対話カードを吟味すると、これからの教員の立場を考えるきっかけになった
「小学生版対話カード作ったらおもしろそうだね!」
ではじめた企画を8月28日にやってみた。
小学校の先生と、社会教育の方と、教員経験のない対話カード経験者の方と私。
4人中3人は、小学校の教員経験あり。今回よかったのは、教員経験のない人がいたこと。
なぜか?
それは、教員だけだと陥りがちな視点をずらしてもらえたから。
対話カードを作るのはやめて、既製の対話カードの活用方法を考えることにした。
①直感でカードの絵をみて、それを説明するバージョン
→これにより、カードを選ぶときからすでに多様性があることがわかった!
私は、「私は、月がすきだからこれにしました」って答えた。
そうすると、次の質問は、「なんで月がすきなの?」とか選んだ人自身への質問になる。
他の人は、こんな風に最初説明した。
「この鍵は金色で高価そうに見えた」
(正確に覚えていないから違うかも)
これ言われた時に私は、質問に困った。「え、何聞けばいいんだろう。」って
そして、分かったのが。
自己開示型
非自己開示型
があるということ。
私はあらゆる場面で考えても、完璧に自己開示型!自分をすぐさらけ出すし、隠さず表現する。むしろ、自己を開示しないことが苦手といってもいい。自己を開示せず、たんたんとその事象について考えたり、客観的に考えたりするのが苦手かもしれない。
私!!
が先に出てくるから。そして、ここがいい気づきだったんだけども。
この対話カードをやった先に、子供達に自己開示を求めていたかもしれない。
という事に気づけたこと。
私は、絶対自己開示したらいいと思っていたけど。もしかしたら、そうじゃない方が話しやすい人もいるんだ!
って分かった。
自己開示を求められないからこそ、安心して話せる。
って私には分からなかった視点だった。
本当そうだよなぁって、納得できた。
今日みたいに、いろんなタイプの人がいて。自分と違うことを楽しめる。そんな子供達を育てていきたいなぁと思った。
教員だけだと、その教員のタイプが出てしまう。
じゃあタイプが偏るからいろんな人が教室に関わるようにすればいい!
って簡単にひもづけるのは違う気がしてきた。
子供達の中にはもしかしたら、非日常なことが、すごく苦痛な子もいるかもしれない。逆に毎日変化するのが好きな子もいるかもしれない。
これからの教員の役割について考えた時、私は…
「より深い子ども理解ができること」
と答えようと思う。
一人ひとりって本当に違う。それを教員は担任は今理解できているだろうか。その理解に偏りはないだろうか。子ども理解が進むと、その子に最適な関わり方が分かってくる。この子には、今これが必要だからこうしよう。とか教員があらゆる人、こと、ものを活用できるようになればいいと思う。
これからの教員に必要な力って
一人ひとりを真に理解すること、しようとすること、きめつけないことなのかもしれない。
これが対話カードを吟味しながら考えたこと。
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