
心のあり方を概念化してみる
こんにちは。
ぷーです。
今日はね、𝕏で書いていた
夫と、わたしの心の概念は田舎の縁側のあるお家だと話していた。縁側にぼーっと座るわたしが生け垣越しに見える。座ってるだけかと思ったら本を読んでいたり、寝ていたり、踊っていたり、編んでいたり、話していたり、毎回やってることが違う。なんだあの人、ちょっと変と思って縁側に人がくるのだと。
— ぷー(`・o・) (@pium0281) February 16, 2024
「わたしの心の概念は田舎の縁側があるお家」
をテーマにnoteにまとめてみようかなと思う。
まずこのポストに至る前に
「心を家と例えたらどんな機能で形をしているか」
を考えていた。
夫の場合は
・ドアは強固なセキュリティロックがついている
・庭には誰でも入ることができる
・基本は誰かのお家にお邪魔しにいっている
こんなイメージなんだそう
心の奥底を見られてもよいと思った相手には、家の中に入れるセキュリティカードを渡してる感覚とも言っていた。
ほかにもわたしの慎重な友人はドアの小さな小窓から相手を静かに観察して、ドア越しに会話したあと「この人悪い人じゃなさそう」と判断して心のドアを開けているなどいろんな心の家の形がありそうと盛り上がった。
それじゃあ、わたしは?
わたしの心の家は玄関からくる場合、正規の手順を経て、
インターフォン→返事→迎え入れるか確認をしているが
そもそも縁側が開け放ってあり、生け垣から様子が少し見えている状態であると
縁側でいつも何かをしている様子が見えている。
何をしているのかよくわからないけど、なんか楽しそう。
本を読んでいるときもあるし、音楽を聞いて歌ったり踊ったりしているときもあれば、寝ているときもあるし、糸を編んでいるとき、人と話しているときもある。
常に何かしらをしている様子は縁側から窺うことができる。
何をしているか気になった人が縁側にやってきている。
そんなイメージなのだという。
確かにしっくりくる。
心は常に開いていて、誰でもWelcomeなのだ。
ひとりでも何かを楽しんでるけど、その様子を見て、気にしてくれて話をしたり、一緒に何かをするのが好きである。
縁側かぁ。面白い概念に気づいたなぁ。
実際に現実世界で再現してみるのも面白そう。
あと、この縁側は欠点もあって、招かれざるものも招かれてしまうときがある。
この縁側のよさが削れてしまう瞬間もある。
明け放つがゆえの脆弱性はあるため、ある一定のルールは必要だなと感じている。
今年はこのルールを作りながらも、縁側に招き入れてお話する機会が増えるといいなと思う。
自らも誰かの心のお家を訪ねてみたい。
皆さんの心のお家の形はどんな形だろうか。
お話しくださる方は𝕏にてリプいただけると嬉しいかも。
では、また思いついたら。