手帳がもうすぐ出来そう
昨年末に「自分の手帳」を作りたいと思った。
Kindleペーパーバックで手帳を作った人がいたからだ。
私も作りたい!
速攻思った。
取り入れたい要素は沢山ある。
そして1年分作ったら、3000円以上の売価設定が必要なぐらいのページ数になった。
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よし、3ヶ月手帳にしてみよう。
構想を考え直す。
このデジタル時代の中、わざわざ手書きする意義は?
それは内省だと感じた。
手を動かすことで、フリックやキーボードとは違う思考が走る(と思う)。
この3年間、手帳術やノート術を使ってみて、頭の中を吐き出していくことが結構大切。だからといってダダ漏れみたいに垂れ流していくのは無理がある。それはなぜだろう。
やはり負の感情を書き出しても、そのままだと嫌な感情をリフレインしているみたいで苦々しいからなんだ。ならばそのモヤモヤを好転される仕組み。書き込むフレームで変わってくるものだ。
行動は、ただ自分の今日の行動を記録する。
自分モニタリング。その中で、今まで感情が入り交じって見えにくかった事実が見えるかも。
ならば行動と感情を分離して、書き込める手帳があったら…
これが自分の心と身体を整理していく兵法になりそうだ。
そして作りながら進み、なにか手帳に足らない要素があり、そのタイミングで協力して欲しい人が現る。
これが最後の校正刷りと思いきや、
また足らない要素を感じつつ、使いたい画像に気がつく。そしてその画像を使わせて貰う。
求めたことがやってくる感覚。
そして最終アップロード終わって、もうすぐ反映されそうだ。