ギリシア神話に、「プロクルステスの寝台」というものが出てくる。プロクルステスというのはある追い剥ぎのあだ名である。彼は大小2つの寝台を用意し、大きい人間を小さい方に寝かせてははみ出した部分を切り落とし、小さい人間を大きい方に寝かせては足りない分を引き延ばしていたという。じつに示唆的な説話ではないか。 映画『狂い咲きサンダーロード』の主人公・仁(じん)は、この説話の犠牲者を体現するような人物だ。 有り体に言えば、彼は一匹狼である。暴走族グループの一員である彼は、体制に迎
1. ボーカロイド版と弾き語り版の違い まずこの2曲を聴き比べてみてほしい。 「夜明けと蛍」は現在破竹の勢いのバンド・ヨルシカのコンポーザーであるn-bunaが、ヨルシカ結成以前の2014年にニコニコ動画に投稿した楽曲である。 「ジャッ ジャッ ジャッ ジャッ」という印象的なイントロのフレーズから始まるこの曲は、その感傷的な歌詞とも相俟って叙情性たっぷりの「エモい」作品だといえよう。 上に挙げたのは、オリジナルのボーカロイド(初音ミク)版とn-buna本人が歌唱した
彼は蔵書家であった。彼が蒐集の対象とするのは主として文学作品であったが、それは彼の生来の文学青年的気質によるものであった。すなわち、彼は既存の道徳に盲従せず、社会の趨勢に対しては常に批判的視座に立ち、少数者に対しては共感と当事者意識を有していたのだった。「道」というものを理解せず、その脇の森を横切るギリアーク人に彼は共感していた。小市民的生活をよしとせず、結婚もせず、家も持たず、木造アパートの六畳の借間で本の山に埋もれて気ままな生活をしていた。 年を重ねるにつれて、彼の
記事のタイトルを見て、今更『苺ましまろ』かよ!とツッコまれた方もいるかもしれない。何せ15年も前のアニメである(…嘘だろ?)。とはいえ、原作はまだ連載中…なのであるから、現在進行形のコンテンツではあるのだ。そもそもぼく自身この作品を最近初めて視聴した、というのもある。 御託はこのくらいにして、本題に入ろう。『苺ましまろ』は(アニメだと設定が少々異なるが)、一言で言ってしまえば、「不良女子高生が小学校高学年のロリたちと戯れる」という作品である。不良、といってもたかだか飲酒
「繭」は絶対の安全と安心を保証してくれる。人は「繭」に籠ればどんな災いからも逃れられると信じてきた。大地が震えようが、大波が来ようが、巨大な炎が巻き起ころうが、疫病が猖獗を極めようが、「繭」が毀れることはない。その代わり、「繭」は人に幸福な夢を見せる。地上がどんな災厄に蹂躙されていようとも、「繭」の中に閉じこもっている限り、人はその中で安心して眠っていられる。そして、今までずっとそうであったからには、これからも永久にそうあり続けるものだと思われていた。 あるとき「影」が
火星に移住して30年近く経った。最初はフロンティア精神にあふれ、互いに助け合いながらこの不毛の地を開拓してきたオレたち先発組だったが、開拓が進み、国家や企業が進出してくるにつれて煩わしいしがらみが増えてきた。よくあることだ。 火星への入植はもともと地球の一巨大国家によって始められた。時が経つにつれデカい企業の進出も始まり、いろんな国家の介入も始まった。かつてはぐれ者たちの憧れを呼び起こしたフロンティアは、瞬く間に地球のそれと変わらない一大競走場になっちまった。金と権力に
時は20XX年、兼ねてより世間に蔓延していた、「偏り」を恐れる傾向であるところのいわゆる「偏りフォビア」が病気として認定された。この病気は「バイアスフォビア」と名付けられ、何らかの「偏り」を有する者に対する過度な攻撃性をその特徴としてもつ。特に2010年代後半に生まれた者たちを境に目立った症例が確認されるようになり、患者数は年々増え続けていた。 「バイアスフォビア」を発症するのは主に10代の若者である。彼らは学校という狭小空間の中で他者に爪弾きにされることを恐れ、穏やかな
タイトルに引いたのは、「何事も初めはむずかしい」というドイツ語の諺である。詳しくは忘れたが、確かアリストテレスも同じようなことを言っていたような気がする。何が言いたいかと言うと、記念すべき記事第1号に何を書けばいいかわからんということだ。 ぼくはこのテの媒体を使うのは初めてだ。Twitterはやるけれども、HPやブログを作ったことはないし、掲示板に書き込んだこともない。つまるところ、インターネット上で自己表現するという事に長じていない。リアルでもそうかもしれないが。それ