トキワ荘と青春があった街 【豊島区南長崎】
早くも梅雨が明けた7月の休日。西武池袋線の椎名町で下車、「トキワ荘のあった街 南長崎」(そういうキャッチフレーズらしい)の商店街をブラブラ歩いてきた。
さてトキワ荘というのは、まず手塚治虫、寺田ヒロオ、そして藤子不二雄の両名、それから石ノ森章太郎に赤塚不二夫といった面々が集い、若き日を共に過ごした伝説のアパートである。
現代の日本文化に多大な影響を与えた漫画界のレジェンドたちが、そこで過ごした日々をそれぞれ懐かしんで語っている。(上の写真クリックするとAmazonページに飛びます。アフィリエイトじゃないから私は別に儲からないけど面白いので、未読の人は買って読んだらいいと思いますよ)
そんなトキワ荘は、現代を生きる漫画家にとっても、まさに聖地といえる。私は漫画を描いてはいないけれど、今回はその漫画家たちの聖地を巡礼してきた。
西武池袋線「椎名町」で下車
聖地であるトキワ荘跡地に近いのは、西武池袋線の椎名町と東長崎。それから都営大江戸線の南長崎だ。今回は椎名町から歩くことにした。
改札を降りたところ、すぐに「トキワ荘」という表記の案内が目に入る。トキワ荘関連で観光客を呼び込み、地域活性をはかっているのだろう。
パンフレットもゲット。トキワ荘の面々が親しんだスポットの紹介がされ、周辺地図も載っている。区としてもPRに力を入れているようだった。掲示物には「漫画の聖地、豊島区」というような表記も。豊島区で漫画の聖地って言ったら、トキワ荘の他には……あれか、池袋の乙女ロードとか?
とりあえずパンフレットを広げて地図をながめてみる。するとトキワ荘自体がまずそうなのだけど、「跡地」という表記ばかり目立って、それがちょっと悲しい。まあそれが時の流れというやつで、そうやって時が流れているからこそ、いま自分がこうして半世紀前の漫画家たちの青春の軌跡を辿っているわけであり、それを考えるとまた感慨深い。時間とは、ああ人生とは……なんてちょっと訳が分からない頭になりつつ炎天下を歩き出した。
なにせよく晴れて、日差しがジリジリ差して、思考も溶けそうになる。かなり暑い。
あけぼの湯&あけぼのハウス跡
まず辿り着いたのは、トキワ荘グループが通った銭湯。その跡地である。
この案内の看板が非常にレトロだ。同じような看板が、それぞれのスポットに設置されている。
あけぼの湯のあったところは、いまは区民施設になっている。ちょっと入ってみたら気さくな職員の人がトキワ荘に関するパンフレットをくれた。施設の窓から見える庭先には石灯籠があって、それは銭湯だった頃からあるものらしい。
あけぼの湯に隣接して「あけぼのハウス」というマンションも建っていた。そこにトキワ荘を出た石ノ森章太郎が入居した。藤子不二雄や赤塚不二夫など他のメンバーも、トキワ荘から出てもしばらくはこの界隈に住んでいたのだ。やはり愛着があったのだろうし、暮らしやすい環境でもあったのだろう。
あけぼの湯も、あけぼのハウスももう存在しないけれど、その向かいの理髪店はまだ営業している様子。案内板にあった当時の地図と同じ場所で、そのまま続いている。歴史ある店だ。あとこの近くで「曙(あけぼの)駐車場」という表記を見かけた。あけぼの一族(?)は、いまだ健在ということだろうか。
落ち着いた住宅街
トキワ荘の時代からすると、なくなってしまったお店などは多いのだろうが、まだ古い建物が残っている。この辺りは、むかしからの住宅街だったようで、近年よく見かける画一的な建て売り住宅は少ない。なかなか個性豊かな家屋が目立つ。
「街がむかしを残してるんだね。道にも家にもそれが出てる。住んでる人の名前も、ちょっと変わってる人が多くない? むかしながらの家に、むかしながらの作法で漢字の表札を出してる家が残ってるんだ」
考現学とか路上観察を趣味とするハナコが、あたりを眺めてそう言った。
もちろんマンションやアパートなど集合住宅も多いのだが、最近のバーンと大きく無機質で墓標のような箱型タイプではなく、独自性のつよいものが多く見られて面白い。
「ネーミングや字体も昭和ぽくて格好いい」と感心しながら、ハナコが写真を撮っていた。
この看板の表記、マンションではなく「マンシオン」というところがまた時代かかっている? このマンシオンも、なんだかユニークなデザインだったという曖昧な記憶がある。(とにかく暑かったので私の脳は溶けていた)
目白通りが二又に分かれて、そこからトキワ荘通り
炎天下の住宅街を歩いていると、大きな道に出た。目白通りである。そこをしばらく道なりに進む。両脇には全体的に古びた商店が並んでいる。日曜だからというのもあるだろうがシャッターが閉まった店が目立つ。しかし営業している店も結構ある。
古い造りの履物店があって、その軒先にトキワ荘関連の旗がたなびいていた。これはトキワ荘グループの紅一点にして、少女漫画家の草分けである水野英子氏の絵だ。すんごい目が大きい。顔の半分くらいある。この巨大な瞳の系譜が現代にも続いてきているのだなと得心した。
道の脇には、トキワ荘スタンプラリーの台。かなり年季が入ってきてる。むかしの学校机を利用したものだろうか。
歴史を感じさせる、渋い看板の店。ここは意外にまだ営業してるぽい。
この交番のところから、目白通りが二又に分かれる。それを右の方に入っていくと、その先にトキワ荘跡地。漫画文化の聖地まではもうすぐだ。
トキワ荘通りお休み処
さてトキワ荘跡地に向かう途中、ここに立ち寄った。
公益財団法人に運営されている施設で、トキワ荘関連の資料や新漫画党グループの漫画本を自由に読めたりする。クーラーも効いていてありがたい。さすがお休み処である。
施設の2階に上がると、トキワ荘グループ(新漫画党)のリーダー、テラさんこと寺田ヒロオの部屋が再現された一角がある。テラさんはしっかりして面倒見のいい兄貴分で、この部屋によく人が集まって宴会なんかもしてたらしい。
これがトキワ荘2階の部屋割り。
「いまとなれば、みんなすごいメンバーで。とくに下段の並びなんて、ほんとにそうそうたる……。こんな人達が同じ屋根の下で寝起きしていたんですね」
一緒に2階へ上がった職員の女性が、丁寧に説明してくれる。たしかに、すごいメンバーだ。まさに漫画界のレジェンド達。漫画神である手塚治虫に続いて、トキワ荘に集った若き才能たちの青春の日々……。
私の脳裏に、藤子不二雄Ⓐの『まんが道』や、市川準の映画『トキワ荘の青春』などで目にした、様々な場面が浮かんでくる。
『まんが道』と『トキワ荘の青春』
数日前、私が知らぬ間にハナコがKindleの『まんが道』全25巻を買っていた。それを起点にして、だんだんと生活がトキワ荘づいてきた。
「ああ、チューダー(テラさん考案の焼酎サイダー割)が飲みたい」とふと呟いたり、トキワ荘関連の書籍(冒頭の新書など)を次々にAmazonで買い足しては読み耽っているハナコ。
私も今回改めて『まんが道』を読み返しているうちに、すっかりトキワ荘色に染まってしまった。創作仲間と膝を詰めて夜通し熱く語り合ったり、ときには外へ飛び出してワイワイと草野球、あるいは相撲を取りたくなったりした。それでちょっと困った。もうそんな相手もいないのだから。
学生時代にも、トキワ荘ブームが自分のなかであった。まずレンタルビデオで『トキワ荘の青春』を観て、いたく感動した。それに続けて友達に『まんが道』を借してもらい、見事にハマったのだ。
今回、そのブームが数年ぶりに再燃したのだ。それでハナコと二人、聖地巡礼にやってきたというわけであった。
第一次マイブームの頃、私は風呂なしアパートに住んでいた。文学部に籍を置いて自主映画を撮っていたりとか、ちょっと新漫画党グループに近い環境にあった。もちろん彼らより圧倒的に怠惰で無産、かつ甘ちゃんもいいところではあったが。
しかしとにかく四畳半の部屋に友達を集めては、そういうアナクロな青春ムードにどっぷり浸り、自主映画の制作などもして、仲間と朝まで語り合うようなこともよくあった。入ろうと思えば即時トキワ荘モードに入れる環境にあったのだ。そういうモード時には「よし相撲を取ろう」とテラさんのようにメンバーを率いて近くの公園に出掛け、とくに意味もなく相撲を取った。そんな記憶もある。大体が酒を飲んで騒いでいただけであったが。
……ああ、こうして思い返してみれば、やっぱり幸せだったのだ。あの頃はまだ自分も若く……なんて回顧おじさんモードに入っていくのは、ちょっとまだいかんのだけれども。
トキワ荘の模型。これも2階に展示されている。
なんでもトキワ荘は戦後間もなく建てられたこともあり、建築資材が粗末なもので、全体的に安普請だったらしい。それで昭和57年、トキワ荘は老朽化のため取り壊されてしまった。まだ築30年であった。建築物としては、短い寿命だったといえる。
その後のテラさん
それから1階に降りて、棚にずらり並んだトキワ荘グループの作品を眺める。
手塚、藤子、赤塚、石ノ森といった超メジャーどころだけでなく『背番号ゼロ』『スポーツマン金太郎』といった「テラさん」こと寺田ヒロオの作品もちゃんとある。一般書店などでは現在まず置いていないだろうから、これは貴重なものだ。
「このテラさんて人は、本当に親切でねえ……。ほら、ここ。こんなに丁寧にわざわざ手紙で事前に」
単行本を手に取ってパラパラとめくっていると、男性の職員が話しかけてきた。『まんが道』の続編『愛しりそめし頃に』の単行本には、付録として写真資料が載っている。そこにあるテラさんから藤子不二雄への手紙の写真、それを指差しながら、彼は語る。
「やれ近所への挨拶の仕方だとか、鍋とか釜とか包丁はこれがいるだとか、自炊道具の準備まで。本当にこと細かくアドバイスが書いてあってね……」
「うわあ、すごく親切な人だったんですね。ほんと人格者っていうか」
「そうなんだよ。なかなかできることじゃないよね。自分だって仕事で忙しいのにさ」
先程から極私的ノスタルジーに陥って黙り込んでいる私の代わりに、ハナコがやたら愛想よく応えている。
「まあ、でもね……。彼もよそでは、ちょっと孤独というかね……」
ここで職員の男性はちょっと声のトーンを落とした。きっとトキワ荘時代の後、晩年期のテラさんの哀しさに思い当たってのことだろう。前日の夜、ウィキペディアで寺田ヒロオの記事を閲覧していたので、私はすぐにそれを察した。
ほのぼのと明るい「正しい」少年漫画がいつしか時代遅れになり、寺田ヒロオの晩年は不遇であった。映画『トキワ荘の青春』も、本木雅弘が演じるテラさんがトキワ荘を去るところで終わる。それはまさに青春の終わりで、その後に続く決して明るくはない現実を暗示させるような切ない雰囲気が漂っていた。
「でもこうして手紙をずっと大切にとってあるのは、テラさんに本当に感謝してるからなんでしょうね」
「そう! そうなんだよね。いやテラさんはねえ、本当に偉くて……」
この職員さんは、いたくテラさんに肩入れしているようであった。私もそうであるから、よく分かる。若い頃にはやっぱり巨匠たちのサクセスに至る物語に心ひかれても、年齢を重ねれば次第にテラさんの心境に思いを巡らすようになる。もしくはトキワ荘へのシンクロ率が上がっていくにつれ、テラさんに感情移入するのだともいえる。時の流れの哀切さを、それが故に輝く青春の日々を、己の人生と照らし合わせて噛みしめる。
それから森安なおや。『トキワ荘物語』に収録された作品を以前読んだとき「あれ、なんかこれ面白いぞ」となったのだけど、今回また新版で再読したところ、やっぱりそう感じた。絵柄はさすがに古いのだけど、細かいところの感性なんか現代でこそ受けそうな気がした。実際に再評価もされはじめているとウィキペディアにあったが、実際どうなのだろう。森安はテラさん以上に不遇の晩年を送ったのだ。この閲覧コーナーにも彼の作品は置いてなかったようだし……。彼についての話も聞いてみればよかったなと、いまになって思う。
※それで検索したら、Amazonでこんな本が出てた。今度読んでみようと思う。
帰りがけに、チューダーあめ(焼酎成分は入ってない)、トキワ荘クリアファイルに関連書籍を購入。その際に「話を熱心に聞いてくれたから……」とオリジナルステッカーと、非売品のクリアファイルもオマケに付けてもらった。
非売品のクリアファイルは、豊島区がやっている若手漫画家を助成する「トキワ荘プロジェクト」出身作家によるイラスト入り。彼らはトキワ荘跡に隣接する紫雲荘で暮らし、それぞれ漫画制作にいそしんでいる。
紫雲荘は、赤塚不二夫がトキワ荘時代の後期に仕事場として借りていたアパート。こちらはまだ現存している。ちなみに202号室には「赤塚」という表札がまだかかっているらしい。いまNHKで赤塚不二夫のドラマもやっていることだし、その盛り上がりによってはこっちも聖地としてフューチャーされるかもしれない。
残念なことに、トキワ荘グループが通った映画館、そして喫茶店エデンなど有名なスポットはもう存在しない。資料館の人が言うには、かつては通りに200軒ばかりの商店が立ち並んで、非常に賑やかだったらしい。しかし区画整理の関係などでその賑わいもなくなり、商店は代替わりなどで次々と閉店。いまはちょっと閑散としている。それも時の流れである。
ところが現在も変わらず営業中の店がある。それは漫画レジェンドたちが愛した伝説の町中華である。
「ンマ〜イ!」で有名な『松葉』のラーメンライス
それが、この中華料理 松葉。
昭和30年頃から、さすがに店舗は建て替えられているようだが、やはり堂々としたレトロ感。ちょうどお昼を回った時刻、いい具合に腹も減っている。大いなる期待を抱きながら入店した。
店内には漫画家たちのサイン色紙が一杯。さすがの聖地である。もちろんトキワ荘レジェンズのサインもしっかり飾られている。
この『まんが道』におけるシーンをはじめとして、トキワ荘エピソードに度々出てくる、あの松葉のラーメンである。否が応でも期待してしまう。
そして出てきた「トキワ荘ラーメンライス」これが大変にうまかった。いわゆる東京風の古典的醤油らーめん。スープと麺、チャーシューやメンマなどの具材が見事に調和している。まさに期待通りの正当派。かの有名な「ラーメン大好き小池さん」のモデルになった鈴木伸一(なんだかややこしいが、彼もトキワ荘のメンバーである)を唸らせた一品である。
と叫びたくなる気持ちもよく分かる。こうやってあんまり大仰に褒めると、どうもサブカル系サイトのグルメリポートみたくなって安っぽいが、ほんとうに「ンマーイ!」のだから仕方ない。まったく気取りはないラーメンだが、とても完成度が高いように思った。またライスが固めで、それがラーメンのスープとこれまた見事な調和、おそろしいほどグイグイ食い進んでしまう。小皿にたっぷり盛られた黄色い沢庵も愛おしい。オーバーサーティーには炭水化物のコンボは下腹的にデンジャーなのだが、このときばかりは飢えた若者らしさを取り戻したかのような私であった。これで700円。ラーメン単品だと500円。価格もむかしながら。良心的だ。つうか最近のラーメン屋が高いのか。
テラさん考案の伝説的ドリンク、チューダーもメニューにある。でも今回は一人で店を回しているおばさんが非常に忙しそうだったので、なんとなく遠慮して頼まなかった。まあ近いうちに家でやろうと思う。その際はサイダーは缶ではなく瓶のやつを用意したい。そっちの方が圧倒的に気分が出る。
店のおばさんは大変に忙しそうだったけど、愛想がよくて調理も丁寧だった。まさか彼女は漫画によく出てきた、↑のおかもち出前少女の現在の姿なのか? 激しく気になったが、これも遠慮して聞けなかった。まあ店の入り口に漫画の切り抜きも貼ってあるし、『まんが道』ファンも数多く訪れているだろうから聞いても嫌な顔はされないだろうが。
トキワ荘ファンだけでなく、日常的に利用している近所のお客も多いようだ。ごく真っ当に、ラーメンがおいしい。いい店なのだなと思う。できればこのまま時の流れに負けず永遠に存続して欲しい。
いよいよトキワ荘の跡地へ
さんざん引っ張ったようだが、いよいよ今回のメイン目的地へ。しかし距離にしたらほんとにすぐ。聖地はすべて近所にある。ふくれた腹をさすりながら数歩進むと、向かいの出版社の横に案内板を発見。
そこで曲がって路地にすこし入ると、トキワ荘跡地はあった。
トキワ荘があった場所は、現在は出版社(漫画関係ではない)になっており、その敷地の一角に記念碑がある。正直に言うと、かなり地味な感じではある。しかしこうやって分かるように残してくれているのだから、やはり聖地なのである。巡礼する意味はあるのだ。
あまり関係ないけど、玉川沿いの太宰治の入水現場も、田端にある芥川龍之介の住居跡もこんな感じだったなと思い出す。そこには新しいマンションなりアパートなりが建っていて、ごく普通に現代人の暮らしがある。まあそれが時の流れ、ってもうしつこいか。
トキワ荘外観のイラストもあった。通い組(都内に実家があるなどして入居はしていないが、毎日のように入り浸っていた)である、つのだじろうのスクーターが描かれているのが抜かりない。
腹ごなしに周辺を歩いて回る
わりとあっさりトキワ荘跡地を離れ、周辺をすこし散策することにした。松葉のラーメン&ライスが腹にどかんときているので、ちょっと歩いたほうがよさそうだった。すげえ暑いけど。
この商店街は現在「トキワ荘通り」となっているが、もともとは南長崎ニコニコ商店街だったようだ。頭上のアーチに、それがそのまま残る。フォントのデザインなどが、とにかくまたレトロ。
新しいマンションや住宅に囲まれて、まだ残っている子育て地蔵。その歴史は古い。
路地裏の方には井戸のポンプが残っていた。まだ水も出そうだ。
これがパンフレットにも載っていた、落合電話局の建物だろうか? 案内板などは見当たらなかったが、この古びた感じと特殊な造りはどうもそれぽい。
食料品店の看板。とても古そうだ。プラッシーってなんだろうか。いの一番も気になるが。
これもすごい。THE昭和というキャッチフレーズ。アグネスの先輩筋か。
長屋的アパートの向かい側に、
現在建設中で間もなく完成するであろう、
現代長屋式アパート。最新式にアップデートされているのだろうが、やはり長屋ぽい造り。なにせ距離が近い。壁だってきっと薄いだろう。こういうところでも江戸から続く庶民の触れ合いは生まれたりするんだろうか。仲良くなってしまえば、ご近所で楽しそうな気もするが。まあ、なかなかそういう感じにはならないか。
そう考えると、やっぱりトキワ荘グループは大変に楽しそうである。同じ志の仲間やライバル同士、すぐ側にいて刺激し合える。
復元されるトキワ荘のクールジャパン
さてそのトキワ荘が、2020年を目処にミュージアムとして復元されるという。もらったパンフレットにもその案内があった。
「それを観光資源にして、東京オリンピック開催にも当て込んでクールジャパン? みたいな感じでさ、外国人観光客も呼び込もうって狙いなんだろうけど……」
クールジャパンというワードに皮肉めいた響きをもたせながらハナコが言った。
「まあ日本人にとっては神様みたいな漫画家たちだけど、実際のところ外人がそれで来るかって言ったら……」
あれだけ『まんが道』を読み漁って、さっきの休憩所ではしきりに愛想を振りまいてたくせに、なかなか辛辣な、しかし現実的なことを言い出すハナコであった。
「大体、クールジャパンって……」
やっぱり、そこが引っかかるらしい。
「分かった、分かった。まあクールジャパンは、たしかになんかダサいっていうか外してるというか。でもトキワ荘が復元されるんなら、おれはちょっと行ってみたい。いや、むしろおれがそのミュージアムで外国人観光客相手に案内をする。きっとその方がクールジャパンだし」
ハナコの毒舌を未然にさえぎるように提案する私。
「へえ、やってみてよ」とハナコ。
そこで語られるべきは『トキワ荘物語NEO』
西暦2020年、現代に復元された伝説のトキワ荘。1階の玄関ホール。日も暮れ始めた頃で、オレンジ色の西日が差し込んでいる。そこに立って施設案内をしているのが私である。その周りに集まるのは欧米、アジア各国からの観光客だ。
私「ハーイ、みなさん、こんにちわ」
観光客「コニチワー」
私「(以下、流ちょうな英語でしゃべっている設定)本日は、このトキワ荘にようこそ。ここは日本における漫画の神的存在、手塚治虫先生をはじめとして、偉大なる兄貴分の寺田ヒロオ、そして藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎という漫画界のレジェンド達が(以下、略)」
観光客「……(熱心に聞き入っている)」
私「……というわけで、やがて新漫画党のメンバーも全員ここを去っていったわけなのですが」
観光客「……?」
私「トキワ荘の歴史は、そこで終わったわけではありません。……このキャラクター、みなさんもご存じですよね?(と漫画の単行本を取り出して見せる)」
観光客「……(みな急にザワつきはじめる)」
私「そう、これらの漫画も、ここトキワ荘で生まれました。新漫画党グループと入れ替わるように愛知から一人の若者が上京、こちらの部屋に入居したのです!」
観光客「Oh! DRAGON BALL? ARAREーcyan? ……アキラ・トリヤマ!? ソレ、ホントデス? オマイガー」「我好格闘的戯画、豪傑的孫悟空悟飯悟天野菜人!」
私「……さて、ちょうど彼がネタに詰まったころです。かつてのトキワ荘グループのリーダー、あのテラさんが、ここを訪れました。すっかり煮詰まっていた彼にチューダーを飲ませてやり、松葉のラーメンの出前を取ってやったりと、甲斐甲斐しく世話をしたのです。たまには運動もした方がいいと、草野球にも連れだし、庭先で相撲も取りました。あの優しく頼もしいテラさんは、やはり健在だったのです。そして相撲を取っている最中に、彼はあるアイデアを閃きました。……このポーズも、みなさんよくご存じですね?」
観光客「我知必殺技的波動、亀仙人!」「KAMEHAMEHA! オマイガー、KAMEHAMEHA! ワタシモシュギョーシマシタ! デモマダウテナイヨ」
次第に興奮しはじめる観光客たち。あらゆる言語がそこで飛び交う。
私「その作品の人気、その後の漫画界に与えた影響は、改めて説明するまでもありませんね。そしてテラさんから面倒見の良さを受け継いだ彼の元には、新たな才能がまた集いはじめます。(数冊の単行本を取り出す)」
観光客「……オマイガー、オマイガー! NARUTO! NINJA! オマイガー! Samurai X! フタエノキワミ!」「伸縮的手足、麦藁帽子少年冒険譚!」「トレビアン、JoJo! ルーブル美術館、シュルブブレ!」
私「また入居こそしていませんでしたが、実のところ、こんな作家たちも……。(そう言いつつ、今度はDVDを取り出して)このトキワ荘に往来して、根っこの部分では同じ文化圏に属していたというわけです」
観光客「オマイガー、AKIRA! オマイガー、鉄雄、金田バイク、オマイガー!」「我熱烈好物怪姫、隣人的土々呂、魔女的宅急便」「GUNDAM? EVANGELION? Ich liebe Roboter……!」
「外国で受けている日本の漫画、アニメのすべてはここトキワ荘で生まれたのだ」という私の解説に、異国からの観光客たちは異常興奮して、もはや叫び出すのである。
古い木造建築を再現したトキワ荘は、その狂騒に激しく振動。そして彼らは異口同音、このフレーズを連呼する。
「COOL! COOL! Japan is so cool ! COOL Japan!」
……というような妄想を、私はその場で熱を込めて語った。ハナコは「意外にちょっと面白かったけど、やっぱりCOOLではないし、あんまり嘘ばっかりつくと怒られるよ」と気怠そうに答えたところ、なんと橙色のTシャツの背中に大きく○、そのなかに亀の字というマークを貼り付けた男性が、我々の横を通り過ぎた。カメラを持つハナコを促して、慌ててその後ろ姿を写真に撮ろうとしたが、その男性は次の角をサッと曲がって路地裏に姿を消した。まるで一瞬の陽炎のような亀仙流の男。これはおそろしいことに実話です。
まあ、とにかくこの日は暑くて、太陽もギラギラしていたものだから……。
ところで、もし区の偉い人とか公益財団法人関係者の方がこのnoteを読んでいて、実際に私に案内人を任せてもいいかな、なんてお考えのようでしたら至極前向きに考えますので連絡ください。英語は改めて勉強いたします。第二外国語はドイツ語でした。単位ほとんど取ってないけど。月給とかボーナスは高くなくても別にいいです。いまがひどすぎるから。決して贅沢は申しません。しかし給料も休みも、くれるならくれるだけ欲しくはあります。……クールジャパン、ばんざーい! ばんざーい!
今回の総括
というわけで、こないだの日曜日、トキワ荘周辺の聖地を巡礼してきた話でありました。
若き漫画家たちの創作にかけた青春の日々。さぞや熱いものであったことだろうと思いを馳せる。その日も朝からすごく暑かった。だから家に帰り着くと、すぐにクーラーをガンガンに効かせた。ソファに寝転んだハナコがiPadを弄ってるなと思ったら、今度は「愛しりそめし頃に」を全巻購入していた。それから映画『トキワ荘の青春』も観たいと言った。VODでは見当たらないし、近所のTSUTAYAが潰れたから、ちょっと遠くまで借りに行かなきゃならない。
トキワ荘ブームは、まだしばらく続きそうである。
いつの間にか私も若くはなくなってきて、創作活動について真剣に語り合うような環境や機会からどんどん遠ざかっていく。だから『まんが道』を読み返して心が震えるとちょっと辛かったり、古傷が痛むようなところもある。しかしいまさらトキワ荘には住めないにしても、なんとかやっていこうとは思うわけです。
もうこの際、脳内にバーチャルなトキワ荘を築き上げて、イマジナリーな満賀や才野らと励まし合って生きていこうかとも思う。いま自分の側にいてくれるハナコも得意の写真だったりネタの提供とか、有形無形、それこそ様々な面でサポートをしてくれているわけだけど、そもそもハナコの存在自体がイマジナリー臭いとずっと思ってる私の脳は、真っ当(らしい)社会とか世の中の潮流からはつまはじきで、いよいよ狂ってきた可能性もある……。だからなのか、テラさんや森安にいたく感情移入する。
しかし考えてみると、現在この文章を綴っているnote。ここは電脳トキワ荘みたいな側面もあるように思う。ある人が「noteでは普通の日記や日常的な何気ない投稿も、発言というより一つの作品として扱われるところがよい」という内容を呟いていたけど、本当にそう思う。広い意味での作品として、その完成度を高めていきたいものだ。
そんな環境のなかで、NEO漫画党グループ的な(私は漫画は描かないけど)ものが生まれる(もしかしてもう生まれてる?)可能性だってありそうなことだし、もうちょっと私も頑張ろうと決意を新たにした。
そんなわけで今回はサラッと書いて終わらそうと思いながら、ついまたこんなにも長くなってしまった投稿を最後まで読んでくれた貴方の存在、それがとても有り難いと思うのです。どうも、ありがとう。
なにをどう書いたって、誰かに読まれなければ、やっぱり虚しいものだから。
最後に、誰にも頼まれてもいないけど、今度やるトキワ荘関連イベントの宣伝をして終わります。
トキワ荘の紅一点、いまや少女漫画界、いや漫画界全体の生き字引である水野英子先生のサイン会が、トキワ荘通りお休み処にて開催されるそうだ。きっと貴重な話も聞けることだろう。秋に入って涼しくもなっているだろうし、聖地巡礼、レトロスポットの散策も兼ねて足を運んでみてはいかがだろうか。
ちなみに水野氏がトキワ荘で暮らした部屋は90年代に入ってしばらく空いていたのだけれど、ある日そこに一人の女性が入居。間もなくして彼女が発表したセーラー服の美少女戦士たちが活躍する漫画は大ヒット、業界にセンセーションを巻き起こしたというのは、あまりにも有名な話。その武内直子女史が現在結婚しているのは森安なおやの部屋に入居した冨樫義博で彼の寡作にして天才というところが先輩である森安を彷彿させるところであるのだがそれにしても『HUNTER×HUNTER』一体いつ終わるんだあれはでも結局楽しみに単行本の発売待ってたりするのだからファンというのはど
お読みいただき、ありがとうございます。他にも色々書いてます。スキやフォローにコメント、課金に拡散、すべて歓迎。よろしく哀愁お願いします。