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『私の名前はキム・サムスン』 それでも人は恋をする
「愛の不時着」で韓国ドラマの世界に足を踏み入れてしまった私。
特に私の理想の男「リ・ジョンヒョク」を演じたヒョンビンが気になり、彼の出演映画やドラマを鑑賞するのが最近の日課となっている。
先日、2005年の大ヒットドラマ「私の名前はキム・サムスン」を観了したのでその感想を余韻が消えないうちに書いておきたいと思う。
観た後に恋をしたくなるドラマ
「私の名前はキム・サムスン」はまだ初々しさが残るヒョンビンを堪能しつつ、三十路女子の気持ちに共感しながら楽しめるラブコメディー。
あっという間に全16話を見終えてしまった。
まずは簡単にあらすじを。
三十路でぽっちゃり体型のサムスンは喧嘩っ早いオヤジキャラ。結婚を焦っているが男運がなく独り身。そんなサムスンが、短気で傲慢・強引な年下のイケメン御曹司ジノンが経営するレストランでパティシエとして働き始めることになる。年齢、外見、育った環境全てが噛み合わない二人だが、お互いの事情で契約恋愛で付き合うことに。衝突を繰り返しながらもやがて二人の恋は本気の恋に変わっていく。
これ、鑑賞した後恋がしたくなる作品です。
コメディシーンを随所に織り交ぜながら、恋愛初期のときめきや恋に落ちた後の嫉妬や苦しみ・切なさ等々があますことなく描かれていて、主人公のサムスンと共に年下男のジノンの言動に一喜一憂してしまう。
このイケていない崖っぷち女子と傲慢なイケメン御曹司の恋は、「愛の不時着」とはまた別の意味で視聴者の共感を呼ぶ作品だと思う。
「愛の不時着」カップルの場合、美男美女である上に高官の息子と財閥令嬢という設定。国は違えど社会的地位が高く恵まれた生活を送る二人。
視聴者はユン・セリのリ・ジョンヒョクを想う気持ちに共感しても、または理想の男リ・ジョンヒョクにメロメロになっても、「あ、そう言えば私はセリのように美しくもなければカンペキでもない…」と我にかえってしまう瞬間がある。
一方のサムスンは、所謂どこにでもいそうな平凡な女であり(とは言えオヤジ度の高さは突き抜けているけど)、セリの設定と比較して安心感と親近感がある。また、ジノンはイケメン御曹司とはいえ性格が悪く万人受けするキャラではない。
そんな二人が恋に落ちる設定の現実離れ度は、「愛の不時着」よりは低く、視聴者は自分に引き寄せて物語を楽しめる。
「愛」や「恋」というのは普遍的なものだと思うけど、ここに庶民的な部分が加わって恋がより身近に感じられるのかも。
恋に傷つくことを恐れてはいけない
大人になればなるほど傷を負えば治りが遅い。
身体の傷はもちろんのこと、心の傷の治癒はより難しくなる。
つまり10代・20代の失恋よりも30代以降の失恋の方が後を引くし、回復には時間がかかる。だから人は年をとればとるほど恋に臆病になっていくのだ。
ところでサムスンはジノンに出会う前に失恋で傷を負っている。
それも「クリスマスイブに恋人に浮気をされた上に振られる」というかなり悲惨な経験だ。
また、失恋に打ちのめされているだけでなく、失業中の身。人生どん底にいた。
そんな時に現れたのがジノン。
二人は事情があって契約恋愛を始めるが、右葉曲折ありながらもそれが本物の恋に変わっていく。
さて、サムスンのすごいところは、恋をしたら自分の気持ちに正直なところだ。
傷ついて、泣いて、時にはくじけそうになりながらも前に進む。
相手が御曹司であろうとイケメンであろうと年下であろうと、はたから見て釣り合っていなかろうと、そこに引け目を感じたりしない。いや感じているのかもしれないが、攻める時はきちんと攻める。ライバルである美人の元カノ「ヒジン」にも「サムスン流」を貫いている。
しかし最終話では、ジノンの不在にサムスンの心が折れてしまう場面がある。
ジノンがヒジンの最後のわがままを聞き、彼女をアメリカに送っていったきり連絡もなく帰ってこないのだ。
サムスンはジノンを心配したり不信感を抱いたり、とにかく辛く悲しい時間が2ヶ月も続く。
そんな時、彼女は街であることわざに出会う。
恋せよ、傷ついたことがないように
「恋を失うかもしれない」という予感は過去の失恋の痛みを思い起こさせる。そんな時人は自分を守るために心を閉じてしまいがちだ。
でもそれでは前に進めない。
傷ついたことなど一度もないかのごとく恋をすることでこそ過去の傷を乗り越えることができるのだ。
現在進行形で傷ついているサムスンには辛い言葉だったかもしれない。
でも、この言葉には折れた気持ちを前に向かせる力がある。
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しかし、人は傷つくのになぜ恋をするのか。
その答えは13話「恋はいつか終わりを迎える」で、元カノヒジンに別れを告げるジノンの言葉に集約されていると思う。
ヒジンに「終わりにしよう サムスンのことが頭から離れない」と告白するジノン。一方ヒジンは「サムスンとは、まだ恋が始まったばかりだからときめいているだけ」と泣きながら訴える。
時間が経てば同じこと。
彼女がどんなに輝いて見えても時がたてば色あせてしまうわ。
今の私たちみたいに。
しかしジノンは言う。
人は、死ぬとわかっていても生きるだろ
この言葉、とても深い。
そうなのだ。
人はいつか(恋が)終わってしまうとわかっていても、恋をするのだ。
だから臆病になっていてもしかたがない。
傷つくかもしれないし、悲しい思いをするかもしれない。
でも先が見えないのが恋の本質なのだ。
恋をすると相手が一層愛おしくなる。
共に過ごし、お互いを思い合う時間が生まれる。
それを経験できることこそが人生における幸せであり、生きている意味なのではないかと思う。
Love, as though you have never been hurt before
恋せよ、傷ついたことがないように
この言葉、自分の胸にも深く刻もう。
写真:恋するストロベリー
(day 41)