「目の前のことしかない」という感覚
朝からお掃除したり、おせちを盛り付けなおしたりしながらそわそわ。
義母&義姉夫婦&その長男くん(つまりはうたちゃんとかんくんのいとこ)がやってくるので。
もう時代なのかな、めったに来客というものがない生活が長くて勝手がよくわからないのだった。でもだれかがおうちに遊びに来てくれるのはじつは好きだし、そのためにいろいろメニューを考えたりテーブルセッティングを考えたりするのも好き。
つまりはそわそわと楽しく過ごした午前中だった。
ちょうど14時ごろにみんながワイワイやってくる。毎年、都内に住む義姉夫婦のおうちに遊びにいくのが恒例だったのだけれども、今年は飼い犬のチワワちゃんが白内障の手術明けということで、安静にしていないといけないそう。
そうなんだよね、すごくかわいいワンコなんだけれども、わたしたちが遊びにいくとずっとめちゃくちゃに吠えちゃうのだ。それは術後明けにかわいそうということで。
はじめまして、と出会ったときはまだたったの3歳だった長男くんが、あっというまに大学3年生!22歳!になっていて、(毎年会ってはいるものの)しっかりと顔つきが大人の男の子になっていて驚いた。もう就職活動中なんだって。そんで早い子は大学3年の時点で内定をもらえちゃうんだって。すげー。
偶然「わたし、おせち、作る!」イヤーに来客があってよかった。大量に作ったおせちをみんな喜んで食べてくれました。どこかのホテルの高級なおせちを買ったりとか、ぱっとウーバーでなんでも頼めちゃうとか、憧れる気持ちはあるものの、なんか不思議なんだけどわたし、外の食べ物って「めっちゃおいしい!」って思ったりするんだけども、疲れるんだよね。
この疲れってなんなんだろうな、と不思議なんだけど。
添加物とかに疲れちゃうのか?とか考えたりするんだけど。
でもどこかで、育児エッセイ書いている女性が「疲れた、でもお腹空いた」という状態になったときに旦那さんがよかれと思ってお惣菜やお弁当を買ってくれたりするんだけれども、「どうしてわからないんだろう。そういうのじゃないのに。ただ、さっと茹でたお野菜とか、炊き立てのごはんが食べたいときってあるじゃないか」と憤っている描写があって、よくわかるなあと思ったものだ。
そう思うと不思議だ。
わたしたちはほんとうはなにを食べて、なにを味わっているんだろう。
なにを滋養とし、なにを栄養としているのだろう。
わたしのお料理がおいしいかどうかは置いておいて、おいしくなくはない、とか、毎日食べてもいい味、とか、なんか心も体も疲れない料理、というものとしては、なかなかなのだろう。
外食ってすてき。外食って美味しい。でもなんか、わたしはわたしのごはんが食べたいのだ。そこにたしかにある”なにか”を味わいたくて。
みんなが帰ったあとはハチ(旦那さん)と散歩へ。
というかウォーキングへ。めずらしく10連休となっている彼は「ぜったいに飲みすぎて食べ過ぎちゃうから、1日1万歩歩くことにする。10日で10万歩を達成する」と行っていて、毎日せっせと歩いているのだった。
わたしも付き合って数日前から歩いていたら、初日はめっちゃ足も腰も痛くなって、うわあ歩けない!と思ったけれど、2日、3日と続けるうちに、べつにどうってことない感じになっていった。今日は来客もあって時間がなかったのでわたしは4000歩くらいだったけれども、物足りない、もっと歩きたい、という気持ちになった。
とにかくしあわせな年始を過ごしている。
このしあわせな感じ、「目の前のことしかない」という感覚でのしあわせで、これまでとはすこし違うように感じている。この感覚をもう少し研ぎ澄ませてみたいけれども、これがお正月休みでわりと外界とシャットされているからこそ生まれている感覚なのか、日常がもどってきてもつづくものなのか、まだよくわからない。
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