あたりまえとありがとう

「もうさぁ、いちいちありがとうって
言わなくていいよ~。」

他人行儀はやめてくれ~
っていう氣持ちでね。

ある人は私がそう言ったら
「ありがとう」
って言うことにある時
決めたんだと言った。

それってどうなのよ?
口先だけで
氣持ちがこもってないんじゃ
意味ないじゃん?
って思ってた。

けど本氣で毎回毎回
「ありがとうね~」と言って
くれてたのはおばあちゃんだ。

そんなの大したことないよ、
こんなの誰だってできるんだから。

高いところに入ってるものを
取ってあげたり
針に糸を通してあげたり
手を引いてあげたりさ

しかもそのおばあちゃんが
やってくれてたことは
私たちのためにやってくれてたことばかり。

でもおばあちゃんはそれが
当たり前じゃないって知ってたんだよな~。

最近になってやっとそれに氣づいたんだ。
え?最近??遅。
家族にはついつい当たり前でしょ?
の態度で接してしまいがちだけど

身近な人にほど
それを表現しなきゃいけないよね。

自分は素直だと思い込んでいたけれど
ある時夫がこんなことにもあんなことにも
事あるごとに、いや私にしたら
事ないごとって感じだったんだけれど
ありがとうありがとう言ってくれてることに
氣づいて…。

もぅ、いいよありがとうなんて
言ってくれなくてさぁーー
という氣持ちも消えて
「ありがとう」って言われると
嬉しい

ということに氣づいたんだ。
だから私も言いたくなった。
まだそんなに言えてないけど。

お母さん、ごめんね。
むしろ私が言うべきな場面でも
お母さんはありがとうと言ってくれる。
でもそれ本心なんだろうな。
心から感謝してくれてるのがわかるんだ。

なのに素直じゃない私は
当たり前の態度で接していたよ。

当たり前なんて本当はなくて
目の前に在ること起こることって
有ることは難しいから
有難うなんだよね。
ってわかっていても
そうか~本当にそうなんだよな~
って実感するのって
本当に氣付いた時なんだよなぁ。
有ることって奇跡なんだって!
(さっきスミレアキコさんも言ってたよ)

私が外国に暮らしてみて
日本のよさにたーーくさん
氣づいたのと同じかな。

肌が痒くて痒くて眠れなくなったことで
氣づいたら寝ちゃってて
起きたら朝だった!
なんてこともありがたく感じる。

慣れちゃって傲慢になって
あたりまえって感じちゃうのは
個の意識が強いから。
私が私が!!ってね。

今そこにあって
一緒にいて
同じ時を過ごしてる
なんてのは確かに奇跡だ。
共有してる
共にある
それって個じゃなくて公というか
みんなというか一人じゃないっていうか
しあわせなことだよね。

ってなんだかよくわからない思いを
言葉にしてみたんだけれど
結局人にわかってもらえるような
文章にはなっていない氣がする。

そんな私の拙い文章を
最後まで読んでくださって
ありがとう♡

アキコさんの今日のお話しにも
グッと来た!
ほんとありがとう。
スミレアキコ
ステキアキコ
だいすきです。


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