杖をつく
杖をついて歩いている。
もうかなり歩けるようになってきたが、まだ不安もある。実際そこまでスタスタと問題なく歩けるわけではない。だから外出時には必ず杖を持っていく。
こんな状況に自分がなると、これまで気がつかなかった事にも色々と気づかされる。やっぱり視点が大きく変わる。
それこそ年末くらいに急に歩行困難になり入院、ついこの間まで杖どころか完全に車椅子だった。だから不自由な身体になってはじめて実感したり、改めて気づくような事は、本当にいくらでもあった。
そういった自分の変化や、それに伴う気づき、たとえばバリアフリーの問題や現代医療、社会に対する提言あるいは恨み言などを書いていこうかと思ったりもしたが、それはまた今度。いつか改めて書くかもしれない。
というか、
「どうもこの頃は病気コンテンツみたいの流行ってるようだし、うまくマネタイズして日銭を稼げないだろうか……会社たぶん辞めるし……やっぱりサロン運営……何かの商材を販売……いずれはスピリチュアルなカウンセリングとかも……遠隔ヒーリングとか元手いらずの集金システムを構築……無節操に集金イベントもやって……とにかく集金」
なんて事も、半ば真剣に考えたりしていた。
まあ、この先は本当にそういう有料記事を書くかもしれない。自分でも自分が分かりません。
(そのときはジャンジャン課金、よろしくお願いしますね♡)
……と、そんな冗談(とも言い切れない)はさておき、本題に戻る。
とにかく最近は、ずっと杖をついて出歩いている。杖をついて歩いているのは、やっぱり足下がおぼつかないからそうしてるわけです。
もうだいぶ復調してるから、一見すると一般の歩行レベルとそうは変わらない様子かもしれないが、本人的にはやっぱり不自由で仕方ない。実際にちょっとした事で危険を感じたりもする。
たとえば近所の路地や駅前をリハビリ散歩中に危険を感じるのは、とくに自転車。かなり頻繁にぶつかりそうになる。あれ、マジで危ない。
何でかよく分かんないけど、交差点とかで正面から突進してくるオッサンとかオバサンのチャリ、あれは何だ?
こっちは咄嗟には避けらんないし、向こうは向こうで避けんのかどっちなのか分かんない半端な挙動で、何とかこちらがヨタヨタと避けた方向に微妙なカーブかけて寄ってきて、結局ぶつかりそうになって急ブレーキ停車とかする……何だ、あれは。
しかもムッとした顔でこっちを一瞬にらんだりするんじゃねえよコノヤロー、ふざけんじゃねえぞバカヤロー、舐めてんならこの杖にものいわすぞコノヤロー! 腕力は落ちてねえからなコノヤロー!
なんて瞬間的に腹を立て、思わず杖を強く握りながら相手の顔を見る。すると向うは大体こちらの杖とか足下にチラリと目線を落とし、それからサッと顔をそむけて去っていくわけだけど……。それはそれで、また腹が立ったりする。
もう本当、手に持ってる杖を振り回したい。手当たり次第にそこら辺のものを打ち据えたくなったりもする。
そうなのだ。冒頭から言っている「杖をつくようになっての心境の変化」「日々の気づき」それはつまり以下に集約される。
「持ってる杖を、とにかく振り回したくなる」
これに尽きる。
たとえば杖をついて歩くようになった自分には、こんな人たちの気持ちが本当によく分かるようになった。
【怒れる(イカれてる?)暴力老人】
他人の親切や善意にも苛立ち、杖を片手に暴れ回ったりするらしい、とにかく厄介な老人たち
【サイコパス英国紳士】
紅茶など啜って一見優雅だが、陰では労働者階級とか移民とか使用人なんかを思う存分にステッキで打ち据えているであろう、そんなイメージ
何故かしら彼らの存在に共感してしまう(実際に出会った事はないけれど)、そういう自分の新しい一面が浮かび上がってきたのです。そんな日々の「気づき」があったわけですね。
つまり、今回のコラムの本旨は、やはりこれ。
とにかく杖を振り回したりしたい。
正当な理由とか何もなくても、そこら辺のショーケースとかショーウィンドウのガラスとか叩き割ったりしてみたい。そんな自分に気がついたのです。
ああ、この杖を思う様に振り回したい……!
この衝動のトリガーとなるのは、やはり「怒り」だ。沸々と自分に湧き上るそれについて考えてみたりもする。その感情がどこからくるのか、すこし冷静になれば、それはすぐに分かる事だった。
まだ若いのに、あるいは自分としては若い気でいるうち……とにかく向こう気が張れる気力は十分にあるのだが、どういうわけか身体が不自由になり、普段歩くのにも杖をつかなければいけない。……何という理不尽!
そうした状況が妬みや嫉み、劣等感を生み、またそれが怒りの感情を呼び込む。
「どうして自分だけこんな……」
そんな考えに囚われ、杖をついて街を歩いていると、すれ違う人々も哀れむように、あるいは蔑むような目で自分を見てくる(ような気がする)のだ。
自己憐憫、劣等感、そして苛立ちや怒り。それらが自分の「杖を振り回したい、何かを打ち据えたい」欲求に直結しているのだろうと、結構簡単に自己分析できてしまった。そういう分かりやすい自分がちょっと恥ずかしい。
しかしこの心理は、先ほど挙げた「怒れる老人」たちが暴れ回る原因にも、あるいは通底している……ような気もするのだ。
それからもう一つ、大きな要因と考えられるものに思い当たる。
それは先祖伝来、自分のDNA、あるいは過去生からの魂(?)にも刻まれているものだ。つまり「侍が帯刀して、常に刀という武器を腰に携えている」感覚。そこにも、この衝動の理由が求められる……ような気がする。
(うちのご先祖様は代々農民や猟師らしいが)
ともかく杖をついて歩くという事は、常に片手に長いものを持っているわけで、これはつまり一つの武力である。
そして武力を保有していれば、やはりそれを運用したくなる……と、このような推論は、先ほど挙げた「英国紳士(ステッキで優雅に人を殴る)」の一例にも結びつけられるのではなかろうか。
棒状の、暴力(権力)の行使……!
善悪などの倫理、その大小や強弱は別として、大抵の人間の中にはこうした衝動、欲求は見出せるはずだ。とりあえず私にはあります。すごく、とても振り回したり、叩きつけたりしたい。大した意味もなく。もちろん刀や杖に限らず、何か棒状の長いものなら、わりと何でも振り回したりしたい。
そういうわけで、結論が出てしまった。
諸々の解決策、落とし所としては、棒状のものを用いる武道……やっぱり自分はいま杖をついているから、杖術を習ったらいいんじゃないだろうか。
古武道由来の杖術、あるいは現代杖道など、色々バリエーション(?)もあるみたいだが、とにかくそれを体得する。まだ足の自由が利かないなりにも鍛練を重ねていく。まずそれが肝要だ。
そして前方から無遠慮に突っ込んでくる、とにかく自分が突っ込んできたくせに急ブレーキかけて不機嫌そうな面までしやがる老若男女問わず横柄で無礼な奴の自転車! そいつからスルリと紙一重で身をかわし! その回転する車輪に! オーダーメイドで極限まで頑丈に強化された謎の金属製の(重量もすごくあって、持ち歩くだけで過剰な鍛練になる程の)自分の杖! そいつをグイッとばかりに直接差し込む! すると自転車は横転!
もちろん自分もバランスを崩して倒れてしまうのだが、その際には相手の体の上に覆いかぶさるように、肘を鋭く立てながら倒れ込む……つまりエルボードロップで相手にトドメを……さす!
あるいは仕込み杖にしてもいいかもしれない。
交差点とか曲がり角で、またもや突っ込んでくる老若男女の自転車と交差する、その瞬間……スラリと仕込みを抜く! 一瞬のうちの居合! ギラリとした白刃が一閃! そして素早く刃を杖に納める自分。(勝新の座頭市の要素も入った、やや大げさな一連のアクション!)
ゴロリ……。
寸刻おいて、アスファルトの上に落ちて転がるのは、相手の首! しかし首を失った身体はそれに気がつかず、しばらくそのまま自転車を漕ぎ続けて……首なしライダー!!
FATALITY !!
まあ要するに、そんな妄想を散歩リハビリ中よくしているのです。しかし自分がそんな事を日々ずっと考えているのだから、杖をついて歩いている老若男女のうちの何割かは、きっと同じ様な事を考えているに違いない。きっとそうだ。
それはどういう事か。
こういう事でしょうな。
「……あの人、まだ若そうなのに杖ついてるな」
「ちょっと危なっかしいけど大丈夫かな?」
「あのじいさん、いまどき珍しく腰が曲がってる」
「おや、気の毒になあ」
「ああ、おばあちゃん、いまにも転びそう……」
そんなふうにちょっとした好奇心、心配、同情、あるいは純粋な親切心や義侠心を抱いて、あなたの目線が正面から歩いてくる彼や彼女に向けられた、次の瞬間。その相手は、手にしている杖であなたをいきなり打ち据える、あるいはすれ違い様に仕込みの刃を抜いて、あなたの首を斬り落とす……!
そんな事になる可能性も、ないとは言い切れない。
このような事態を、現在休職中で暇を持て余した男の単なる妄言だと思ってはいけない。
……すでに戦いは始まっているのだから。
つい先日、いつものように私は近所の豆腐屋に木棉と油揚げを買い求めに出た。その帰り道、ある老人とすれ違った。
老人は杖をついていた。片手に持った杖にかなり頼っているらしい、おぼつかない足取り。自分もまた同じような状況である。つい気になって、まだ遠くにいるうちから、その老人に注目してしまう。
時刻は正午をすこし回った頃。
春の日差しが頭上から降り照っている、うらぶれた路地裏で。
間もなく訪れた互いの交差の刹那、その老人は、手に持っていた杖を微かに払うような仕草を見せた。
「……仕込みだ!」
瞬間的に反応した私もまた仕込み杖を抜き払う……!
ギャインッ!
刃と刃が激しくぶつかり合う金属音が、白昼の路上に鋭く響いた。
その長い一瞬が過ぎ、老人は悠然……というよりはフラフラと足の悪い老人に特有の足運びで、ゆっくりと遠ざかっていく。何事もなかった様に。しかし老人はたしかに一撃を放ったのだ。そして自分も仕込みを抜いた。だが、どちらも切られてもいないし、切ってもいない……。
「しまった!」
その場に呆然と立ち尽くし、ようやく刃を仕込みに収めた自分は、先ほど買い求めた豆腐の入ったビニール袋を地面に落としていた事に気がついた。
「……まだまだ未熟よのう」
去りゆく老人の声だけが、自分の耳に残った。
そうやって地面に袋を落としてしまったが、豆腐は無事であった。木棉でよかった。これが絹であったら、この様に無事ではすまなかったであろう。たしかに自分は未熟である。いつしか陥っていた己の慢心を恥じた。あの御老人とは、いずれまた行き違うはずだ。
次こそは一太刀……。
劇終
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