愛憎の憎にかたむく酒宴にて胃に流れ入るソーダの話
煌めきが、弾けて喉を焼くように、はりつく泡を呑み込む苦しみ。
そう唱えて、制服纏う私の夏は過ぎ去った。汗とアイロンのりを混ぜたような、すえた匂い。残っていたのはそれだけだった。
「ねえ、夏には戻ってくるんでしょう?」
「まあ、そのつもりではいるけどさ。親も成人式くらいは出なさいってうるさいし」
東京での暮らしにはだいぶ慣れた。今はもう人の波に押し流されずとも、新宿駅をまっすぐに歩くことができるようになったし、訛りのない洗練された言葉を話す友人がたくさんできた。そして、この少しの間に、私は子どもから大人になった。明確に引かれた線上を飛び越えてしまったのである。漠々たる大都会で大人の称号を手に入れた私は、何だってできる気がした。
年明けを迎えると、色とりどりの振袖で飾り立てた女の子たちがはしゃぎながら歩く姿があった。カタログで見た流行の柄物。みんな宝石みたいにキラキラと輝いている。その慣れない足元に雪なんて積もっていない。雪が降らない冬を私は初めて知った。豪雪地帯の成人式は半年後までお預けである。
電話越しの万理華の声が甘ったるくなる気配がする。何かを企んでいる証拠だ。
「私、同窓会の幹事をやらなきゃいけないんだけど、汐里も来るよね?」
「同窓会……?」
「しらじらしいなあ。私たちのとこなんて人数少ないんだから、一人来なかったら目立つに決まってるじゃん」
「そりゃそうだけど……」
「上京組なんてこういう機会にしか会えないから、みんな楽しみにしていると思うよ」
「そのときになったら考えるよ。また電話するわ。じゃあね」
田舎はすぐに噂が広がるし、解き放たれたとしても、節目節目でけしかけてくる。良くも悪くも放っておいてくれない。そんなぬくもりと図々しさが共存する町、私の故郷。
新幹線を降りると、同じ季節とは思えない涼しさが出迎えてくれたのは、一週間前のことである。少し汗ばんだとしても垂れてはこない。憎たらしいくらいに爽やかだった。電車とバスを乗り継いで、実家に向かっていると、やがて母校の校庭が見えてくる。心臓がギュッと握り潰されるような心地がした。それは決して懐かしさだけからくるものではなかった。
帰省して早々に万理華のもとを訪れた。事あるごとに電話をするので、声は聞いていたものの顔を見るのは久しぶりのことだった。小麦色の肌が眩しかった。
「久しぶり!やっと会えた!汐里、全然帰ってこないからさ~あがってあがって」
「お邪魔しまーす。元気にしてた?」
「まあ、ぼちぼちかな。てか、同窓会だけど、汐里も来るってことになってるから」
「え?そうなの?もう何でもいいけどさ」
「なんでそう投げやりなのよ。でも、私が連れ出さないと来ないでしょう?」
「ごもっとも」
溶け始めたアイスを横目に、成人式で着る互いの振袖の写真を見せあった。二人とも母親からのお下がりであったが、控えめな柄が私たちには合っていた。
成人式は滞りなく終わり、締めつけの激しい帯を解く頃にはどっと疲れが押し寄せた。同窓会はクラスメイトの両親が営む居酒屋を貸切るらしい。大学の友人たちは豪華なホテルなどで開催するのが主流のようで、その日のためにパーティードレスをおろすと話していたが、まるで別世界だ。実際のところ、電車もなければ、高校まで同じ顔触れなので、相応の催しといったところだろう。田園風景に浮かない程度の小綺麗な格好を心掛けつつ、よそゆきの空気を纏って再び外に出た。
会が始まると、かつての面影を残した面々が思い思いに杯を交わしていた。浮足立った雰囲気に任せて、私も普段飲まないお酒をちびちびと飲んだ。次第に視界がぼやけてくる。
――すると突然、万理華が手を叩いて皆の注目を集めた。
「みんな揃ったね!ここでちょっとした報告があります!」
場がざわめき出す。何事だろうか。ゆっくりとそちらに目を向ける。万理華はしばらくもったいぶった後、左手を翻して甲をこちらに向けた。
「私………結婚します!」
どっと歓声が沸いた。耳を掠めたその言葉が、皮膚を切り裂いたかのようだった。ドクドクと脈を打ち、思考が停止してくる。細い指に収まったリングは、まばゆい光で私に微笑みかけていた。その拍子にあのときに引き戻されるようだった。
「万理華って好きな人とかいるの?」
「うーん。言ってなかったんだけどさ、実は付き合っている人がいるんだよね」
「え?」
「ごめん」
「いつも事後報告だよね。最近なんか変だなって思ってた」
「バレてたか。汐里の目は誤魔化せないね」
「ずっと一緒にいるんだから当たり前だよ」
「私のことよく見てる」
「ねえ、もし私たちが異性だったら付き合えてたかな」
「……どうだかね。てか、そんな冗談やめてよね」
冗談なんかじゃなかった。私は至って本気だった。この小さな町で密かにに万理華を想っていた。息苦しさに胸がつかえて、店の外に出ると急に酔いが回るようだった。吐き気が止まらない。自販機には水もお茶もない。切れてしまったのか。安いパッケージの炭酸飲料が、少し高い位置から私を憐んでいるだけだった。これでもいいと小銭を押し込み、間髪入れずに喉を伝わせる。嗚呼、あの日の焼けつく感覚を思い出す。私の体内を、鈍く、熱く、駆け巡っていくようだった。
私は幸せそうな万理華を置いて、また東京に戻ろうと思った。目眩く雑踏に紛れて、見つけられないように。