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Lycian Way #9 〜サヨナラcolor〜


前回の記事はこちら。



雷雨がくれたもの

アラキリセに到着したのも束の間、予報より早く雷雨が襲ってきた。
僕の計画が頓挫し途方に暮れたその刹那、聞き覚えのある声が耳に届いた。

「ミナート」
それはメソトであった。

彼は僕と別れた後も必死に歩いてアラキリセまで来たのだ。
僕の心には彼に対して自分から別れを告げて先に進んだことへの顔向けできない申し訳なさと、彼と再会できた喜びの感情が一気に押し寄せてきた。
強がりな僕は喜びを心の内に隠しながらも彼に近寄る。
メソトもどこか思うことのある表情をしていた。

とりあえず雷雨が予定より早く来てしまった為、これからどうするか意見を出し合った。
僕とメソトの意見は一致。
ここアラキリセで雷雨が去るまで停滞することにした。
メソトに「ミナト、お前は先に進むんじゃなかったっけ?」といじられてしまったが。

問題はどこで停滞するかだ。
テントを張るのは少し面倒くさい。
雨が凌げればいいだけだ。
辺りを見回して雨が凌げそうな場所を探していると一つの小屋が目に入った。
そこに行けば何とかなるだろうと思い、とりあえずそこに向かってみることにした。

アラキリセ
避難した小屋

小屋に着くと雨は本降りになってきた。
幸い土砂降りと言うほどでは無い。
小屋は石と木で出来た二階建ての建物で、一階の地面はむき出しで大量の動物の糞で埋め尽くされていた。
二階の木の床も歯抜けじいさんのようにスカスカだ。
二階に上がるには少し不安定な梯子を登る。
僕たちはクソまみれの地面より歯抜けじいさんを選び二階へ避難した。
この建物は家畜の小屋として使われていたのか、実際に人が住んでいたのかは判断がつかなかった。
壁の木造部分は崩壊しており風がダイレクトに抜ける。
そのため、手先足先から体温が徐々に奪われていった。
持ってきた衣類をすべて着込んでも体の震えは止まらなかった。
最初は上裸だったメソトも体が冷えてきたのか服を着だした。
するとメソトがあるものを見つけた。
それは暖炉である。
僕たちはお互い顔を見合わせ、「やっちまおう!」と心で会話した。
運が良いことに歯抜け住宅だった為、一階には乾いた木材が大量に落ちていた。
僕らは乾いた木材をかき集めた。
そしてそれらを暖炉に入れ火おこしの準備を始めた。
雨が降っていて湿気が多いせいか中々火が付かなかった。
火付けには僕の鼻水を噛んだ使用済みティッシュ、メソトの計画表、ライターに巻いていたガムテープを使ったが思うように火がつかない。
5回ほど試してもすぐに沈下してしまう。
メソトと顔を合わせて「ダメか~。」とネガティブな雰囲気に。
しかし、メソトは壁に引っかかっていたナイロンのビニールを発見。
「ミナト、こいつはやべーぞ」と言う表情で僕にそれを手渡す。
この頃にはあまりの寒さで僕たちの会話はほぼ無くなっていた。
そのため表情と心で意思疎通を図っていた。
僕はナイロンビニールに火をつけ暖炉に放り込んだ。
するとみるみる内に火は大きくなり安定して薪が燃え出した。
僕らは「ファイヤー!」と大喜び。
アラキリセで再開したときのお互いの曇った雰囲気も目の前の炎によって搔き消された。

雷雨という壁が僕達を再び出会わせ、心を繋ぎ留めたのだ。

上裸で余裕なメソト
体を温める。

暖炉に火が付いてからは、あまりの温かさでしばらくそこから動けなかった。
しばらくして体の表面は温かくなってきた。
しかし、体の芯は以前冷えたままであった。
体の芯まで温めるため、「コーヒーでも飲む?」とメソトに提案した。
メソトは目をキラキラさせながら頷く。
僕は得意げに食料袋に手を突っ込むも中々コーヒーが見当たらない。
おかしいなと食料袋をひっくり返すもその姿はない。
その時僕はコーヒー以外に持ってきたのにない物の存在に気づいた。
それは乾燥野菜である。
トルコではインスタント麵生活になると重い、食事のバランスのために乾燥野菜を持ってきたが、ガス管が手に入らないと分かった時に捨てていた。
コーヒーはいつか出番が来るだろうと思いその時には捨てなかったのだが、どこかのタイミングで無意識のうちに捨てていたのだ。
僕は得意げに「コーヒーでも飲む?」とそのセリフを吐くベストタイミングで言い放ったにも関わらずコーヒーを振舞うことっができなかった。
メソトは「おぉ~。」とすごく残念そうな表情を浮かべた。
僕はたかが数グラムのコーヒーを捨てたことを心の底から後悔した。
この時はされど数グラムとは思えなかった。
結局、水の節約のためにもお湯は沸かさなかった。
時々身体を180度回転させながら温め続けた。

そして、これからの作戦会議をした。
メソトは僕が一人で歩くことに理解を示してくれた。
ただ山中での行動リスクを考え、1人より2人の方が安全だし、不測の事態に対処できる為、山を下りてからそれぞれのペースで歩こうと。
その考えに一切の異論はないが、雷雨に見舞われ途方に暮れたタイミングで現れたメソトと別れようという考え自体、この時の僕には微塵もなかった。

問題は今日これからどうするかである。
雨が落ち着いたタイミングで先へ進むか、アラキリセで1泊するかの二択だ。
進むにしても雨に濡れたごつごつした岩の地面の上を歩くのは危険だ。
僕が本来行こうと思っていた野営地までは時間にして4時間ほどかかる。
今から向かっても21時頃到着するだろう。
暗い夜道で雨に濡れた地面を歩くには少しリスクがある。
そのため、アラキリセで一泊することにした。

翌朝、僕たちは6時に起床し7時にアラキリセを出発した。
この時間に出発した理由は街まで一気に下りて温かくて美味いものを食べようという二人の強い意志からなっていた。
登り1300m、アップダウンを含めた下り2500mの標高差、距離にして32㎞の道のりだ。
アラキリセの山越えをし、海抜0M近い街まで一気に下る。
お互いの歩くペースを尊重し、お互いを鼓舞しあい二人で目的地まで向かう。

早朝、太陽の温かさで復活。

最初の試練は鬼の急登である。
この急登は今まで経験したことがないほどであった。
それにごろごろと大きい石が転がった歩き辛い地面である。
歩幅を狭く、確実に一歩一歩足を前に出す。
早朝の気温の低さも吹き飛ばすほど体はすぐに温かくなった。

急登を登り終えた。

鬼の急登を抜ければ、アップダウンのある下り道になる。
僕たちは適度に休憩を挟みつつ、お昼ごろに鬼の急登を登り切り山を下り始めた。
下りに自信のあるメソトは僕にピッタリついて歩いている。

17時頃に僕が当初宿泊しようとしていた野営地、べロス遺跡に到着。
ここでメソトに疲労と足の不調が出てきた。
残すは街まで1000mの下りと10kmの道のりである。
今からスピード下山すれば日暮れギリギリに街に下りられる時間帯だ。
しかし、メソトの疲労と足の不調もある。
僕たちはここに泊まるか、先に進むかの選択を迫られた。
僕の体は特に問題なかった為、メソトに意思決定を任せた。

メソトは、
「問題ない。二人で街に下りると約束したから先に進むよ」と言った。

僕はメソトの約束を守るという、当たり前だが中々できないことを貫こうとする気概に心を打たれた。
彼は男の中の”漢”であった。

そして僕たちは最後の下り道を進んでいった。

べロス遺跡
落下事故も起きた道
マインクラフトみたいな木
道中のペンションでチャイ休憩

さよなら

山を下り始めてから2時間半が経ち時刻は18時半。
山の陰に太陽が隠れる時間帯になった。
僕たちの視界を奪うように消えていく太陽に焦りながらも確実に安全に地面を蹴っていた。
そしてさらに30分経った頃には太陽は完全に海の下に沈んだ。
僕たちは暗闇に飲まれるギリギリで街に繋がる道路に出た。
歩き始めて12時間ほどだ。
そこには街灯があり、それによって照らされたメソトの顔は歩き切った爽快感で溢れていた。
メソトから見ても僕の顔はそう映っていただろう。

とりあえず僕たちはアスファルトの地面に倒れこんだ。
そしてメソトはまだ予約はしていないが宿泊予定のペンションに電話をした。
このペンションは道中にあった看板からその存在を知った。
ほどなくしてペンションのオーナーが車で到着し、僕たちをペンションまで連れて行ってくれた。

ペンションに着くやいなやオーナーが僕たちの空腹を察してか出前を頼んでくれた。
出前が届く前にシャワーを浴びてリフレッシュ。
すぐに出前が届いたので夕食へ。
夕食はトルコのピザ?とサラダとコーラ。
事前にお肉とコーラが欲しいとオーナーに伝えていた。
僕とメソトは一切の会話も無くもくもくと目の前のご馳走を口の中に放り込みコーラで流し込んだ。
さながら飢えた犬のようだ。
一瞬にして平らげた夕食の後はチャイとタバコの時間。
そこでようやく一息付いた。

温かい食事
最後の夜
同じペンションに泊まっている人も合流

そして明日以降のそれぞれの計画を確認しあった。
僕は明日、30㎞先のカラウズ≺Karaöz≻と言う街を目指す。
今日と同じ30㎞だが平らな海岸線のロードウォークの為、マーケットに寄ってジュースを飲みながらのんびり歩くつもりだ。
一方メソトはこのペンションに2泊する予定らしい。
翌日の足の状態によっては病院に行くと言っていた。
そんな状態で良くここまで一緒に歩いてくれた。
もし足に問題がなければ、メソトは明日歩く僕の行程をバスでスキップして同じキャンプサイトに合流すると言っていた。

どうなるか分からないが一旦僕たちは別れることになった。
今回は後ろ向きな別れではなく前向きなお別れだ。
夕食を終え、襲ってきた眠気に抗えずそのまま眠りについた。

翌朝、2人で食べる最後の食事を迎えた。
朝食はトルコ定番のチーズ、きゅうり、オリーブ、トマト、パンである。
今回はスイカも登場。
一週間前、僕たちが食べた初めての朝食も同じものだったことを思いだした。
朝食後、僕はメソトに1曲披露した。
というのもメソトに「ミナト、ギター弾いて!」と言われてから一度も弾いていなかったからだ。
最後に僕の好きな日本の歌を弾き語りさせてもらった。
曲はSUPER BUTTER DOGの「サヨナラCOLOR」である。
最高のタイミングでこの曲を演奏できた。
メソトも後からちゃっかり合流したオーナーも喜んでくれた。

そして僕たちはハグと握手を交わしそれぞれの道へ進んだ。

朝食
サヨナラCOLORを披露
メソトとの最後

この一週間

メソトはとても優しく、誠実で情に熱い”漢”である。
彼と過ごした1週間という長くも短い時間はかけがえのないものだ。

僕らの合言葉は「expensive」、「not expensive」だ。
宿泊場所が僕らの想定を超えていたら泊まらないというものだ。
ただ一緒に歩いたこの一週間ではなかった。

またある時は、
道中すれ違った女性と道の譲り合いになった時、目の前の女性が先に止まったので僕は進んだ。
その時にメソトは、
「ノージェントルマン」と言った。
僕は、
「彼女が止まったから先に行った」と言った。
そしたらメソトは、
「彼女が止まる」
「あなたが止まる」
「彼女が行く」
と僕に言った。
全くその通りである。
彼はいつだって紳士なのだ。

ある時には、
「ミナトは歩くのも早いけどタバコを吸うのも早い!」とも言われた。
もっとゆっくり吸うものだと。
「そんなんじゃ、トルコの女性によく思われないぞ」と。

また、メソトを通して人と「合う」ことの心地よさと「合わせる」ことの窮屈さも感じた。
人に「合わせる」ことが大人だという考えもあると思う。
その考えだと僕は大人にはなれないとも思った。
人に合わせすぎ、自分をないがしろにした結果、身体や心を壊す人もいる世の中だ。
しかし、自分を大切にしながらも 思いやり を持って人に接することはできたなと思う。
今回は僕の幼い自分勝手な考えがメソトを苦しませてしまったかもしれない。

彼は僕と別れた日に病院に行き、そこでドクターストップを言い渡された。
どうやら骨の損傷らしい。
なので今回の旅は中断し地元に戻ることになった。
その報告を聞き、
「僕のペースに付き合わせてしまったがばっかりに歩けなくなってごめんね。」とメソトに伝えた。
ただメソトは「冗談は言うな。自分のせいで岩に膝をぶつけてしまっただけだ。ミナトと一緒に歩く時間はとても楽しかった。また会えることを願っている。もし問題が起きたらいつでも連絡しろよ」と。

心のどこかで膝の不調が落ち着けばきっとゴールまでのどこかの道中で再開できる。
そう思っていた。
しかし、叶わなかった。
ただ、この1週間メソトと共に過ごしたことは記憶は無くなることはないだろう。
彼の為にも何としても歩ききろうと思えた。
僕に多くの気づきを与えてくれ、苦楽を共にした 兄弟 とも言える存在だ。

メソトは来年また続きからLycian Wayの挑戦をするらしい。
そんな彼が来年ゴールに辿り着くことを願っている。

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