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秘密のメッセージは知らない世界への入口

 今はもう、無いのだろうな。
 昔、新聞の三面(テレビ欄が載ってるページの裏面、いわゆる社会面)の下方に、時おり「たずね人」や「探しています」「お知らせ」という四角い小さな囲みの伝言が載ることがあった。

 個人情報がこれだけうるさい昨今では、不特定多数が見るメディアに、個人的な情報を載せるなんて、と思われるだろう。
 だが、まさに、その不特定多数に向けて発信していたのが、この欄である。
 すなわち、家出や蒸発などなんらかの手段により、周囲の人との網目から姿を消してしまった人にむけてのメッセージなのだ。

 「○○(名前。一番大きい書体で) 何も言わ   ぬ 何も聞かぬ 連絡待つ 母」

 「△△君 すまなかった 連絡乞う □□(以下 電話番号)」

…と、いった感じだったと思う。
 警察に届けても手掛かりの無い状況に、家族は、探している人がどこかで偶然この文字を目にして連絡してくるかもしれない、という最後の望みをかけて掲載していたのだと思われる。
 毎日、電話や手紙などの連絡を待つ日々が続く中で、少しでも可能性を広げたい、そういう人たちのためのコーナーである。

 私は、このコーナーを見るのが楽しみだった。…と、いうと語弊があるかもしれないが、なんとなく、様々なひとたちの生きているそれぞれ、見知らぬ世界を覗くみたいな気持ちで、勝手に色々想像しながら見ていた。

 ある日、いつもとは毛色の違うメッセージが掲載された。次のようなものである。

「今日正午 時計の劇場で待つ。」

 なんだろう、この暗号のようなメッセージは。好奇心をかきたてられる。
 翌日は、こうだ。

「大事ナ時計見ツカッタ。今日劇場へ持ッテイク」

 「時計の劇場」という場所から、「時計」そのものにメッセージが変わっている。
 それに、カタカナの表記に変わったのも何となく謎めいている。どういうことだろう。
 この頃、「時計」という映画が、倉本聰の監督作品として各地の劇場で上映されていた。1986年10月頃のこと。
 私はちょうどこの年の4月に就職したから、少し落ち着いた頃にこの欄を実家で見ていたことになる。
 またまた翌日。

 「今日時計の劇場で待つ。」

 再び、待ち合わせ場所に変わった。
 私は毎日変わるこのメッセージ・シリーズを楽しみにするようになっていた。一体、どういう意味なのかが皆目わからないから、面白い。
 そうして、4日目のメッセージは次のようなものだった。

 「時計、見タ… ナントカナリソウ、私タチ。」

 おおー。なんと。急にエモーショナルになった。「…」である。「ナントカナリソウ」な状況になり、「私タチ」という言葉で、誰かと一対一ではなく、関わっている人が何人かいることがわかる。「時計を見た」というのは、モノの時計なのか、映画の時計なのか?
 謎をさらに深めながら、ここでメッセージは終わった。
 私としては、4日間のこれだけのメッセージで、なんだか映画を1本見たような気分だった。

 実は、新聞からメッセージを切り抜いて、紙にはりつけてスクラップ・ブックにしまっていたと思うのだが、どっかいっちゃったので、文言は記憶の中から引っ張り出した。短いのでちゃんと覚えていた。
 なんとかこうして1本の記事にして、外に出せてなんだか嬉しい。自分だけの記憶を目に見える形にして、誰かにも見てもらえるのは、一つの幸運だと思う。
 読んで下さった方、ありがとうございました。
 

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