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Nérolium : 精油〈ネロリ〉の原料 ビターオレンジの生産者組合

オレンジフラワーの生産者組合 Nérolium ネロリオウム

グラース近郊、海辺の街ヴァロリスにある蒸留所跡

標高300メートルほどの丘に沿って位置するグラースから電車でカンヌ方面へ降りていくと、ふいに車窓に飛び込んでくる地中海の鮮やかな青に目を奪われる。カンヌからイタリアとの国境にある街マントンまで、線路は海岸沿いを走り、ニース、モナコなどの有名都市や、いかにも南仏らしい小さな町が点在している。

世界三大映画祭でも知られ、大通りに高級ブティックが並び、ヨットハーバー周辺にはレストランやカフェのテラス席がひしめくカンヌから一駅、ヴァロリス(Vallauris)の町はリゾート地の喧騒とは無縁。地元の人々がのんびりと暮らす町にNérolium(ネロリオウム)のエコミュージアムがある。

ネロリオウムはビターオレンジの生産者で作る農業共同組合で、ビターオレンジの花からとれる精油が「ネロリ」と呼ばれることに由来している。今年6月に120周年を迎えた。

かつて組合では花の栽培だけでなく、自前の蒸留設備で精油への加工を行っていた。現在蒸留施設はエコミュージアムとして保存され、20世紀初頭の蒸留設備を見学することができる。

ネロリオウムのエコミュージアム外観

シャネルの香水にも利用されるグラースを代表する花

ビターオレンジはジャスミン、ローズ、チュべローズと並ぶ、グラース地域を代表する香料植物で、フランスでは果実をビガラード(Bigarade)、木をビガラディエー(Bigaradier)と言う。

現在、ネロリオウムの組合員によって栽培された花は独占的にシャネルへ供給され、そこから得る精油(ネロリ)はグラース産ジャスミンなどとともに同社を代表する香水「No.5」等に使用されている。


年間を通じてあますところなく収穫

ビターオレンジの開花期は4〜5月。その後6月に収穫される若葉や枝は精油「プチグレン」の原料になる。10~11月、まだ緑の果実の皮から圧搾した精油は食品向けに、1~3月に収穫される果実は苦味があることからジャムなどに加工される。

精油への加工は香料会社に回されるが、ジャムなど食品への加工は組合によって行われている。

組合で栽培されているビターオレンジはオーガニックで、三年前から認証ラベルも取得している。

ミュージアムを案内してくれたマリーによると「まあ実際は人の手が及ばないから、そのままにしているだけだけど…」と、積極的な有機栽培というよりは自然に任せた栽培のようだ。


Néroliumの歴史

香水の黄金期

 ヴァロリスでビターオレンジの栽培が始まったのは、19世紀末。グラースの香料工場へ原料供給が目的だった。

この頃フランスでは産業革命の完了期にさしかかり、グラースでも科学技術の進化とともに大規模で効率的な香料、香水製造が進められていた。

1985年には152軒の生産者により「ヴァロリス、グラース地域農業園芸組合」が結成された。

しかし農家と香料会社の間には力関係があり、不利な価格交渉と決別するため、1904年に協同組合ネロリオウムが組織される。周辺地域を含むビターオレンジ栽培農家を加入対象に、12基の蒸留器などを備え、組合員の手で原料の加工や販売を行うようになった。

エコミュージアム内部 20世紀初頭の蒸気ボイラーが当時のまま保存されている
パイプによって奥の部屋の蒸留器に蒸気が送られる
当時のアランビック (蒸留器)

1920年代初頭は近代香水の発展期で、現代の香調(ノート、香りのジャンル)の基礎となる香りが相次いで誕生した。

史上初めて合成香料アルデヒドを多用し、アルデヒドフローラル調を生んだシャネル「No.5」、シプレ調の源流になったコティ「シプレ」、オリエンタル調のゲラン「シャリマー」など、今日でもこれらの香調をもとに日々新たなバリエーションが展開されている。

同じ頃、ヴァロリス周辺のオレンジフラワーの栽培はピークを迎える。2000トン近くの花を生産するようになり、現在のエコミュージアムがある工場が手狭になったため、1920年に第2工場、1924年には第3工場が相次いで新設された。


冬の時代

しかし20年代をピークに風向きが変わり始める。1929の世界恐慌、人件費が安価なマグレブ諸国での栽培、冷害、合成香料の台頭、都市化やリゾート化による土地開発などにより、オレンジフラワー栽培農家数は減少の一途を辿る。1950年代に800軒ほどあった組合員は現在60軒ほど、花の収穫量は年間2~5トンほどにとどまっている。

1トンのオレンジフラワーから1キログラムのネロリ(精油)と700リットルのフラワーウォーターが得られる。現在ネロリオウム産のネロリは多くて5キロほどということになる。

上記の衰退はオレンジフラワーだけでなく、グラースの香料用植物の栽培全体にあてはまる。第二次世界大戦後、この事態にいち早く危機感をもった一つがシャネルで、南仏での原料確保のため、1987年からミュル家とパートナーシップを締結している。現在グラースで生産されるジャスミン13トンの大部分はミュル家で栽培され、シャネルに供給されている。⇨参照記事


甦るメイド・イン・グラース

21世紀に入り、人々の環境への意識が変化したことで、消費行動や企業のイメージ戦略にも影響を与えるようなり、天然香料は再び脚光を浴びている。現在グラースと周辺地域では官民の努力により花の栽培が少しずつ上向いている。

2020年にはシャネル、ミュル家、そしてネロリオウムが協働してヴァロリスと、グラース近郊のル・バール=シュル=ルー (Le Bar-sur-Loup)で新たに600本のビターオレンジの木の植樹が行われた。農業、園芸コースがある近隣の高校とも提携しながら将来的には花の収穫量10トンを目指す。⇨参照記事

植樹から花の収穫までは6年ほどかかるという。これまで紹介したグラースの花栽培復興とあわせ、今後南仏の景色はどんな風に変わっていくのだろうか。

ヴァロリスの街に咲くオレンジの花。辺りにはいい香りが広がっていた


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