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信じる信仰

音楽など文化的な価値は、本当に様々だと思う。
昨年秋に、塾友さんのコンサートを聴きに行き、
とても素晴らしい演奏を聴くことが出来た。
わたしは楽器を弾くでもなく、
クラシックフリークでもない。
でも、魂の感じるところに
塾友さんのヴァイオリンの音色はピンポイントでやってきた。

アヴェ・マリア カッチーニ
高音が優しく波のようにやって来る。
問いかけるような間と、
また繰り広がるさざ波ように感じられる音。
優しく深く会場に響いた。
それは、それまで騒がしかった会場が、
息を呑むようにバイオリンと寄り添うピアノの音を待っているからだ。
会場が音と一体になる。
彼女の奏でる音は会場を包み込んでいた。

アヴェ・マリア
イエス・キリストの母マリア。
処女の身体に聖霊が宿り、キリストを産んだマリア。
神の義の奥義を知らされていた家系。
だからマリアはうろたえなかった。
それは神の約束であり、
ただ約束を成就するためにヘロデ王から追われながらも、
キリストを馬小屋で産んだ。
そのアレコレが問題では無い。
信仰と一言で済ませてしまうと、陳腐な感じだ。
信じる、というのはそれまで信じ切る太い繋がりを内側でできていることなのだ。
私にとってマリアはいつも腹が括っているイメージだ。

そんなマリアの信じる信仰を脳裏によぎながら聴いた曲は、
自分の深いところにバンバン響きすぎて涙腺崩壊してしまった😭

その素敵な音源はコチラ👇
https://www.tunecore.co.jp/artists/LunaClassica

音楽もまた個人の主観と絶対値なのかもしれない。

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