山怪バンライフ ②
他に誰もいない
「どう?」
わりとドラマチックな最後だって思わない? これが自分の終わり、そして君との最後の想い出……になる筈だったんだけど。
車はギリギリの所で停車していた。
直前になって自分がブレーキを踏んだのか、最新の制御システム、事故防止機能のようなものが働いたのか、どうも分からない。しかし目の前のガードレールを超えて味わった感覚は、ただの妄想とも思えなかった。
とにもかくにも、自分の乗った車はこうして崖上に留まっている。
「もしかして、助けてくれた?」
よもや本当に亡き妻の霊が……そう思って助手席の骨壺を揺すってみたが、カタカタ骨が鳴るばかりで彼女の声はもう聞こえない。
「……ついに愛想尽かしたか」
カナコは何も応えない。もう死んで、とっくに骨になっているからだ。
「じゃあ、どうしろってんだよ」
ハンドルに顔を突っ伏して私はまたつぶやく。悲しみというより、ただのっぺりと平坦な絶望のような、くすんで色あせた感情の波がまたやって来たようだ。
「こういうときこそ何か言ってくれよ」
助手席から返事はない。ただの遺骨のようだ。
ハンドルに押しつけた自分の額がクラクションを押して、けたたましい音が車内に響いている。しかし雨が降り続ける峠道には後続車も対向車もなく、それを聞く者は他に誰もいない。
押しがつよい
「あら、キャンプ?」
炭を一箱レジに持って行くと、不意に声をかけられた。
「そろそろ日も落ちるから、ちょっと急いだ方がいんでないかい」
おそらくは五十後半から六十代半ば、色あせたエプロンをして、やや大柄でふくよかな体型――いかにもお節介そうな「田舎のおばさん」という風情の女性だ。
「もうちょい先に湖があって有名なんだけど、そこかね?」
「……いや」
キャンプなんてするつもりはなかったし、もう長い間人と話していなかったので、うまく返事が出来ない。
さっき死に損ねた峠道から少し大きな道路に出て、しばらく行くと山間部のわりには開けて平坦な小さな集落が現れた。村には小さいながらも道の駅のような施設があって、自分はそこに車を停め、併設の売店に入ったのだった。
「バーベキューでお肉焼くよね? うちにもホルモンとかあるけど冷凍でね。……ああ、肉はいらないかい? もう買ってある? そうね、下のスーパーで買った方が新鮮だもんね。じゃあ野菜は? ここらは野菜美味しいから。あら、でも大方売り切れだわ。ごめんねえ」
何も返事をしていないのだが、彼女は一方的にしゃべり続ける。ここは集落の住民も日々の買い物で利用するようで、土産物や地場産の野菜だけでなく雑多な生活用品も置いていた。
「ほんとに炭だけでいいの? じゃあ、これも持って行きなさいよ。明日まで全然保つし、何せ美味しいから」
そう言って彼女はレジ横に置いてあったパックを袋に入れて、勝手に炭の箱の上に乗せる。
「これね、田舎風のお稲荷さん。おばさん自分で拵えてるんだけど、今日は何だか売れなくてね。ああ悔しい。でもすごく美味しいんだから」
多少はおまけしてくれたのかも知れないが、まんまと押し売りされてしまった。人は良さそうだが、とにかく押しがつよい。
会計をすませて駐車場に戻り、車のバックドアを跳ね上げて売店で買った物を荷室に置いた。心身が衰弱しているので、それだけでもうバテてしまう。運転席に座り、ようやく一息ついて「ああいうとき困るんだよ」と自分はつぶやく。独り言もすっかり癖になっている。
こんな風になる以前から人見知りの傾向があって、いまさっきのような場面で応対するのは、いつも妻だった。彼女は基本的に誰に対しても愛想が良く、物怖じもしないタイプだった。
「バーベキューとか、おれがやりそうな感じに見えるかね。そうは見えないと思うけど」
彼女は何も応えない。
駐車場には車が頻繁に出入りしている。売店の営業時間はそろそろ終わりのようだが、それぞれトイレに行ったり売店を覗いて見たりと小さな施設ながらも繁盛している様子だった。
「ここも人が多いね。もう出よう」
キーを回してエンジンをかける。どうせなら更に山深い所まで行こうと自分は思った。
夜、揺らされる
車を走らせていると狭い林道の脇にちょっとした平地が目に入り、そこに車を停めた。雨は止んでいたが、いつしか日も落ちかけて辺りはもうかなり暗い。
少し頭が痛い。身体も重く、かなりの疲労感があった。
リクライニングを倒して身体を伸ばすと、急に眠気に包まれた。そのまま落ちるように自分は眠ってしまう。シートの底まで沈み込んでいくような重い眠りだった。
「……ねえ、起きて」
誰かに身体を揺すられた。
久しぶりに訪れた自然な眠りだった。このまま、もうすこしだけ眠っていたい。
「外に何かいる」
何かって、何だよ。
こんな辺鄙な山奥に一体何がいる?
……いや、そういう山の中だからこそ、何かいてもおかしくはないのかも知れない。そう思い直す。
そこで目を開けると車内はまったくの暗闇で、それでも助手席に妻らしき人影がじっと座っているのが私には分かった。
「さっきから周りを歩き回って、それでほら、いまは車を揺すってきてる」
どうやら自分の身体ではなく、車ごと大きく揺すられていたようだ。
「これ、人間の力じゃないよね」
いくら軽バンとはいっても荷物も結構積んでいるし、たしかに人一人の力でここまで車体をつよく揺らせはしないだろう。では何人もの不審者に車を囲まれているのか。こんな山奥で、そんな事あるだろうか。
「そしたら野生動物」
まず考えられるのは熊だ。ここに来る途中でも熊出没注意の看板を幾つか見た。別に熊であってもおかしくはないだろう。
「でもわたし、もっと得体の知れないものだと思うな。お化けとか幽霊とか」
いや幽霊なんて、そんなものいないよ、だって……と返事をしようとしたが、言葉にならない。どうも金縛りにあっているようだ。
「ちょっと見てきてよ」
こういうときに動くのはやはり男で、彼女の夫である私の役目だと自分でも思っている。しかし身体がまったく動かない。
「ま、いいか。もう放っておこう。テントもそうだけど、この車も多分、結界みたくなってるから、そういうの中に入ってこられない」
いかにもカナコらしい、妙に断定的な物言いで妻は言った。
それからまた深い眠りの底に、私は沈み込んでいく。
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