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聖なるその日暮らしをしよう
先日ゆきさんから「2025年はみおちゃんはなにをするの?」と無邪気にたずねられ、ちょっと答えにつまった。そしてときは”大寒”で、引き続き「ここからの一年間をプランニングするのに最適なタイミング」だという(わたしがその”聖なる暮らしぶり”を尊敬してやまない、まつばらあやちゃんのnoteより)。
でもわたしは今年いちねん、聖なるその日暮らしをしようと思っているんだよね。
なので2025年はきっと、聖なるその日暮らしをしている自分を観察している一年になるのだろう。
ついさっきまで読んでいた松村潔先生の本の中に、「”生涯現役”という言葉は、60代とか70代とかの人々までをも経済社会・経済活動にしばりつけるもの。でもみんな、そんなひまじゃないだろう。だいたいその年代は”遊行期”である」みたいなくだりがあった。
この、仕事至上主義というか、やりがいのある仕事で経済活動をしている個人ばんざーい!みたいな価値観の社会の中で、そんないつまでも経済活動してるほどみんなひまなの? と言えちゃう松村先生はやっぱり最高だなと思う。
ちなみに遊行期とはインドの概念らしいです。ちょこっと引用。
インド人は、人生を4期間に分けて考えるという。この「四住期」においては3つ目の「林住期」が人生の最高の期間とされる。
●「学生期(がくしょうき)」(生まれてから25歳まで)
まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。
●「家住期(かじゅうき)」(25歳から50歳)
仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。
●「林住期(りんじゅうき)」(50歳から75歳)
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
●「遊行期(ゆぎょうき)」(75歳から死ぬまで)
人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。
ああでも自分で引用して書いてみて納得した。
50歳からの林住期の生き方と、これまで社会に出て必死に仕事して稼いでパートナーシップに取り組んで子育てに右往左往していた家住期の生き方って、ちがって当然なんだな。目標もプランも立てづらいわけだよ。
ちょうど今日のライフコーチングでクライアントさんと話しているときに、わたし自分で「もうあまり世俗のことに興味が持てないんですよね」と言っていた。だってそれはもうわたし、30代に入る前から今の今まで、20年近くやってきたもん。もういいよって感じ。
自分らしく自由に、人間らしく生きる時期っていいね。
ある作家の方は「この時期こそ人生の黄金期」と書いていた。そのとおりだと思う。
さて、「2025年みおちゃんはなにをするの?」という質問、答えにつまったけれども、じつは答えがないわけではなかった。
ただうまく伝わる気がしなかったので、答えあぐねていただけで。
わたしは、2025年はおそらく「呼吸」「足首・足腰」「食べること」の、未知なる、聖なる領域に触れていくだろうと思う。
生きることの本質には「呼吸」の質というものが深く関わっていると思うし、この天地において人であることの本質には「立つこと、歩くこと」の質というものが深く関わっていると思うし、さらにこの地球で生命エネルギーをかがやかせて生きることの本質には「食べること」の質というものが深く関わってくる。
呼吸は浅すぎてもいけないし、深すぎたらいいというものでもない。
足首と鎖骨にはまだ知られていない領域がある。
食べなさすぎても動けず冷えてよくないし、だからといって満腹感はひとを重くしダメにしてしまう。
わたしはスラックラインが超苦手で、1秒もそのライン上にいられないようなバランス取れなさすぎ人間だけれども、自分だけのバランス感覚というものを2025年は身につけてみたいと思っている。
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