それが正しいか正しくないかなんて、役にたつかたたないかなんて、そんなのは別にどうでもいいこと
こんな人生、生きている価値があるのかな?と、思ってしまうほどに相当にキツイとき、わたしには想像もできないほどに、そう語るその相手は苦しみの渦中にいるのだろうと思う。
もちろんわたしだって50年近く生きているわけだから、それなりにキツイときだってあった。現実を受け入れられずに文字どおり、現実逃避しまくっていた期間もまあまあ長かった。
自分の人生に価値があるとは思えない、そういうときが、たしかにわたしにもあった。
けれども、「うんまあ、わたし自身に価値はねえな」のその先に、「それでも、こんなにすばらしい物語や、音楽や、猫たちがいるこの世界には、なにか生きるに値する、ここにいるに値する、そんな小さなカケラがあるんじゃないかな。」という独り言がつづいていた。
どんなに自分にうんざりしながらも、大好きなマンガの新刊を待ちながら生き延び、大好きなアーティストの新曲やアルバムを待ちながら生き延び、大好きな現代作家やまだ読破していない壮大な古典ファンタジー小説が見せてくれるであろう未知の世界や言葉への期待と希望を胸に抱きながら、なんとかかんとか、よれよれと、ここまできたような気がする。
わたし自身には死ぬほどうんざりしていたし、わたしを取り巻く状況も、願いごとがなにひとつ叶わない残酷な現実も、ほとんど呪っているようなときでさえ、わたしにとって物語や音楽やマンガや映画などが見せてくれるもうひとつの別の世界、いわば「ファンタジー」というものが見せてくれるマジカルで美しいこの世の別の側面こそが、わたしにとっての真実で、それだけがわたしを生かしてくれているんだと、どこかで知っていたのかもしれない。
自分がうまくやれているかとか、役に立っているかとか、
どれだけの価値があって、どれだけの価値提供を社会にしているのかとか、
そんなことなんかより。
誰かよりきれいで、賢くて、お金があって、好きに暮らせて、
うらやまれたり、憧れられたり、いつでも新しいものを手にしているとか、
学びとか悟りとか、いい人だとかやさしいとか、そんなことより。
もっと大きくてあたたかくて安心で、かわいくって笑っちゃうような、ほんとうの世界をわたしたちは知っている。
この世界には、魔法が必要なんだよね。
この世界に魔法が足りていないせいで、わたしたち、ちょっと頭がおかしくなっちゃって、「自分がどうの」とか「生きる価値がどうの」とか、言いたくなっちゃってるだけで。
ほんとうは、もっと大きくてあたたかくて安心で、かわいくって笑っちゃうような、マジカルでファンタスティックな世界っていうのがあって、そこに触れてさえいれば、わたしたち大丈夫なんだよね。
10代から20代、30代を経てじつに40代にいたる今の今まで、わたしをこの世界にとどまらせてくれたものは、現実で定量評価できるような生命のないものではなくて、ものすごく力強いファンタジーにおける真のリアリティーだったなと、ここ最近読んでいたファンタジー小説を読みながら思ったりした。
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明日もファンタスティックでマジカルな一日を!
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