今を生きるさん
私が心に留めて置きたいものまとめています。 忘れないように。
私は変わろうとすることをやめた。 きっかけはオードリーの若林正恭さんのエッセイ集。 約10年間、ひたすら変わりたいと思っていた。 何の才能もないと思っていた私は、この「自分」という存在を抜けて違う自分になれば幸せになれると考えていた。 「あの子みたいに友達が多くなりたい」 「あの子みたいに面白くなりたい」 「あの子みたいに可愛くなりたい」 性格から容姿まで、全て変わりたいと思った。 高校生になると変わるために、自己啓発本や成功した社長さんの本を読み、心理学を勉
自分の心の中を文章化したくなって、久しぶりの投稿。 私は心が動くことが好きだ。 そして言葉、絵、歌、演出など、芸術の力を信じている。 そうしたものに多く触れた一週間を過ごしたある日、気づいたことがある。 それは、私の心を動かしてくれる人は、私の想像力ではおそらく想像できないほどの苦しみや葛藤を経て、良いものや幸せになれるものを創造しているということだ。 やっぱり何かを成すには、何かを捨てなければならないのだと思った。 全てを手に入れることはできない。 これは私に
私は生きていく上でこれだけは譲れない「軸」となるものを探し続けていた。 そもそも「軸」は探すものなのかどうかもわからないが、これですと胸を張って言えるものはなかった。 だがこの3ヶ月近く、自分と向き合い続け、自分の感情に素直に従って生活していたら遂に見つけることができた。 その「軸」となるものは、 Love myself 少し前まで、自分が嫌いで仕方なかった。 特技もないし、人間関係も苦手、自分に甘くて、熱しやすく冷めやすい。 こんなに不甲斐ない私が、嫌いで変わ
ここ数年、一人でいかにして幸せになれるか考えて来た。 だが、一人で幸せになるよりも簡単に幸せになれる方法があった。 それは、目の前にいる人と何かを共有すること。 一人で映画に行ったのが高校一年生になる直前の春。 それ以降、私は一人行動の面白さにハマってしまった。 映画を観た後、興奮を胸に秘めて帰る優越感。 カラオケでひたすら好きな曲を歌う5時間。 本屋で一生かけても読みきれない量の本と顔を突き合わせ、世界を旅する休日。 どれも私にとってはかけがえのない時間だっ
4月の始め、目標として毎日noteを更新すると決めた。 だが、残り半分というところでそれを放棄することにした。 理由は、頭の中に浮かんでくる思考を人に伝えるという作業ができなくなったから。 いつも頭の中の思考が浮かんでは消えていく。 毎日noteを始めてから、消えていくスピードが早くなってしまった。 どういうことかというと、noteを更新している途中で考えていたことが何かわからなくなるということ。 最初はこのことを書こうと意気込んでいても、段々内容がボヤけていって、最後
今日は頭の中がぐちゃぐちゃしている。 言いたいこと、聞いてほしいことはあるのに、それを外へ出すことができない。 毎日note更新を始めた約2週間前は、スラスラと自分の思っていることを書き留めることができた。 ここに書くことでより考えを深められて、インプットもアウトプットもできていた。 だが今日は混沌とした世界に迷い込んだみたいに感じる。 自分の思いがふわふわとしている。 掴めそうで掴めない桜の花びらのようだ。 書きかけの私の思いが下書きとして溜まっていく。 忘
私は最近まで上手くご飯を食べられなかった。 けど、今日は美味しいものをお腹いっぱい食べることができた。 上手くご飯が食べられなかったというと、「どういうこと?」「ご飯食べるのって当たり前じゃない?」と思う人もいると思う。 自分も去年まではご飯を食べることが苦しいことだと思ったことはなかった。 食べたくないけど、食べないと生きていけない。 だから食べるけど、どのくらい食べればいいかわからない。わからないから体が求めるままに暴食。 けど太りたくないから、それをなかったことに
4月になってから人と話す議会が増えた。 新しいバイトは人と関わるため、話せないとやっていけない。 あとは、友達に久しぶりに会ったり。 今日は2ヶ月ぶりに美容室にも行ってきた。 人と関わる機会が増えて思ったことは、人と話すのって楽しいということ。 誰かと話している時は、自然と明るい気持ちになれることが多い。 多分、自分の内に籠ってモヤモヤ考える暇がないからだろう。 少し前までは、人は怖いと思い込んでいて、自分から外の世界へ行くことはなかった。 けど、外へ出てみると案外いけ
私は若林正恭さんのエッセイ集に救われている。 もうどうやって生きたらいいかわからなくなっていた時、「変わらなくていい」という言葉に出会った。 今日は最近読んだ、『ナナメの夕暮れ』で感じたことを書く。 心に響いた文章がある。 内(自意識)ではなく外に大事なものを作った方が人生はイージーだということだ。 これを読んで、確かに外の世界に目を向けていた方が生きやすいのかもしれないと思った。 周りのことに影響されすぎて、逃げ込むようにして内の世界へ入ってしまうのは、結局自分
私はまだ自分が大学2年生という実感がない。 まだ学校で授業を受けたこともないし、学校にも行かないからサークルにも入っていない。 これから始まる授業も全てオンライン。 高校3年生のキラキラ大学生活を夢見ていた時は、本当に楽しかった。 学校の近くにある素敵な店でランチ、バリバリ働く、電車通学、友達と旅行、、、 大学生になったらしたいことが沢山あった。 ふとした時に、自分は本当に大学生なのか? フリーターなのかな?と思う。 なんのために朝起きるのかわからなくなる。 でもこの
日々生活する中で、大切にしていることがある。 それは丁寧に生きること。 そのことを思い出させてくれる場所はカフェである。 まず、丁寧に生きること大切にしている理由について。 生き急いで、結果や目先のことに囚われてしまう私。 それを少しでも軽減しようと、丁寧な暮らしをしているインフルエンサーの方を参考にして、丁寧に暮らすことでどんな良いことがあるのか考えた。 その結果出てきたのが ・自分を大切にできる ・周りに振り回されないスローライフを送ることができる ・感
今日は書きたいことがない。 自分の考えを普段は人に伝えないから、noteという手段を使って伝えていた。 けど昨日、今日と母と色々な話をした。 辛かった時期の話、友達関係など、あまり明るい話題ではないけど吐き出すことができた。 だからここに書いて伝えたい、聞いてほしいことが見つからない。 ということで、お洒落なカフェでランチした話をする。 特に値段も見ずに入ったら、ランチなのに2000円もした。 庶民の中の庶民である我が家において、ランチが2000円は超高級である
3月下旬から、「毎日ヨガチャレンジ」を始めた。 人は21日間続けると習慣化できると聞いて、まずは21日続けてみようと決めた。 なぜ私がヨガをしようと思ったのか。 理由は、自律神経を整えるため。 過食、ストレス、早朝覚醒、恐怖、不安、自己否定などで私の心と体はボロボロだった。それをなんとかしようとしたのがきっかけ。 私にはヨガをしている人がとても幸せそうに見えて、真似すれば幸せになれるかもと思った。 <結果>①習慣化することができた21日間はとてもあっという間に過ぎ
今日は原田マハさんの『生きるぼくら』を読んで思ったことを書く。 いじめがきっかけでひきこもりになった麻生人生があることをきっかけに祖母を訪れ、米作りを通じて成長してく話だ。 この小説にはよくおにぎりが登場する。おにぎりを通しての心情描写がとても素敵で、心温まる。 そして母のお弁当が無性に食べたくなってしまった。 高校3年間、私は母が作ったお弁当を食べるのが楽しみのひとつだった。 基本的に茶色くて、冷凍食品が多い。 愛情表現をあまりしない家庭なため、言葉にして愛情を
私は不安やモヤモヤすることがあると、携帯を手放すことができなくなる。 昨日バイトで失敗をしてしまい、夜はずっと憂鬱で不安な気分だった。 そして勉強や読書ではなく、ひたすらインスタを漁っていた。 インスタが一通り終わってしまうと、バイトの求人サイトでなんとなくバイト探し。 目が痛くて限界が来たため、お風呂に入った。 今度はお風呂で動画を見まくっていた。 ぼーっと携帯を見ている間、LINEが来たら即レス。 結局寝る直前のベットの中でもいじっていた。 こういうことは
私はいつも暇を持て余している。 その暇な時間に思ったのが、「なぜ人は悩むのか」ということ。 すぐに出てきた理由は3つ。 ・自信がない ・自己受容できていない ・色々と考えるだけの暇がある この中で特に気になったのが、「色々と考えるだけの暇がある」というもの。 遥か昔、古代ギリシャでアリストテレスなどの哲学者が誕生した。 彼らが哲学的な考えを始めた理由は、暇だったから。 人間が暇になるとあれこれ考えてしまうのは、遺伝子レベルの問題なのかもしれない。 ではこの