Lycian Way #8 ~自分の思い~
至福の時
メソトと僕は数キロ先にあるキャンプ場「Lykia Camping」を目指した。
メソトはこのキャンプ場に宿泊する予定だ。
僕はそこからさらに7㎞先のアペライのビーチにあるキャンプ場に宿泊する予定のため、メソトとはここでお別れになるはず…であった。
時刻は15時頃、Lykia Campingに到着した僕達は受付へ。
一人の女性と小さな女の子が迎えてくれた。
ここは家族で経営しているキャンプ場の様だ。
このキャンプ場にも多くのハイカーが訪れているのだろう。
年季の入った写真が飾られていた。
メソトが受付を済ました後、「プシュッ」とコーラのプルタブに指をかけ二人で乾杯をした。
その後、メソトは先にテントの設営をしに行った。
僕はテラスで一服しながらその光景を眺め、先の行程を考えた。
僕はこれから7㎞先のキャンプ場に向かうつもりでいる。
下りがメインの道になるので1時間半もあれば到着できるだろう。
しかし、がっつりと休憩しきった後に、重い腰を上げて重い荷物を背負って歩き出すのは非常に億劫だ。
コーラを飲んでタバコを吸うともう動けなくなる。
人間は怠惰なものだ。
それに目の前には既にテントを設営し、寝具までテントの中に敷き詰めているメソトの姿がある。
あー羨ましい。
とりあえずメソトが戻ってきてから色々話を聞いた上で判断することした。
メソトは自分のノートに計画や宿泊地の情報などをびっしり書き留めていた。
キャンプ場のシャワーの有無、値段等、当然キャンプ場の良し悪しも彼の情報としてノートに記されている。
マメな男なのだ。
彼が戻ってきたので色々話を聞いてみた。
するとどうやら僕がこれから宿泊する予定のアペライのキャンプ場はあまり良くないという。
彼が言うには宿泊料が高いらしい。
彼が実際に行ったわけではないが友人の情報とのことだ。
僕からしたらシャワーやトイレが無いようなキャンプ場でも構わないが、宿泊料が高いと言われたらわざわざそこを選ぶことはないわけだ。
むしろ避けるべき対象である。
それに、これから移動する手間を考えたらここに宿泊して明日1時間半早く出発したほうが楽だ。
さらにここLykia Campingは夕食と朝食が料金に含まれているらしい。
チャイも飲み放題ときた。
記憶はあいまいだが料金は350リラ(1750円)ほどだ。
もはやこのキャンプ場に泊まらない手はない。
と言うことで本日はLykia Campingで宿泊することにした。
もはや歩かない理由を他人に言わせ、自分の責任ではないですよと責任転嫁したに過ぎないが。
それに彼の今後の計画を聞くと僕とほとんど同じ行程だった。
そのため彼と今後一緒に歩いたほうが面白いだろうと思った。
今後の計画も決まったところで僕はテントを設営し、シャワーを浴びた。
ここのシャワーは給湯器が漏電しておりシャワーヘッドを持つとピリピリと手の平に電気が流れた。
恐ろしいシャワータイムであった。
そうこうしていると夕食が提供された。
スナップエンドウの煮込み料理、ご飯、定番の胡瓜とトマトのサラダ。
そしてパン。
温かく美味しい料理。
肉類はないが、満足感は十分。
疲労もあるだろうがトルコ滞在中で上位の美味しさだった。
空腹は最大のスパイスともいうが、疲労もそれなりに良いスパイスかもしれない。
食事を平らげた後は二人で一服。
もちろんチャイは欠かせない。
この時の心地よさは今でも覚えている。
疲れた体に温かくて美味しい料理を腹いっぱい詰め込み、角砂糖を2個沈めた甘いチャイを啜りながら吸うタバコ。
これは堪らない。
明日も歩いて、明後日も歩いて、この先ずっと歩くことしかないシンプルな生活。
そこにストレスや余計な思考は入ってこない。
まるでサウナで整っている感覚。
この時、至福の二文字がポカンと頭に受かんだ。
Keç Boynuzu
翌日、Lykia Campingを後にした僕らは15㎞先のウチャーズ≺Üçağız≻を目指した。
この日はウチャーズのキャンプ場「Kekova Camping 」に宿泊する予定だ。
距離こそ短いものの大きめの石がゴロゴロ落ちている道を歩いた。
全く歩きづらい道であった。
この日、メソトと歩く上で僕らの間である取り決めが交わされた。
それは1時間に一回、10分ほど休憩を挟むというものだ。
僕は基本的に休憩は最小限にノンストップで歩く。
一日8時間歩くとしてもタバコ休憩と水の詰め替えくらいである。
基本的に昼食や水分補給も歩きながら行う。
得体のしれない何かに焦らされているからなのか、早く先の景色を見たいという好奇心からなのか。
あるいは、休んでる間に時間に置いて行かれている感覚に陥るのが怖いからなのか。
明確な理由は分からないが、体が「もう歩けない!」と限界を迎えるまで休憩を挟めない体質なのだ。
一方メソトは僕より大きいバックパックを背負い、重量も6~8㎏ほど重い。
さらに彼はYouTubeの撮影をしながら歩いているため、装備一つ一つの重量もさることながら、ドローンや撮影機材の重さでかなり体力を消耗するのだろう。
彼はかなりの頻度で休憩を要求してくる。
そのため、お互いの間を取って僕らの間で交わされたのが先述した取り決めなのだ。
ある休憩の際、メソトは僕の頭上の木の身をむしって食べ始めた。
それは、ケチボイノズ≺Keç Boynuzu≻と言う実らしい。
日本語で「ヤギの角」という意味だ。
見た目は名前通りヤギの角にそっくりである。
この実は独特な甘味があり、チョコレートやお菓子などにも加工されるそうだ。
実際に僕の食べていたエナジーバーにもケチボイノズ味があった。
皮はパリッとしつつもしなっとして甘味があり、中の種はもの凄く硬い。
しかし、メソトは「種まで食べるんだよ!」と言って食べていた。
メソトはこの実を食べるとパワーが出るんだと言って歩きながらバクバク食べていた。
恐るべし。
トルコ旅行に来た際はぜひこの実を食べてみてほしい。
露店でも売っていた。
高すぎやしないか
メソトと行動を共にしてから3日目。
Lycian Wayの中間地点であるデムレ≺Demre≻という街から4㎞ほど手前の「Andriake Camping」というキャンプ場に着いた。
時刻は15時頃。
本日より2泊このキャンプ場に宿泊する。
明日はデムレの街にあるサンタクロースのモデルになったサンタニコラスの教会の観光、ミラ遺跡、リュキア人博物館の観光をする。
つまりオフ日である。
ハイカー用語では「ゼロデイ」ということになる。
メソトが2泊するから宿泊費を割り引いてくれとキャンプ場スタッフを丸め込み、少し安く宿泊することが出来た為、その浮いたお金で観光を楽しもうと言う。
翌日の計画としては、午前9時にキャンプ場を出発。
その足で初めにリュキア人博物館に向かう。
その後にサンタニコラス教会、ミラ遺跡を観光。
最後に明後日のトレイルの入り口を見つけてから戻るというものだ。
移動はヒッチハイクを想定し、車が捕まらなければ徒歩になる。
まぁ徒歩でも全然歩ける距離なのだが休息日は歩きたくないというお互いの意見が一致したためそのような計画になった。
翌朝、9時頃に起床。
昨日の話だとメソトは「9時に出発するぞ!」と意気込んでいたが、8時ごろに僕が起床したときには隣に張ったメソトのテントから物音ひとつしなかった為、彼はまだ寝ているもんだと思い再び寝袋に潜った。
二度寝から目覚めた時刻は9時。
まだ物音一つしないため僕はまた眠りに着くことを決めた。
出発が9時という計画であったが、急ぎの予定でもないのに寝ている人を起こすのは野暮だし、僕自身もう少し寝ていたかったからだ。
しかし、ちょうどメソトのテントからゴソゴソ物音がした為、僕は横になりながらテントのジッパーを開けて「起きてますよー!」と合図。
この後に反応が無ければ僕は眠りに着こうと思った。
しかし、「グッモーニン、ミナト~。」とメソトが起床。
重たい体を起こし、二人でのんびりと朝食を済ませ11時に出発。
なんともゆる~い1日の始まりだ。
計画通り初めにリュキア人の博物館に向かった。
博物館に着いたとき僕はものすごい既視感を覚えた。
しかしそれは既視感ではなく、実際に一度訪れていた場所であった。
それは「いきなりカウチサーフィン」で出会ったバトゥが連れて行ってくれた博物館、それがこの博物館だったのだ。
車であれば数時間で着いた場所に、数日間かけて歩いてきたという事実に僕は感動した。
一度訪れた博物館だったのでメソトが見学している間、僕はベンチでくつろいだ。
メソトがそこはかとなく微妙な表情を浮かべながら戻って来たので次の目的地に向かう。
道中でヒッチハイクを試みるも、道行く車は満車状態で一台も停まらなかった。
仕方なく徒歩でサンタニコラス教会へ。
受付で入場料を確認したらなんと400リラ(約2250円)。
メソトはトルコ人の美術館パスを持っていたので50リラ。
あまりの高さにメソトも驚いていた。
ここまで来たならと渋々払うが、事前に調べていたらまず来なかっただろう。
僕の表情があまりにもひどかったのか、休憩で寄ったカフェでコーラをご馳走してくれた。
次いでミラの遺跡は350リラ(約2000円)。
ここもかなり高い。
ただ、この遺跡はもともと気になっていたので何とか飲み込んだ。
しかし、食費、宿泊費以外で一日4000円の出費はかなり堪えた。
一通り観光も終えたので明日からの食料の買い出しをし、帰路に着いた。
思いがけない出費が重なったため、この日の夕飯はパンとツナ缶を食べ眠りに着いた。
ここ数年、トルコ全体で観光地の料金が5~10倍ほど上がっているらしいので旅行に行く方は最新の情報を調べることをお勧めします。
つい最近だとアヤソフィアも無料→有料になったみたいだ。
決別
「Andriake Camping」で2泊した僕らはLycian Way前半の山場を迎えようとしていた。
それはアラキリセ≺Alakilise≻の山越えである。
アラキリセは遺跡のことで、そこまで行くのに約1100mの標高を登る。
さらにそこから500m標高を上げた1600m地点から標高500mのべロス遺跡まで一気に下る。
距離にして約30㎞。
しかも天気は雷雨予報。
僕の計画はこの行程を1日で歩き切るというものだ。
残された期間にあまり余裕がないことと、16時から雷雨予報がでており早足で歩けば雷雨に巻き込まれることなく標高の低い地点まで行けると思ったからだ。
今思えばかなり無茶な計画ではあるが、雷雨の山中でテント泊なんて御免である。
メソトは体力に余裕があれば付いていくという。
そうして午前8:30に登り始めた。
登り始める前に近隣の住民からホットミルクを頂いた為、予定より遅れたスタートではあるがまだ巻き返せる時間だ。
天気は晴れ間も見えていた。
ただ天気予報を見ると、いつ雨が降り出してもおかしくないので僕は少し焦っていた。
しかし、僕とメソトとの距離は広がっていく一方だ。
僕はメソトが来るのを待っては進み、待っては進みの繰り返しで歩いた。
しかし、そんな歩き方にも限界が来た。
途中の集落で水の補給がてら中休憩を取ることにした。
時間に余裕がなかった為、休憩時間もきっちり決めて時計の針が20分を指したら出発しようと提案した。
つまり長針が「4」を指したら出発するということだ。
しかしメソトは追加で20分間の休憩と勘違いし、僕の提案した休憩時間になっても後10分あるからもう少し休もうという。
僕の伝え方が悪かったことかもしれないとメソトの言い分を聞き10分間待った。
そして10分が経ち出発しようとしたところ、メソトがYouTubeの撮影をし出した。
これまたタイミングが悪いことに大型トラックがメソトの撮影したい進行方向の看板と道を隠していた為、メソトはトラックが捌けたら出発しようと言う。
トラックは中々動き出しそうにないし、雷雨までの時間は刻一刻と近づいている。
仕方なくトラックが捌けるのを待ったが、そんな危機感のないメソトに僕は少し苛立ちを覚えてしまった。
その後はメソトに合わせて歩くことがだんだんしんどくなってきた。
そうして僕はそのことをメソトに伝えることにした。
僕はとても悩んだが、このもやもやした思いを抱えたまま一緒に歩くよりは自分の思いを伝えるべきだと思った。
ここからはそれぞれ自分のペースで歩こう。
お互いがそれぞれのペースに合わせるのは心も体も疲弊するから。
後でテントサイトで合流しよう。
先に行っている。
僕はそう言って先を急いだ。
メソトは少し悲しそうな表情を浮かべていた気がする。
もちろん僕も悲しかった。
でも、もし期限内にLycian Wayを歩き切ることが出来なければ僕はそれをメソトのせいにしてしまう気がした。
自分の意思でここに来てそんなのはごめんだ。
そんな弱い自分を見たくもなかった。
馴れ合いをしに来たわけではないと心に強く言い聞かせ、苦しかったけど自分の思いを伝えた。
人と「合う」状態はすごく心地よいが、「合わせる」状態はすごく窮屈だ。
自分の気の向くままに生きてきた僕にとって人に「合わせる」ことはとても難しい事だった。
ただメソトとは「合う」部分も少なくはなかった。
宿泊費の価値観もそうだ。
僕たちの合言葉は「expensive」「not expensive」である。
宿泊費が僕等の想定を超えていたら泊まらないというものだ。
ただ唯一、歩くペースが合わなかっただけである。
歩くペースが合わないことに日常生活で不満を感じる人など極少数だと思うが、長距離ハイキングに関してはかなり大きい問題である。
何故なら1日の大半は歩いているからだ。
1日中一緒にいて、1日の大半を費やすことのペースがお互い合わなければストレスを感じることは想像に易いだろう。
まさに僕はその状態にあった。
僕は当初の計画であるベロス遺跡のテントサイトに宿泊するつもりだが、メソトはこのペースで行くとアラキリセのテントサイトで宿泊するだろう。
そうなるとこの先会うことはないだろう。
そう思うと先の言葉に少し後悔の念が湧いてくる。
そんな思いを抱えたまま僕はアラキリセの遺跡に着いた。
遺跡に着いたのは13時頃。
このまま進めば計画通りべロス遺跡のキャンプ場に着くことが出来るだろう。
しかし、そんな思いとは裏腹に雨が降ってきた。
予報より早い。
さらにその直後には「ゴロゴロゴロ!」と雷が鳴りだした。
最悪だ。
計画を遂行するためにメソトに別れを告げたのに、こんなに早く雷が落ちてしまうなんて。
メソトとも別れ、異国の地の山の中腹で雨に打たれ、雷に怯えていた。
僕は雲の中に佇むアラキリセの遺跡を前に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
すると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた…。