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循環

わたしの好きな音は、何もない音。
空気の音。澄んだ空の音。晴れた朝の音。

わかりやすく言えば、静寂。

人間が生み出した音が、何もないセカイ。
これがわたしには、一番心地いい。
そう気付いた場所は、奈良県天川村の山中。

神戸から電車に乗ってバスに乗って、合計3時間半くらい揺られたその先に、
深い緑の山々に囲まれた小さな村は、どっしりと待ち構えていてくれました。


何となく自信の無いわたし。
好きとか得意とか、これといっておもしろい自己紹介もできない。
まぁそんな自分も受け入れようと、頑張ってきたわけだけれど。

ここならなんだか、頑張らなくてもいいような気がしたから。


デンマーク発祥で「人生の学校」と言われる『フォルケホイスコーレ』。
試験も成績もないこの大人の学校では、対話と共生を大切に、民主主義思考を育てるらしい。
難しいことは置いといて、なんとなく、素敵な教育システムだなぁと思っていました。

そして、これを天川村でつくろうとされている人たちがいることを知ったとき、わたしは、迷わず参加することを決めたのでした。


5泊6日の天川村ホイスコーレ。
初めましての人たちと、寝食を共にし、
大自然の中で生と死を考える、大人の学び場。

約1週間も、出会ったばかりの誰かと同じ屋根の下、
話す言語も違えば、生きてきた文化も環境も違う。
そんな人たちと過ごす天川の夏は、ほんまにサイコーにおもしろかったし、学びと笑いと気づきが盛りだくさんの時間でした!

みんなとの思い出はもちろん語り切れんけど、
備忘録として自分自信の気付きをメモ。


人と比べることから逃れられない私たち人間。
他の人よりできること、隣の人よりすごいこと、
勝敗とかランキングとか世界一とか、何かと比べる性。

そして、自身もその渦中にいるひとり。

だけど、自然の中に溺れるように身を委ねたとき、
そんなことが、本当にどうでもよくなることを実感したのです。
そもそも忘れてる。

水が冷たいと、肌が感じているから。
足首までは大丈夫やのに、お腹まで川に入ると、上半身がぎゅーんってなること。
岩の上から飛び込んだら、一瞬フワってなる。
そして鼻の奥がギーーーンって痛い。
脳みそじゃない「わたし」が、ちゃんと感じて生きていました。

山の中を歩けば、生と死がグラデーションとなって散りばめられています。
太陽の光を求めて、空へと広がる枝葉。
その先には、ガラスのヒビ模様のように繊細で美しい蜘蛛の巣に貼り付く蝶。
枯れて朽ちゆく大木は地面に横たわり、
表面を覆うコケたちが緑の絨毯を広げていきます。

まるで、「生まれる」と「果てる」が
混じり合いながら、絶え間なく続いているように感じられました。
まさに「循環」。
そして、自分という人間も、この循環の中の一部であること。
ここに、比較と競争から遠く離れた「生きる」がある!と知りました。
そこに気づけたことが、何よりも嬉しかったし、生きる意欲が湧きました。

さらに、毎日の対話がそれらをもっと豊かにしてくれたように思います。
自分とは違う考え方や知らない文化があること。
それは常に当たり前を疑うということ。
知識や習慣や仕組みを、いつでもアップデートできる心の準備ができていること。
ある方がおっしゃった「緩やかなオープンマインド」というワードがとても印象的だったのですが、デンマークの国民性や教育の発想には、より良くするためのアイデアを受け入れる、広くは他者を受け入れる態勢がいつでもできているような感覚を受けました。

マスクに行動制限にマナーに…
何かと息苦しい社会では、ついつい忘れがちなこと。
頭ではなく、心や身体が感じた感覚を大切にすること。
労働のためでも、お金を稼ぐためでもなく「わたしを生きるため」に生きていること。
そんなことを再確認できた時間でした。

わたしの中で、キーワードが少しづつ明確になってきたような気がします。
「自然体」「循環」「共有」。

しんどくなったり、頑張りすぎたりしたときに、
立ち止まって振り返る場所を見つけたような感覚です。
これからの自分がちょっと楽しみ。

出会ってくれた方々、本当にありがとうございます!

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