心療内科送りになった話
私は音楽事務所でマネージャーとして、精神病を患う歌手を担当していたことがあります。なので余計に、「精神疾患とはハロウィンのよう。日常ではないもの」と認識していました。
私自身、ウツを抱えて東京マンハッタンの海沿いで療養したりはしました。でも、精神薬の作用を身近に見ていたせいか、病院に足を運ぼうとは考えもしませんでした。
どこかに「病院に行くのは自己管理ができない人」という思いがありました。それで精神医学関連の本を読み漁って、担当歌手への対処法を工夫したり、自分の症状を騙し騙ししていました。
そんな私ですが、娘が中学に上がった5月に、思わぬ事態に出くわしました。ある朝、娘のお弁当を作ろうとして包丁を持ったら、手に力が入らないのです。ピアノは普通に弾けるのですから、おかしなことでした。
現役の母にとって、包丁で物が切れないのは相当なダメージです。仕方なく、私は切らなくてもすむひき肉とか、切り身魚、千切れる野菜などで、なんとか日々の炊事をごまかすしかありませんでした。
叔父の一人は「コンピュータばかりやってるから、頚椎の神経がおかしくなったんじゃないか」と言いました。私は真に受け、近所の総合病院を受診しました。
内科で精密検査を受けた後、整形外科に回されました。私のカルテを見て腱の反応などを幾通りか試した熟年の担当医は、難しい顔をしました。
医「ひとつ可能性があるのは、脳腫瘍です」
私「!」
医「ですがあなたの年齢では、それは極めて稀なことです。詳しく検査してもいいんですけれど……」
ここで医師は、ますます難しい顔をしました。
医「もしよかったら、なのですが……」
私「??」
医「このすぐ上にある心療内科に行ってみませんか?」
私「……!」
心療内科への階段を上がりながら、私は全てを了解していました。その当時、勤め先をクビになったり、娘の進学問題、父の重病と、プレッシャーのかかるできごとがラッシュでしたから。
新しい仕事の気苦労の上に、慣れない毎日のお弁当づくり。頼みの夫は折悪く、海外出張が目白押しです。私の心身が「もうイヤ〜〜!」と悲鳴を上げたのでしょう。
心療内科の医師は若い男性で、黙って私の愚痴を聞いてくれました。
私「精神を病むなんて、弱い人のすることだと今まで思ってました」
医師は大きく頷きました。
医「全くちがいます。弱い人は無責任で、そんなことになる前に逃げてしまいますからね」
医師から示された治療法の選択肢は3つ。精神薬、漢方精神改善薬、そしてカウンセリング。その幾つかを組み合わせることも可能でした。
私は少し迷ってから、カウンセリングのみを選択しました。数回通ううちに、症状は次第に軽くなっていきました。
今の世の中は、心理カウンセラーなどによるカウンセリング・サービスも色々あるようですね。でも、心療内科にかかれば保険が効き、驚くほど安価に話を聞いてもらえます。
私はそれまで、自分は「精神病の担当歌手やぷっつん系アメリカ人来日アーティストの一番の理解者」と自負していました。でも、それがまるで見当ちがいの自己慢心だったことを、この病気で思い知りました。
冒頭の写真は、たまに行くイタリアンの裏の勝手口。