あの蝉はもういない
毎日があまりにもスローペースで進むものだから、すべての時制にまつわる激烈な記憶や感情を忘れるのには十分すぎた。徐々に、徐々に、薄れていく。あるいは、突然に糸がプツリと切れるような感覚。夏休みも暮れに差し掛かり、まとめて一行日記を書こうと試みる。脳を逆さにして思い切り振ってみても、何も出て来やしない。最低限度の生命活動を行なっていたに過ぎないのだ。「特に何もなかった」の連続によってこの身を維持していた。
やかましいくらいに鳴いていた蝉も、いつの間にか鳴き止んだ。あんなに必死に鳴いていても、いざ静まってしまえばこんなものかと拍子抜けする。地中にいた頃はあれやこれやと思い悩んでいて、その末に辿り着いた地上の七日間はどんな心地だっただろうか。
在りし日が走馬灯のように駆け巡っては消えてゆく。うだるような暑さとともに声を震わせ、やがて電柱にしがみつく力もなくなって、灼熱のアスファルトに背中を預け、足を投げ出し、天を仰ぐ。ジリジリと羽根は焦げていくようだ。薄れゆく意識の中、自分の人生に満足して死ぬのだろうか。
そういえばこんな日があった。
証明写真を撮る前日なのに、生ぬるい涙が溢れ出て、枕にじんわりと染み込んだ。瞼が腫れてしまったら、どうしてくれようか。どうやら、思っていたよりも孤独らしい。気分が沈んだところで、頼れる人はほとんどいない。今後、連絡をとる可能性がある人以外は、非表示にしてあるLINEの友達。既に厳選されたリストを眺めていても、心安らぐと思える相手が見当たらない。
社交的な風を装えるのは、あくまで"場"を意識しているからであり、1つ目の扉をこじ開けて振る舞っているに過ぎない。その後ろには何重構造にもなる扉があり、より個人的なところに到達した人はほとんどいない。何に傷ついて、何に憤って、何に癒されて、何に惹かれるか。抽象的でありながら、確かに自分を形作るもの。それらをどうにか知ってほしいと熱を帯び、何の不自然もなく語り合える関係性ほど尊いものはない。しかし、実はそれもまやかしで、一過性のものに過ぎないと知ったときほど酷く傷つくことはない。
語れる強さと語らない強さ。どちらも等しく強さの指標だが、皮肉なことに相反するものである。身を切る様を見せると、誰かの野次馬根性を刺激するだけで、本当に親身になる者などいない。何かに執着していると、簡単に息ができなくなるからすぐに死ぬ。肥大化した自己愛は、あらゆるものを駄目にする。だから人は弱さを隠すのだと知った。
きっと私は馬鹿だった。軽んじらるのが辛かった。本音と建前を見抜くのが下手だった。誰かの励ましなんてぬるい言葉に過ぎなかった。ものわかりの良いふりに疲れてしまった。どいつもこいつも半笑いで。しばらく固く口を閉じていた。手を切ろう。手を切ろう。こんなときだって、ある程度は整った文章を書いている。下品な言葉で罵って、目も当てられなくなれば良いのに。
渇いた喉から捻り出すような声がよく似合う。もしかするとこの感情たちはありふれているのかもしれない。しかしながら、身体こそ頑丈であるのに、この精神構造は少なからず遺伝の影響もあるのではないかと案じ始めた。
母親は数年前にハゲを作った。人毛のウィッグは想像以上に高いことを知った。今はそれもいらないくらいには毛が生えてきたが、ところどころ短い。内なるものが現れてから、わざとらしく歩み寄るのは気に食わないということもあって、自粛生活に助けられながらも少しずつ言葉を交わすところから始めた。以前は私が「わがまま老人の介護なんて絶対にしない」と喚き散らすくらいには不仲だった。母親を母親としか見ていなかったが、ひとりの人間であるということを実感として得られたときには、対等なコミュニケーションがとれるようになった。母親も寂しいときは寂しいのである。近所のかき氷屋に一緒に行った。
弟は表面的な性格は私とあまり似ていない。私が"動"なら弟は"静"といったところだろうか。真面目で勤勉で根性もそれなりにある。だから単に精神が弱いというわけではないのだが、やや敏感なところがあり、最近は環境も相まって生活に支障が出ていることを告白してくれた。多くを語るタイプではなくとも、然るべきタイミングでかっこつけずにSOSを出せるのは賢いと感心した。
父親に関しては特筆するような点はない。「小説を読んでもまったく入り込めない」と言っていて、フラットな状態でいられるのが少し羨ましかったくらいだ。
家族の傾向を見るに、やはり遺伝も少なからず関わっているのではないかと思う。細胞レベルで生まれ持ったものは仕方がないと考えた方が気楽に構えられた。
「特に何もなかった」単調で退屈な響きだろうか。私はそんな毎日がずっと続けば良いと思っている。かけがえのないものを失いたくないのだ。瞬間が刻まれていくことに抗えない虚しさを感じながらも、そう願ってやまない。