかえしをするな!】【お前はグレると思っていた!】【お前はなぜぐれないのだ!】と思われていた様です。

【決めつけやがってと青年期に反論しました】

【お前は考えすぎるな!きっと、良い先生にも出会えるから、ふらっと海外に行ってみたら?自由に生きていけと…】唯一、最後の遺言でした。

【当時は…私の持病…あらゆるものになりました】

心療内科や精神科やスピリチュアルカウンセリングなど、あらゆるもので、癒やしてきました( ꈍᴗꈍ)

パニック障害や不安神経症等、父のDVの影響、PTSDを経験し、ようやく、落ち着いて、何もかも、向き合えるころに、結婚し、子供を授かりました。子供を持って、親の気持ちが少なからず、理解できました。

母親が精神病院で通算20年近く入退院していて、盆と正月はクリスマスは帰省し、育て親代わりの親戚のフォローもありましたが、末期ガンのため、専門機関のホスピスを探してました。紹介状を持って、婦長さんとアポがとれ、年末年始に、ようやく、見つける事も出来ました。私が20代後半で、母は50代前半で死去しました。

薬物依存の受け入れは、難しいかと思いましたが、もう、20年以上も足を洗って、精神病院での時間が長いため、体には、薬物はありません。肝臓ガンの母親は、そこまで、暴れる元気は無いと伝えました。唯一の好きな、チェーンスモーカーで、苦労も多い中、ようやく、母親との楽しい時間を過ごせたのです。公園とか母親と行けなかったけど、動物園は楽しい思い出でした。

ホスピスのスタッフさんは、母親に向かって、娘が、どんなに苦労したか、わかるの?と怒ってもいましたが、最後の最後くらい親子らしい時間を過ごさせて欲しいので、責めるのも止めて、そっと、お願いしました。

世間では、そんな親、ほっておいて、幸せになりなさい。どうして、逃げないの?どうして、言わないの?と世間は、また、私を責めてる様に聞こえてしまい、怒りや命令で話したり、必要以上の心配は呪いと同じでした。

単なる会話なのか、結婚しないの?出産は?色々と言われました。確かに、早くに色々と結婚してれば、色んな気づきを知ることも出来たかもしれません。私は自分自身のメンタルが不安定で治療もしていたので結婚は後で良かったと思いました。こうあるべきだ!と束縛感が世間には蔓延し、私はツラかったです。病んでみて、分かる事もありますが、ワザワザ、病んだ訳でもなく、気づいたら、自分自身の居場所がそうだった。

ホスピス側に、お礼のメールを送り、ご家族の温かさに感謝しますと言われました。

私は…最後の親孝行が出来て良かったです。父の影響で苦労した時間を、少しでも親子らしい時間が送れたことに感謝ですね。両親も何かしら、世の中が生きづらい、発達障害を抱えていたのは、間違いないので、私は…そう言うのを理解するため、子供の発達障害を寄り添い、深い部分と繋がりが出来た巡り合わせなのだと思います。人と違う部分との共存し、互いが認めあえる距離感が大切ですね。
普通と言う定義やルール、枠や型に、はめる生き方は合わない。自由過ぎたら、世間の目があるし、反発にもあう。どこかで、個性とピュアな部分をどこまで伸ばせるだろう。癇癪や自己嫌悪感をどう向き合っていこうかと思っています。
自己受容、自己肯定感、自主性、主体性、本当に大切だと実感しました。短所も長所も自分であること、世間が敵でも、自分を好きでいたら、いずれ、誰かは、共感してくれるかもしれません。

親も人であり、完璧ではありません。ワンオペ育児で悩む親御さん、世間では、皆さん、いっぱい、いっぱいなのかもしれませんね。

悩まないなんて、ムリだし、良くしたいから悩むであって、悪い方へ考えるのでなく、今と未来を良くしたいから、人は悩むだと思います。悩むのも一種の回避でもあるんですよね。答えをだすと向き合わなくてはいけませんから、悩んでる時は回避しているだと思いますね。そう言う時期もあると思います。

皆さん、自分自身を責めたくなったり、否定感情に流されますけど、何事も、必要以上の心配は病気であり、呪いにもなるので、程よくしましょう。

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ブッダな≫自己受容アップデート中
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