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「わすれられないおくりもの」

「わすれられないおくりもの」

スーザン・バーレイ 作・絵/小川仁央 訳(評論社)


ちいさなプランターで、控えめに行われている我が家の家庭菜園ですが、最近お客さんが来られるようになりました。


カマキリの赤ちゃんです。指に乗るくらいの大きさで、まだ白っぽい体をした彼に初めて出会ったのは先週だったと思います。

その後、一度姿が見えなくなっていたのですが、今日、また戻ってきてくれたのです。

さらに、一回りちいさい赤ちゃんがもういっぴき後ろにいると思ったら、そこにあったのは抜け殻でした。


確かに以前見たときよりも、体の色が濃い緑になっていて、どこかたくましくなったように感じました。もうしばらくうちに、いてくれると嬉しいなぁ、なんて思ったりするのでした。


少し悲しいおはなしなのに、読み終わるころには心があったかく、優しい気持ちになれるこの絵本を、今日は選びました。


人間ってたくさん考えられるからこそ、生きることや死ぬことについて、悩んだり苦しんだりするのだろうと思います。

生きた証を残すことに必死になりすぎると、大切なことを忘れてしまったり、おろそかにしてしまったりするような気がします。

生きることって、なんだか窮屈で、難しくて、ときに疲れてしまうものだなぁと思うようになったのは、大人になってからかもしれません。


でも、誰かと心を通わせて、誰かの頭の中にほんの少しいて、自分の言葉が、仕草が、なんとなく影響を与えたりすることが、十分生きているってことだと思うとき、ちょっとだけ楽になったりするのです。

影響といっても、そんなに大きなものではなく。さっきの話で、パスタ食べたくなったなぁ、夕飯はパスタにしよう、とか、文房具ってデザインだけじゃなくて、機能性も考えて買うべきなのか、なるほど、みたいな。


それだけで、自分の存在意義を確かめられたら、なんだかとっても"お得な生き方"な気がしてきました。


おしまい。





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