ディスポーザブル・ハズバンド
明治時代の制定にすぎない「天皇の男系継承」など、日本の男性一般が意味不明な既得権にこだわるのには、事情がありそう。交尾が終われば食べられてしまうカマキリのようになる危機感からではないでしょうか。
女性が稼げる世の中になってきたので、予防線を張るつもりかもしれません。戦争をやりたがるのも、「夫婦別姓」を認めたがらないのも、命がけの防戦だとすれば同情できます。
問題は、家父長制の日本では多くの男性が「男でありさえすれば価値がある」と思いがちで、防戦の自覚がないこと。「DNAはともかく、あなたさえいてくれればいいの!」と女性に求められるような男性は、限られているのに。「DNAだけいただければいいわ!」と言われる男性だって、そんなにはいないのに。
となると、それ以外の男性は自らのジェンダー価値を問われることになります。
アメリカの場合、考えずとも「Respect women」と言われて育つ男性は、レディファーストに。タイタニックのような非常事態ではなくても、女性に席を譲るなどで男らしい価値を世の中に提供できます。
その点、日本の男性はどうでしょう?「仕事で世の中に貢献する」という価値提供もあるでしょうが、それは男女誰にでも可能なこと。男に生まれた存在意義を保証するものではありません。
女性であれば、カンタン。何はなくとも、子どもだけは産めるのだから。たとえ(まだ・もう)産まないにしても、その能力を持って生まれたのだから。女性が妊活の難航に苦しむのは、子どもが欲しいからというより、ジェンダー価値がぐらつくからのような気がします。
私の場合、娘からのきょうだいリクエストにも関わらず、続発不妊(2人目以降の不妊)が発覚。出口が見えないトンネルの中のような時期を過ごしました。元々子どもなど欲しくなかったのに……。
だから治療中に思ったのはこうです。「1人目不妊の人はいいな。だって、ダメでも子どものいない人生を楽しめるじゃない。私なんか、娘は一人っ子にしてしまうわ、子どものいない人生はもう望めないわで、八方塞がり!!」
でも、今では「違う」とわかります。1人目か何人目かは関係ありません。子どものあるなしも、どんな人生かも関係ありません。「妊娠できない!」そのジェンダー不能こそが問題なのです。
人は毎日の喜怒哀楽をなんとなく感じて生きています。男女の生活圏は近く、ユニセックスの商品やサービスも多いので、快感の大部分がジェンダー由来のものとは気づきません。
女性であれば、朝の身支度で髪の艶がよかったり、服のコーディネートが上手く決まれば、気分が上がるもの。ファッションやコスメの華やかな広告にも、つい目がいきます。
不妊のような問題が表面化するまでは、日々女であることを無意識に堪能しているのです。
男性の気持ちはわかりませんが、戦車のプラモデルやクワガタに夢中だった弟には「ついていけない」と思ったもの。快感のありかが別なのです。私のようにお転婆で、小3までは男ばかりの友だちと野蛮な遊びに興じていた人間でもそうです。
男女平等もいいのですが……。ジェンダー快楽を日々享受しているのなら、「男性として・女性として」この世にいる意義をもっと考えてもいいのでは……。
レディファーストの下地がない日本では、通りすがりの私に「ブス」と言う男性たち。世に価値を提供するどころか、他人の価値を踏みにじるだけです。
今さら「レディファースト」ともいかないとなると、男性がジェンダー価値を創出しようにも大変でしょうね。今のところは男尊女卑にしがみついて、価値を保っているよう。
日本に帰っていた一時期、ラッシュアワーに電車通勤していたことがあります。女性専用車というのが、ナゾ。あれは世界に恥ずかしいチカン防止車であり、少ない体力で家事育児を担う女性のためではないと感じました。どうせぎゅうぎゅう詰めなんですから。
私も始めは利用していましたが、ホームの端にあるのが不便だし差別だし、女性の集団に無言で押されるのが怖くて(NYなら殺されます)、やめちゃいました。
ニューヨークだって、男性がそれほど席を譲ってくれるわけではありませんが……。観察していると、女性同士で歳上に見える女性にはよく席を譲っています。いかにも「老人」に見える年齢の人ではなく、40代50代あたりに……。こんな気配りも、女性ならではの価値の提供。
日本の男性の場合、ほんの30年前まで「男である」だけで価値がありました。以前も書いたように、職場にかかってくる電話で「誰か男の人いる?」(「責任ある立場で通話ができる人」の意味)と、本当に言われていたのです。何もしなくても価値があると自認していた男性は、いきなり「ジェンダー価値」を問われても困るでしょうが……。
せめて関係した女性からカマキリのように食われないよう、ご無事を祈ります。(私の夫も危ない……!)
日本の歴史的建築は、パーツがディスポーザブル。最古と言われる法隆寺も、20世紀に至るまで建て替えの連続で命を繋いできたそう。ニューヨークの摩天楼とは根本が違います。
そんな日本の夫も、行い次第ではディスポーザブルにしてもいいかもしれません。