思い通りの現実にならないのはなぜか
今夜はスーパームーンだそうです。満月だね。
大きくてきれいに見えるみたいなので、お月見団子を作ったりしながら楽しもうと思っております!
そして満月だから定例の、たにもとゆきさんとのYouTube LIVEがあるよ。
ついさっき目にしたゆきさんの
というのがめちゃくちゃ名言だな!と思ってさあ。
ほんとうに大事なポイントだと思う。
感情の揺れが激しいとか、アップダウンがあるということ=感情が豊か、ではなくて、むしろその逆。感情の揺れやアップダウンは、「自己防衛反応」というものが、機械的に作用しているだけ。
自己防衛反応はどんなときにはたらくかというと、自己欺瞞(いつわりの自己)に触れられそうになったとき。
自分は賢い、という仮面をかぶってアイデンティティーにしているひとは、そう扱われることを期待するので、期待どおりに扱われなかったときに自己防衛がはたらく。
自分はまじめで他のひとのために一生懸命、という仮面のアイデンティティーのひとは、評価や感謝を期待するので、期待どおりに扱われなかったときに自己防衛がはたらく。
自己防衛からくる感情の反射は、「怒り」「不平不満」「悲しみ」という形になって、それは自然に攻撃性を帯びるので、相手を攻撃するか自分を攻撃するかその両方かの暴力的な反射になる。その反射にやたらめったらやられているひとが、いつわりの「繊細さん」みたいにもなる。
ほんとうに「感情」という、「感情体」というエネルギーを、自分の内なるパワーとして活かすためには、その反射的な防衛を超えて、奥の奥のほうにじつは感じられないように隠されているの”自分をいつわっている信念”のほうを見ていくしかない。
反射的に、相手に対して球を打ち返すのではなく、
打ち返さずにはとてもじゃないけれどいられないくらいの、感じないようにしまいこんでいた、ものすごい怒りや、ものすごい悲嘆や、ものすごい虚無感や無力感や無価値観を、ぜんぶ白日の元にさらさないといけない。
でも、ものすごい怒りを抱えているということは、「わたしは穏やかでいい人」というアイデンティティーとは相容れないことだし、ものすごい悲嘆を抱えているということは「わたしは明るくて楽しい人」というアイデンティティーとは相容れないし、ものすごい虚無感を抱えているということは「わたしは元気で活発で人生を謳歌している人」というアイデンティティーとは相容れないから、だからそこを見ないために、仮面の自分でつつがなく生きるために、それらの感情エネルギーはひたすら抑圧されていく。
そうすると、それらは影となり投影となり、ずっと自分の人生について回ってくる。なぜか思い通りにならない現実として。
思い通りの現実にならない。なぜか。
仮面の自分を、ほんとうの自分だと思わせてくれるような出来事や、受け答えや相手からの反応を、ずっと期待しつづけることになるから。
外部からの反応のすべてに、自己存在をゆだねてしまうことになるから。
落ち着いて、自分の道をくつろいで歩んでいるひとたちは、一人残らずこのプロセスを経ているひとたちなのだと思う。だからときに彼らはとても無機質に見えるし、ドライに見えるし、「冷たいんじゃないか」とすら思われる。
でも、それは感情のエネルギーの使いどころを知らないひとたちから見た印象であって、理性で感情を抑えていて表面的におだやか、ということとはまったくちがうことなのだ。
ほんとうの優しさ、ほんとうの思いやり、ほんとうの意味で他者の資源になるひとたちは、みんな機械的反射のその瞬間に沸き起こる「自分の感情体」のエネルギーに気づいて、それこそを余すところなく認識したひとにしか持ち得ないものなのだと思う。
みたいな話はぜんぜんしないと思いますが、今夜、そんな「自己認識WAY」を同じ志で歩んでくれる魂の家族であるゆきさんとYouTubeでおしゃべりしております☆
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