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0865. 超努力 super-efforts
「普通の努力は勘定に入れられないことを理解しなさい。超努力 super-efforts だけが勘定に入れられるのだ。それは常にすべてのことにあてはまる。超努力をしたくない人はすべてをあきらめて健康にでも注意した方がいいだろう。」
「……ある目的の達成に必要な努力を超える努力だ。私が一日じゅう歩いて非常に疲れていると想像してみなさい。天気は悪く、雨の降る寒い日だ。夕方、私は家に帰り着いた。まあ、25マイル(約40キロ)ばかり歩いたとしよう。
家には夕食が用意され、暖かくて快適だ。しかし、座って夕食をとる代わりに、私はもう一度雨の中へ出てさらに2マイル(約3.2キロ)歩き、それから帰ってこようと決心する。これが超努力だ。」
「このひとは風格がある」とか「このひとはオーラがある」とかは、すべて上記の”超努力”(あるいは修羅場)の経験のあるなしによる。
夕食の用意された暖かいおうちに背を向けると決める、自分をもう一歩限界まで追い込む力を、この場合は自発的に発動させている例だけれど、たぶん大きな病気や怪我などで死に瀕したことのあるひとたちも、無意識下においては肉体レベルでの”超努力”が為されているんじゃないかな。
きのう、祝里ちゃんと飲んでいるときに「毎日noteがもうすぐ3年目を迎えて、それで終わるのがすごく楽しみ。待ち遠しい!」と話した。
けれど、ちょっと前までは「やめるのって怖いな、やめたらもう二度と書かなさそうw。そうなると仕事的にまずいんよな……」と考えていた。いつのまにかさっぱりやめる気になっていたらしい自分に驚いた。
やめることを恐れていたとき、毎日noteを書くということそのものを、たぶん「活動量」とイコールにして考えていた。仕事ってすごくシンプルで、成果と活動量はわりと比例する。わたしにお仕事の相談をしてくるひとたちを見ていると、「活動量のギアをあげていくだけでいいんだけどな」というケースも多い。
でも書いていて、わたしが毎日noteにチャレンジしているここ数年は、これまでの人生でほとんどやってこなかった”超努力”の領域に関することをやっているんだということがわかった。
肉体的にはヘトヘトのよれよれで半目どころか白目を剥いているくらいのとき。感情的にはぼろぼろで悲嘆にくれて号泣真っ最中のとき。思考的には真っ白で1ミリもなんのネタもアイデアも浮かび上がってこない、思考停止のとき。
となりにはふかふかのお布団が敷いてある、暖かいベッド。もう寝ちゃいたい。寝ちゃえばいいじゃん。べつに更新しなくたって死にやしない。
というところで、雨の中で2マイル歩くわけではないけれど、白目剥いてパソコンを開いて2000字文章を打ち込むということを、毎晩やる。ほぼ毎晩、ではない。ほぼ毎晩と、毎晩必ず、は、1000倍違う。
超努力、ということを、人生でやってみたかったのだった(ちなみにまだやり遂げてないかんな!笑)。
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2022年6月スタートのライティング・ライフ・プロジェクト第11期生、満席です。ありがとうございました。
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<世界観と表現>ビジネスコーチング、2月スタートは満席となりました。
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