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もう一度ピアノを弾きたい
意を決してピアノの体験レッスンへ。
意を決したのは先月だったけれど、ドキドキしながら当日を迎えた。
なに?ピアノ?
とお思いでしょう(そうでもない?)。弾けるの?と。
……ひ、ひけ、弾けますん。
え、どっち!?って自分でもなるのですよね。弾けますの?弾けませんの?と。なのでその間を取っての「弾けますん」。これがとてもしっくりくる。
ピアノ歴でいうと、3歳から17歳くらいまではずっと習っていました。親が転勤族だったから国内をあちこち引越しまくった日々でしたが、その土地土地で親がどこからともなく先生を見つけてきて、とにかく習いごととしては14年間つづいていた。
ふつう14年間、たとえば毎日30分くらい練習して、週に1回レッスンして、年に1回か2回は発表会などをやればそれなりに上達すると思うでしょう。
ところがわたしは心の底からピアノがいやだった。
なぜか毎日の練習が課せられていたので、心を無にしてハノンで運指の練習をし、課題曲をこなしてはいたけれども、ほんとーうに!いやだった。
今思えばなにがいやだったのかというと、ピアノの世界で大きく何かが分かれていくポイントとして、「初見で弾けるひと、譜読みが早い人」と、「初見できない、譜読みできない人」の格差が生まれてくることだったと思う。
わたしはとにかく譜読みが遅くて、あの五線譜に書かれた黒い丸たちを、うううとうなりながらひとつひとつ「えーと、ここがドだから、レ、ミ、ファ……」と、その音階の度数を数えながらしか弾くことができなかったのだ。
自然と1曲をマスターするのが遅くなるし、譜読みが苦手だと無意識のうちに音を耳で覚えてなんとなく弾けるようになるものの、目で楽譜を読んでわかって弾いているわけではないから、いったん調子が外れるともろい。
美しい曲、弾きたい曲はたくさんあるのに、一向に上達しない。どころか、自分よりピアノ歴が浅い子たちがどんどん自分より難易度の高い曲を弾きこなしていく。
そんな状況が輪をかけて、わたしをピアノ嫌いにしていった。
高校生になって大学受験があるので!と大手を振ってピアノを辞めることができたときはせいせいした。もう弾かないでいいんだ、もうがんばって楽譜を読む(というか音符を数えたり、シャープやフラットを覚えたり忘れたり)しなくていいんだと思ってうれしかった。
引越しも多かったし、いつのまにかアップライトピアノはほこりをかぶるようになり、どさくさにまぎれて売っぱらってしまった。もう実家にもあのピアノはない。
というのがわたしとピアノの悲しい出会いと別れの話なんだけど、去年からもうれつにクラシック音楽だけをひたすら聴くようになってからというものの、ふつふつと「もう一度ピアノを弾きたい」という思いが湧いてきていた。
じつは何度か、ここ数年の間にもレンタルでピアノを借りてみたり、お友達に使っていない電子ピアノを預かりがてら借りてみたりと、家にピアノがある時期はあった。あったものの、わたしの記憶にある「手厳しい先生のもとで叱られながらピアノを弾いていた」時代のトラウマのせいで、さすがに習いたいとまでは思わずに、ただ手なぐさみ程度に昔弾いていた曲をぽろぽろ弾く程度だった。
ちょ、ここまで前置きなんだけど……笑。
今回の先生とは、体験レッスンの前のzoom面談の時点で「わたしはものすごく譜読みが苦手なんです。パッと楽譜を見て音を捉えることができません。だからもしかしたらコード奏法とかを教わったほうがいいのかもしれません」と相談していた。
先生は、ザ・ピアノのお教室の先生という風情の、美しく上品な、大きな邸宅の前にたくさんの寄せ植えに花々を上手に咲かせているような女性だったのだけれど、「では当日はどれくらいの感じなのか、ちょっと見せていただきますね」と言っていた。
てっきりわたしは「かえるのうた」の五線譜でも弾くのかな~なんて思っていたら、出された楽譜はショパンの「24の前奏曲(プレリュード)作品28 第7番 イ長調」」ではないか。
譜読みできないって言ってるのに、シャープがみっつもついたイ長調ですやん。
「あの、わたしもはやハ長調しか弾けないくらいのレベルなんです。もう、シャープがどの音についているのかを数えるところから始めないとです」と遠慮がちに言葉を発したら、そこからは先生の独断場だった。
「ト音記号のシャープは数えなくていいです。なぜならついている順序がどの長でも変わらないの。付く順番は「ファドソレラミシ」。これだけ覚えてしまえばいいです。この譜面ではシャープはみっつ。
みおさんは譜読みに苦手意識をお持ちなので、それだけで気が重いことでしょう。
でもみっつということは「ファドソ」です。数えなくても、前から順番のみっつがシャープだということは、見た瞬間にわかりますよね?」
「そしてこの五線譜の中でパッと読める音符はどれとどれですか? そして読めない音符は? きっとすぐには読めない音符まで、読める音符から数えていたと思います。けれどこうしてカタマリで見てみてください。
連なりで見ていくと、読める音符から読めない音符までの間にある情報が見えますよね? そう、ここです。ここからだったら線を挟んでつながっている。線を挟んでつながっているという音符同士はすべて3度です。
3度だったら数えるのはそんなに大変ではないでしょう?ドミ、とかミソ、とかレファ、とか直感的にわかるものもたくさんあるのでは?」
そんなふうに、これまで14年もの間にいろんな先生についてきたけど、誰一人としてわたしに教えてくれなかった数々の目からウロコの視点・考え方をばーっと教えてもらって、いやいや魔法のように譜面が読めるようになったりはしないけれども、「あ、わたしこの考え方とこのトレーニングでいけば、譜読みできるようになるわ」というたしかな手応えがあって、途中は思わず涙ぐみながらレッスンを受けていた。
あの頃の、10代だったわたしはとにかく「ああ、ピアノいやだな。楽譜を読むのにものすごく時間がかかる。1曲を仕上げるのもうんと遅い。他のひとが当たり前にできることが、わたしにはどうにもよくわからないし、できない」ということが苦しくて苦しくて、なぜそれが起こっているのかを考えることもなく、えいっとピアノを放り投げることでしか自分を解放できなかったんだと思う。
それはそれで仕方がない。
でも先生は体験レッスンの30分間の中で、わたしがいまどういう状態で、なにができていてなにができていないのか、どんなことに対して過剰に反応しているのかを正確に読み解いてくれて、そして解決の道筋を見出してくれた。
わたしは自分がなにに苦しんでいたのかがわかったことと、その苦しみは正しい考え方とトレーニングによって、いずれ確実にやわらいで消滅していくであろう希望が見えたことと、
わずか数小節だけだったけれども、先生のアドバイスによって「えっと、ここがあれだから、いち、にい、さん……」みたく数えることなく、さりとて「耳と手の場所で覚えちゃえば弾ける」みたくその場しのぎでこなすことなく、譜読みをした上で弾く、ということができたときに、
「譜読みがさらりとできるようになっていて、好きな曲の演奏を自由に楽しんでいる自分の姿」がイメージできたこと。
が、ほんとうに今日の収穫だったし、なにより「そういえばピアノのレッスンってコーチングという形式の元祖中の元祖だよな」と思ったりした。
ピアノの先生って、完全にコーチだもんな。
うわあ、良いコーチに巡り合うってめちゃくちゃ大事なことなんだなあ。
なんだか自分の職業を振り返ってみて、身が引き締まる思いだった。
自分がなにに苦しんでいるのか、わからないことが苦しい。わからないからただ手っ取り早くなんでも投げ出して逃げてしまうしかなくて、それ以外は見えない。
どうすればいいかわからないの、と両手で顔を覆って泣きたいひとたちのために、対人支援のお仕事はあるのだ。
ショパンのプレリュードをちょっと弾き、モーツァルトの『キラキラ星変奏曲』をちょっと弾き、今日の体験レッスンは終了。
2025年のわたしの習いごとに、ベリーダンスに加えてピアノが新たにやってきたのでした。うわあ楽しみすぎる。
また経過や気づきなども書いていきますね!あんにょん!
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