夢小鉢
石川美南『離れ島』より引用した短歌をプロットに物語を書きました。気ままにシリーズ化したい。
煌めきが、弾けて喉を焼くように、はりつく泡を呑み込む苦しみ。 そう唱えて、制服纏う私の夏は過ぎ去った。汗とアイロンのりを混ぜたような、すえた匂い。残っていたのはそれだけだった。 「ねえ、夏には戻ってくるんでしょう?」 「まあ、そのつもりではいるけどさ。親も成人式くらいは出なさいってうるさいし」 東京での暮らしにはだいぶ慣れた。今はもう人の波に押し流されずとも、新宿駅をまっすぐに歩くことができるようになったし、訛りのない洗練された言葉を話す友人がたくさんできた。そし
【2021/11/14 Creepy Nuts ONE MAN TOUR「Case」神奈川公演 at 横浜アリーナ】 残しておきたかった。忘れたくない。この景色を。何度目のライブかわからない。でも、これがあらゆる体験や背景を踏まえて、確実に何かが動いた瞬間だった。 毎度のごとく終演後に「いや〜今回も良かったね〜」と幸せなため息をつきながら、各々の生活に戻っていく。大半のライブをともにしている友人と「今回あの言葉を聞くためにこの場所に引き寄せられたのかも」と確かめ合いなが
床暖房でぬくぬくと身体を寝そべらせていた犬が、宅配のバイクに反応して「ワン」とひと吠えした。「そうやっていつも神経を尖らせてるから疲れちゃうんだよ」と何の気なしに自分の口からこぼれた言葉に少し驚いた。 あるとき突然、失語症のような症状に見舞われた。しかし、本当の失語症はストレスが原因になることはほとんどないそうで、病気や事故の後遺症として見られるようだ。だから、単に疲れすぎていたのかもしれない。上手く言葉が出てこなかったり、他人の話が聞こえているのに内容が理解できなくなっ
バイトから帰宅して肉と野菜とシーフードのすべてが入ったカレーをつつきながらとんでもないことに気がついてしまった。 それは「私の能動的な行動のすべては負の動機に基づいている」ということである。 もはや逃げ場はないのかもしれない。どこもかしこも負の動機だらけで化けの皮を被ってでも侵食してくるのだから。 表立って動き回っていると自信家と見られてもおかしくはない。しかしこれは欠けた部分を自ら充たすことを意味するのである。そして自分を大きく見せたいのとはまた少し違う。先手を
毎日があまりにもスローペースで進むものだから、すべての時制にまつわる激烈な記憶や感情を忘れるのには十分すぎた。徐々に、徐々に、薄れていく。あるいは、突然に糸がプツリと切れるような感覚。夏休みも暮れに差し掛かり、まとめて一行日記を書こうと試みる。脳を逆さにして思い切り振ってみても、何も出て来やしない。最低限度の生命活動を行なっていたに過ぎないのだ。「特に何もなかった」の連続によってこの身を維持していた。 やかましいくらいに鳴いていた蝉も、いつの間にか鳴き止んだ。あんなに必死
もし私が『金田一少年の事件簿』で、被害者の立場に置かれるとしたら、どんな理由で殺されるだろうかと考えた。あまり深く考えないうちに「集団全体が共有する、悪意のもとに生まれた禁忌に一石を投じて、正義を振りかざすも口封じに殺される」というものが思いつき、しっくりときた。これは実際の作品にもあるケースで、「ある村でこっそり大麻を育て売り捌くことで財を成していたが、それは村人共通の秘密だった。しかし、その罪の意識に苦しみ、やめさせようとした神父とその家族が焼き払われる」というものだ。
私はときどきクラシックを聴く。普段はというと脳裏に焼きつくくらいに流行歌をリピートしているのだが。最近は辻井伸行が演奏するラ・カンパネラによって無限に鼓膜を震わせ、電車の揺れで誤魔化せる程度にリズムをとりながら聴くのがお気に入りだ。このフランツ・リストによって作られた曲は世界中のピアニストが唸るほどに難易度が高く、素人に毛が生えた程度の私には到底及ばない領域だ。しかしその私でもわかるくらいに音と音が複雑に絡み合い、うっとりとさせるような響きを生み出している。ピアノの音色は私
海に行きたい。桜はまだ咲いていない。綺麗なものを見たい。今はとびきりはしゃぎたい気分ではない。でも一人でいたくない。静かにゆっくりとした時間を過ごしたい。ここ数日、キリンジのエイリアンズばかり聴いてしまう。そういう温度感なのか先日の関ジャムで紹介されていたからかわからない。あの曲は私が生まれた年にリリースされたらしい。親近感みたいなものはそういう風に簡単に芽生える。でも正直なところ、キリンジの曲でちゃんと聴いたことがあるのはこの一曲のみだ。きっともっと掘り下げていけば、他に
「すみません、そこ、土足厳禁ですよ」 恐る恐る声をかける。でかでかと「土足厳禁」の文字が刻まれた貼り紙が三枚も貼ってあるのに、その文字が意味を持たない記号なのではないかと不安になるほどに、その少年は何の躊躇いもなくカーペットの中に踏み入っていた。 「あ、ほんとだ。ありがとう」 「この教室、靴箱ないですもんね…!私もどうしたら良いかよくわからなくて…ずっとこの外にいました…!」 私は、塾の特別講習を受けに来ていた。中間テストで英語をやらかしてしまい、両親にこっぴどく叱られた
「あー生きるのってめんどくさいね」 「えー」 完全に全身の筋肉が緩んでいる。完全に相手に気を許しているとも言う。口から出た文字がたまたまこういう風に並んでしまっただけで、別に意味なんてない。チカはそれを知っている。だから、さっきまで今度一緒に行くアフタヌーンティーの話をしていたのに、急に私が全てを投げ出したことに形だけ驚いた素振りを見せてくれた。いつもの流れ作業。 「すみません、うっかりうっかり」 「また始まった」 「でも、この世のめんどくさいをかき集めたら、大体生きるのめ