Jリーグで新しい祭りをつくりたい
「みんなでつくるプロサッカークラブ岡崎」(みんつく岡崎)の発起人が想いを語るシリーズ、今回はこの地域のエンターテイメントを知り尽くしたこの人、株式会社ツツイエンターテイメント会長の白井宏幸さん(62)です。さまざまなイベント企画や事業のプロデュースに、仕事だけでなく、プライベートでもかかわり続けている「エンタの達人」は、高校時代に始めたラグビーで子どもの指導をし、サーフィンをしに渥美半島へ通い、事業で始めた観光船を浮かべる乙川でSUPやカヌーの体験会を開くなど、三河のフィールドを目いっぱい使ってスポーツを楽しんでいます。森山泰行さん(52)、坂口淳さん(55)との会話は、クラブが地域の新しい「祭り」となる可能性へと広がりました。
自分が楽しみ、みんなを笑顔に
坂口:ある日のオンラインミーティングで、私が「大人を遊ばせたい」「大人も楽しそうにしているところを見せたい」と発言した時に、白井さんが「心に響いた」と反応していただきましたよね。
白井:今の社名になって、「エンターテイメント」ですから、人を楽しませる、楽しんでもらいたいという想いでやってきたんですよ。仕事も、個人的な活動も。まずは自分が楽しい。次にみんなに喜んでもらい、みんなが笑顔になって感動を共有できる。それが自分にとってもうれしい。そういう活動をしていきたいなと思っているんですよ。
森山:社名が変わる前は?
白井:元々、うちの会社って映画館をやっていたんです。岡崎に12館あって、うちが岡崎劇場と日劇っていう洋画の劇場とを6館。そのほかにも喫茶店とか雀荘とかいろんな事業をやってたんですけど、その会社を経営していた叔父が、大学を卒業した時に「来ないか」と言ってくれて。ぼくが29歳の時に新規事業の調査をしろって言われたんです。それはありがたかった。自分で勉強してこいって、でチャレンジしろって。叔父のおかげですよね。ホントに自由にやらせてもらいました。事業化できなかったり、失敗もたくさんありましたけど、いろんなことをやってイベント事業が残った。
「いいね、岡崎」と言ってくれたらうれしい
森山:春に乙川で白井さんが操縦する船に乗せてもらいました。めっちゃテクニックがありましたよね。
白井:あれは昔、当時の市長がどうしても乙川に船を浮かべたいと言い出して。調査して「できません」っていう結論を出したら、それでもやりたいと。じゃあ予算出してください、なんとかします、って始まった。でも、やっていくうちに、ホントにこれはいい事業だなと思ったんですよ。桜の季節に船からお城を見たり、お花見ができたりすると喜んでくれて。来年また船から桜を見るために長生きするよ、って言ってくれるおばあちゃんがいたり。そう思ったら、もう予算がなくなった時に、これは続けて、やるならもっといいやつを作ろうっていって、今の仕組みができたんです。事業として成立しているかといったら、そうでもないんですけど。まあまあ、楽しいですから。みんな喜んでくれますもんね。いいねえ岡崎って言ってくれたらうれしいじゃないですか。
森山:アウェーからきたサポーターにも乗ってもらいたいですよね。SUPやカヌーも加わって川の上がにぎやかになる。
白井:船に乗っていると、SUPの知り合いが向こうから来て、どう今日?みたいな会話を川の上でしたり、楽しいですよ。
森山:いいですね。ずっとサッカーばかりで、ほかのスポーツをする機会がなかなかなくて、カヌーとかやってみたいです。
坂口:ミーティングでエアロビクスを教えていたとおっしゃっていて、びっくりしました。
森山:おれもびっくりした。
坂口:エアロビも事業の一環ですか。
白井:それは違うんですよ。映画館をやっていた時、忙しい時期や時間が決まっていて、自由になる時間があるなあと思って。やっぱり運動がずっと好きだったんで、プライベートで始めたんです。エアロビを一緒にやってたグループの一人が嫁さんです。トライアスロンをしたり、仕事関係でエンジン付きのパラグライダーもしたこともあります。サーフィンは年中、赤羽根へ行っています。若いころから。今はコロナでヒマなんで、週に2回か3回。
スポーツは「考える場」「目標を設定する場」
坂口:学生時代にはラグビーをしていたんですね。
白井:高校の時ですね。社会人になって岡崎スピリッツっていうクラブチームにも入りました。
森山:総合型スポーツクラブの方でラグビーも一緒にやってもらいたい。
白井:総合型でいろんなスポーツやろうというのはすごくいいと思います。中心にプロサッカークラブがあって、いろんな体験ができるのはいいなって。サッカー選手にリフレッシュでSUPやってもらってもいいと思う。ラグビースクールの子どもたちにも、夏合宿でカヌーをやらせてみたりしていますし。
坂口:子どもの指導の場で感じることはありますか。
白井:今のコーチって考えさせますよね。今どうなったの、なんでこうなったの、自分たちはチームとしてどうしていきたいのって、考えさせる練習の方が多くて、ひとつのプログラムをやった後に必ずミーティングさせている。いいことだと思います。スポーツの場ってみんなで考える場所だし、みんなで目標を設定する場所だし、こっちから押し付けてやっても無理かなという気がします。
森山:まったくその通り。それでもまだ、押さえつけるとかパワハラみたいなのが残っている気がしてて、それがすごく引っ掛かってる。ぼくらはスパルタとパワハラの中でやってきた世代ですからね。でも、それじゃ限界があるよね、というのがある。厳しく人から押さえつけられたり、手を上げられたりとかで結果を得ても、楽しみはまずない。
白井:人としてどうなのって時はバシッと言いますし、仲間としてどうなの、その行動はっていうときは、やっぱりそれは教えなきゃいけない。正さなきゃいけない。そこはきちっとやらなきゃいけない。そういう厳しさは必要ですけどね。
森山:勝つのはひと握りしかないわけだから。負けから学ぶことが多かったりする。なにを得られるのかとか、どうやって次に向かって成長していくのかというのがすごく大事で、それを教えられないと厳しいかなと思っています。
坂口:エンターテイメントや教育的な側面に加えて、プロサッカーチームに期待していることはありますか。
白井:サッカーのサポーターの人たちが祈っているじゃないですか。今、この世の中って祈りがないじゃないですか。昔は地域でみんなが幸せを祈ったけど。岡崎にプロサッカーチームができたら、みんなで勝ってほしいって祈る。そういうものがあったらすごいよなって。みんなでひとつのものを祈るみたいな。昔の祭りってたぶんそうだったと思うんですよ。豊作を祈って、みんな集まって、みこしをかついで。岡崎の花火もそうなんですけど。ぼくたちは菅生神社の氏子なんで、ここの安全と平和を祈って、みんなで花火をあげていた。そこの祈りの部分がなくなっちゃった。
祭りの当日以上に大切な準備期間
坂口:みんなで五穀豊穣を祈って、感謝をするんですよね。プラス、それをするために1年間準備をしてきた人たちがいるわけじゃないですか。
白井:そう。
坂口:その1年間の準備がホントはすごく大事で、それが人の普段のコミュニケーションを生み出している。なんかあった時のセーフティーネットになるのは、祭りそのものじゃなくて準備。それってシステムとしてすごく上手にできているなあって感じですね。祭りが終わった瞬間、じゃあ来年の準備を始めるよって、始まるわけですよね。そこのメンバーがちょこっとずつ変わっていきながら。昔は地域のいざこざとかも、そこで調整するとか、そういう機能が祭りにあったとも言われているんですけどね。
森山:みんつくのミーティングでも「想い」「つながり」という言葉が出てくるんだけど、まさにそういった部分が準備のところにあるんじゃないかな。成功させるために、仲間とつながっている思いがあるから絶対に成功したいみたいな。祈りっていうのはすごく大事だと思いますね。
坂口:基本、日本ってあまり宗教が表に出る国じゃないので、無宗教という人がほとんどだし、そういう中で山の神だったり海の神にみなさん普段から感謝したりお願いしながら生活するっていうのが日本人の生活の仕方だったと思うんですけど、それが今はないですもんね。
白井:若い人たちが地元の神社で祈ったりっていうことって、正月の初詣くらいしかなくなっちゃっている。サッカーチームができてみんなでひとつになって、応援して、勝ってほしいって思う気持ちがひとつになっていくというのは、すごくいいと思います。岡崎の祭りってほとんど行政主導ですから。花火大会も。五万石みこしも昔の市長さんがやりたいって言って始まった。
坂口:イベント化しちゃっているんですね。
白井:でも、ホントのお祭りってそうじゃないよね。祈って、だれかの幸せのために、さっき言ったように1年間準備して、たくさんの人がかかわって、そのたくさんの人がすごく幸せなんですよ。当日を迎えた時にみんなが集まってくれて。プロサッカーチームができたら、ある意味そういうものがこのまちにできるのかなあという気がします。
森山:できたらいいですよね。2週間に1回、ホームゲームというお祭りが。
みんなでユニホーム着て練り歩きたい
白井:ぼくね、一体感と感動の共有みたいなのができたらいいなあと思っていて。やっぱりユニホームかなあ。岡崎の人がみんな同じユニホーム着て盛り上がって、それでみんながまちを歩いているような。ジャスストリートの時にすごくみんなまちを歩くんですよ。康生近辺で。
森山:ぼくと坂口さんは康生町に屋台村をつくりたいって思っているんですよ。アウェーの時はそこでパブリックビューイングをして。
白井:ああ、いいですね。籠田公園でパブリックビューイングできますよ。ぜんぜんできちゃう。ラグビーのワールドカップでやってすごく盛り上がりました。芝生に寝転がって試合を見て、その後にボール蹴ってもいいし。
坂口:公園でビジネスやるのってハードルが高いんですよね。
白井:高いです。でも、籠田公園はかなり先進事例で、ビジネスができるようになったんです。利用者がちゃんと責任持って自由にできる場所というのがたくさんできるといいなあと思います。自由度が高くなってきたんですよね。みんなが散歩したり、そこでボール蹴ったりしても、みんながいいんじゃないのっていう場所になった。
坂口:河川敷の利用も難しいんじゃないですか。
白井:河川っていうのはバリバリしばりがあったんですよ。あったのを5年間かけて、川まちづくり協議会っていうのをつくって、法律も特例みたいなのを使って、その代わり安全確保できますよっていうのを全部やって、今の状態ができた。
ウェルカムになった岡崎
坂口:いろんな取り組みで岡崎は変わってきているんですね。
白井:岡崎って、ぼくたちが若いころは排他的な感じがしたんです。このまちは2世、3世、代々の人でないとなかなか受け入れてもらえなかった。でも、もうそれはなくなりましたね。今の若い人たちはすごいウェルカムです。外から来た人たちを受け入れて、楽しんでもらおうと思っとる、エンターテイメントの気持ちもあるし、もてなしの気持ちもあるし。
森山:おれ、ホームゲームにアウェーのサポーターが岡崎に来る前に、向こうへプレゼンしに行きますよ。そうやって大勢の人がやって来て、この地域のいいところを知ってもらうきっかけにしたいと思っています。
白井宏幸(しらい・ひろゆき) イベント企画&プロデュースの株式会社ツツイエンターテイメント代表取締役会長。1959年6月、岡崎市梅園町生まれ。愛知教育大学附属小学校、同附属中学校、同附属高校、東京経済大学を卒業し、現在の会社の前身にあたる筒井興行に入社。岡崎ジャズストリートの2代目実行委員長や愛・地球博、岡崎額田合併記念事業、岡崎市政100周年など三河地区を中心としたイベント運営に広くかかわる。岡崎商工会議所常議員、岡崎政経同友会代表幹事。
森山泰行(もりやま・やすゆき) サッカー元日本代表FW。1969年5月、岐阜市生まれ。東京・帝京高、順天堂大を経て1992年に名古屋グランパスエイトに入団。ベンゲル監督時代に途中出場で高い得点率を誇り「スーパーサブ」として活躍。J1ではリーグ戦通算215試合出場で66得点。1998年にはスロベニアの強豪ヒット・ゴリツァでもプレー。2005年には東海社会人リーグ2部だったFC岐阜に加わり、2008年にJリーグ昇格。2014年から5年間は埼玉・浦和学院高校監督でユース年代を指導。2019年からJFLのFCマルヤス岡崎に所属。愛称ゴリ。
坂口淳(さかぐち・あつし) 株式会社AS代表。1966年7月、東京都生まれ。順天堂大サッカー部で森山選手が1年次の4年生。2004年から日本サッカー協会のマネジメント人材養成講座 JFAスポーツマネジャーズカレッジ講師、2007年から同カレッジのダイレクター。各地でスポーツ施設の開発やスポーツによる街づくりに取り組む。近年のテーマは地方での「スポーツ×農×アート」