この世ルール~お彼岸に寄せて。
昨日から彼岸入り。なんとなく思考の断片を書き留めておきたくなった。
単なるひとりごとなのであるが。
生まれるから死ぬんじゃなくて、死が担保になったから、生まれたんだと思う。
まず、死 ありきなのだ。
(生まれる前に)死が確定されたからこそ生が発生し、時間が流れるのだと。
現象的にそう説明できれば腑に落ちることが沢山ある気がして。
生きている間の時間の発生。
時間とともに老いていくこと。
生まれる事は死ぬ事と引き換えだけど死ぬことは一つの存在の現象を全うしたといえるかな?(存在学的に借りを返して)
生まれたそばから「この世ルール」が手ぐすねひいて待ちかまえているから、面倒くさいことが多いのだけれど。
生きている側都合の「この世ルール」がなければ、生きることも死ぬことも、もっと気楽になれる気がする。
生きるエネルギーを、お金とか経済のエネルギーに変換しすぎて、ちぐはぐになっている気がする。
進歩も発展も無理やりすぎて、ついていけないのが当たり前で、認知できなくなる。
「この世ルール」は、人間が勝手に作ったキマリゴトだから、絶対や必然じゃない。
自分の「生」は、「死」にちゃんと担保されていると考えて、ある意味安心して、ゆだねて、暮らしていけたらと思う。
よくわからないひとりごとを読んでいただいて、ありがとうございました。